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楽曲とともに

 谷村新司さんが逝去された。私より少し上の世代であるが、アリスとして活躍されていたときはリアルタイムで楽曲に親しんだ。そのころ始めたギターの練習曲にもアリスの曲が多かった。時代を彩る方がなくなると何かが大きく変わったような気になる。

 人の命は限りがあるからいつかお別れが来るのは知っている。自分だっていつこの世を去るのかは分からない。この後すぐかもしれないし、もうしばらく世にはばかるかもしれない。ミュージシャンの場合は少し違う。人生は短く芸術は長い。残した曲はいつまでも消えない。誰かが歌い継ぐ限り続く。個人的には「遠くで汽笛を聞きながら」の哀愁が好きだ。絶望しながらも生きていこうとする底力を感じる。あの時代の雰囲気には実にあっていた。

 最近の歌にもいいものがある。それを共通体験として持てているのだろうか。多様化の中で時代を代表する歌謡なり、事象というものが細分化されている。すると共通の体験は持てなくなるのでは危惧してしまうのだ。

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クリスマスチャンネル

 海外のラジオ局にいわゆるクリスマスチャンネルというのがある。一年中クリスマス関連の曲をひたすら流し続けるのである。実は私は個人的に嫌いではなく、時々インターネットを通して聴いている。

 クリスマスソングは実に多様であり、讃美歌からポップスまで幅広く年中流していても尽きることがない。有名なメロディは当然何度も出てくるが世界中のミュージシャンが様々なアレンジで歌うからレパートリーは無尽蔵なのだ。

 日本で同じようなことはできるだろうか。お正月の歌は意外にも多くはない。ポップスでも正月をテーマにした曲は少ない。できそうなのは桜関連の曲だ。サクラを歌った曲は結構ある。ただ年間を通して放送するだけの数はあるだろうか。

 盆などもそれを題材にした楽曲は少ない。行事と音楽の結びつきは日本では顕著ではないのだ。逆にいえば、例えば正月は楽曲の題材として発展しうる余地を残しているということになる。

 クリスマスの伝統の深さを知るとともに文化とは何かを考えるのである。

心の瞳

 坂本九さんの事実上最後のヒット曲の「心の瞳」は私にとっての精神的清涼剤であり、栄養素でもある。合唱曲としてもよく歌われていたので幅広い世代に知られている。

 坂本九さんがこの歌の発表後間もなく航空機事故で亡くなってしまったため、絶唱と言うべきものになったのは残念というしかない。しかし、この歌は歌詞もメロディもそして歌唱も素晴らしく、後世に伝えたい楽曲だ。

坂本九 心の瞳

 心の瞳は愛することとは何かを考えさせるメッセージソングだ。その答えは簡単には決まらない。大切なのは考えることなのだ。

宵待草

 亡き恩師が好んで歌った歌に宵待草があった。竹久夢二の詩に哀調のある楽曲がつけられたものである。「待てど暮せど来ぬ人を宵待草のやるせなさ」から始まる歌の意味を中学生の私は語彙のレベルでも経験のレベルでも理解できなかった。ただかなり歌いこまれていた事だけは伝わった。

マツヨイグサ

 宵待草は月見草のことだという説もある。月見草とはマツヨイグサの仲間であり、ツキミソウという種もあるが、大抵はメマツヨイグサかオオマツヨイグサに比定される。これらは黄色い花で道端に生えている。いわゆる雑草の類だ。元は北米の植物で近代に帰化したと考えられている。太宰治の『富嶽百景』には月見草が出てくる。オオマツヨイグサのことではないかとされている。

 月見草といえば野村克也氏が生前自身の存在を長嶋茂雄氏と比較して例えていた。実際のマツヨイグサはかなり生命力が強く、生存競争にも勝ち残りやすい。これも氏の望むことだったのだろうか。

 夢二が宵待草に何を見たのか。太宰治が富士に似合うと考えたのはなぜか。恩師がなぜ宵待草を愛唱し生徒に聞かせたのか。先人は答えない。せめて自ら花を見て考えて見るしかない。

タカミネ

 Onceという映画を見たことがある。ダブリンの街角でという副題をつけて日本では公開されている映画だ。ストリートミュージシャンと移民系女性のラブストーリーだ。派手なアクションも、センセーショナルなシーンもない。ある意味純粋な恋の物語だ。

 映画版でミュージシャンの男が弾いているアコースティックギターのヘッドを見るとTakamineの文字がある。日本製ギターなのだ。しかもYAMAHAではなく。映画で見ればお分かりの通り、そのギターは大きな穴が開いており、損傷がはげしい。そのオンボロギターでラブストーリーが展開するところにこの映画の魅力がある。

 私もタカミネギターを持っており、もっとも大切にしている。オンボロになるまで弾き込んでいないのは残念だが。そろそろ出番をあたえてもいい。まだ指が動くか心配だ。

金輪際現れないのではなくこれから沢山現れてほしい

 アイドルという曲が世界的なヒット曲になっている。一度聞いただけでは覚えられない複雑なメロディラインや、ボカロと言われるジャンルの曲を人間が無理やり歌っているかのような新奇な感覚、部分的に切り取っても使える展開の多さなどが特徴だ。

 作曲者は世界で売れ入れられるよう様々な配慮したという。真の意味の企画ものなのだ。アメリカを除く世界ランキングで一位になったのもしたたかな戦略の賜物だった。

 日本のポップスには独特の味わいがあると言われながら世界的なヒットはなかなか生まれなかった。隣国韓国はこの世界では後発なのに日本の遥か前を走る。これは戦略の差と言える。日本は国内に相応の市場があるため、海外に打って出る必要がなかったのだ。

 最近旗色が変わってきた。高齢化する日本市場ではいままでのやり方では成長できない。ならば海外だ。幸い日本文化のユニークさは各界で有名であり、漫画やアニメといった頭抜けたコンテンツがある。これを巧みに利用して海外の顧客を開拓すればいい。そういう考え方を本気でやる人が出てきている。

 アイドルは聴いていただくと分かるが楽曲は日本的ではない。しかし、歌詞の世界観は日本そのものであり、このミスマッチは海外で受け入れられやすいだろう。やり方は他にもある。これまで築き上げた財産を世界にどう売るのか。展開が楽しみだ。

交響楽

 シンフォニーをホールで聴く贅沢さは何よりも素晴らしい。指揮者が最初の音を指示するまでの緊張感、重なり合う楽器が織りなすハーモニー、底から浮かび上がる様々な感情、そのどれもが尊い。

 もちろん、高級な音響機器を使えばかなり現実に近い音楽再生ができるなだろう。ただ、音楽家と観客たちが作り出す独特の空間は再現し得ない。

 時々は音楽を直接聞きに行かなくてはならないと強く思うのである。

自然音との調和

 現在、使用中の国語の教科書には坂本龍一氏のエッセイが掲載されている。音楽とはなにかを語りながら、人の生き方に迫る名文だ。

 我々が音楽と称しているものの大半は調律された音階と、規則的なリズムとで構成されており、それが評価基準になっている。でも、それは極めて人為的な不自然なものであるというのだ。

 実際の音は極めて多彩で偶然性に溢れている。それにこそ魅力がある。これはなんでも他人の基準に合わせることが正しいとする現代人の価値基準と対立するがそれ故に魅力的なものの見方である。

 流麗なメロディーメーカーの意見として玩味すべき文章だ。逝去の報に接し残念でならない。

未来の音楽

 YMOのドラマーだった高橋幸宏氏が亡くなった。ご冥福をお祈りしたい。ライディーンをはじめとするYMOの楽曲は未来を感じさせる音楽だった。今聞いても全く古くない。テクノポップの先駆者であり、天才であったと思う。

Photo by Torsten Dettlaff on Pexels.com

 シンセサイザーが生まれて音楽はかなり変わった。さらに打ち込みといわれているコンピュータ制御が音楽に導入されるとそれまでにはなかったメロディやリズムが生まれ、最初のうちは理解不能だった。何がいいのかよく分からないまま、いつの間にかとりこになってしまうと言った感じだった。リアルタイムでは意識していなかったのだが、高橋幸宏のドラムは打ち込みではなく生の演奏であったということに改めて驚いている。細かなリズムを刻みながらグルーブもあるという独特の演奏であった。

 YMOは私の若いころに活躍し、有名になった後はバラエティ番組などにも出演して笑いを取っていたので、実はあまり評価していなかった。坂本龍一氏がソロで活躍し始めたころ、ようやくYMOの演奏技術の高さに気づいたというのが私の経験である。私にとっては出会ったのが少し早すぎた。

 おそらくYMOの影響を受けたミュージシャンは多いだろう。そして実はローテクノロジーだった時代に、すでに今のようなテクノ音楽を実現していたことに驚いているはずだ。日本のポピュラー音楽も世界に打って出るべきだとは常々思っているが、YMOのような独自性を主張するバンドの出現が期待される。

悲愴ソナタ

 ベートーヴェンのピアノソナタ第8番悲愴を最近よく聞き直している。第2楽章の甘美なメロディは特に有名だ。カンタービレの指示があるように演奏者の個性が出やすくそれも興味深い。

 音楽史的には激動の時代を生きたベートーヴェンの精神的な側面が反映されているという。悲愴というタイトルだが、なぜか力を感じるところもある。悲嘆に打ちひしがれるような状況の中にあってなんとか立ち直ろうとする人間の強さも表現されている。

 最近この音楽が心にしみるようになったのはやはり、周囲の状況があまりにも難しく、漠然とした不安が横溢しているからだろう。逆風をまともに受けながらそれでも前に進む姿をこの楽曲に幻想しようとする自分がいる。