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悲愴ソナタ

 ベートーヴェンのピアノソナタ第8番悲愴を最近よく聞き直している。第2楽章の甘美なメロディは特に有名だ。カンタービレの指示があるように演奏者の個性が出やすくそれも興味深い。

 音楽史的には激動の時代を生きたベートーヴェンの精神的な側面が反映されているという。悲愴というタイトルだが、なぜか力を感じるところもある。悲嘆に打ちひしがれるような状況の中にあってなんとか立ち直ろうとする人間の強さも表現されている。

 最近この音楽が心にしみるようになったのはやはり、周囲の状況があまりにも難しく、漠然とした不安が横溢しているからだろう。逆風をまともに受けながらそれでも前に進む姿をこの楽曲に幻想しようとする自分がいる。

名曲喫茶

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 高校生の頃、友人に連れられて名曲喫茶に行ったことをふと思い出した。何とも不思議な空間だった。

 渋谷駅のすぐ近くにあった店は、いまは全く別の建物に建て変わっており、面影は皆無だ。細い階段を上がると薄暗い店があり、交響曲やピアノソナタのレコードがかかっている。友人は曲名を即座に口にしたが、合っているのかどうなのかも分からない。聞いたこともない作曲家の名前だった。

 メニューはホットコーヒーしかなく、座ると蝶ネクタイをした店員が最低限の言葉だけ言って、その後コーヒーを持ってくる。当時はブラックは飲めなかったので、砂糖を入れるとかき混ぜる音が響きわたるほど店内は静かだ。他の客は文庫本を読んでいるのか、目を閉じていた。男の一人客が多く、高校生は他にはいなかった。友人は楽曲の情報をいくつか呟いて満足そうだった。そのほとんどが理解できない言葉だった。

 皆で同じアナログのレコードを聴くということは現代では殆どない。ましてそれがビジネスになるとは思えない。当時はオーディオブームがあって家庭でもこだわりの機器を揃える人もいた。逆に言うと再生に関わる設備の質に顕著な差があったということであり、自宅にステレオがない場合は名曲喫茶で聴くという需要があったのであろう。加えて音楽好きの醸し出す雰囲気に埋没するという目的も加わる。

 現在は音響機器も発達しデジタルディバイスも各種ある。その質も底上げし、AMラジオの音質に耐えられる人はもはやいないだろう。昔ならハイレゾとでも言っていた高音質の環境に慣れきっている。しかも様々なチャンネルや、サブスクリプションの中から選び放題の中で、他人とともに自分が選曲していない楽曲を楽しむということに金を払う人がどれほどいるのだろう。いろいろな意味で名曲喫茶の復活は難しいかもしれない。

 懐かしい過去の風景の中にあったものは、今では存在しえないものもある。

校歌

校歌覚えている?

 卒業した学校の校歌を歌えるだろうか。校歌のことを考えると様々な物語が思い浮かぶ。

 流石に幼稚園に園の歌があったのかは思い出せない。小学生時代は転校を繰り返していたので4校に通ったことになるが、そのうちの1校はどうしても思い出せない。また入学した最初の学校は新設間もなかったらしく校歌がなく、行政自治体の市の歌を歌った。やたらと難しい歌詞と曲、作詞は森鷗外と自覚したのは何年も経ってからだ。

 中学校からは対外試合の応援などで歌ったからよく覚えている。住宅地の小さな学校で残念なほど狭い校庭だった。ここではいろいろな大切な時を過ごしたが、残念なことに廃校になってしまった。校歌には過密都市になる前ののどかな風景が歌われていた。

 元女子校であった高校の校歌は複雑で合唱曲のようだった。通して歌える生徒は多くなかった。それでも、試合の時の応援には声を揃えて歌った。およそ応援には向かない優雅な曲であったが。

 大学の歌は応援歌の方が有名で校歌(正式にはそう言わないが)は知られていない。でも野球の応援などで歌ったのでいまも歌える。

 校歌のことを考えると過去のいろいろを思い出す。ところで卒業した学校がすべて存続している人はどのくらいいるのだろう。その人はかなり幸せだ。

若い人の歌

 若い人の歌を年甲斐もなく覚えようとしている。back numberというバンドの水平線という曲は懐かしいメロディラインなので親しみやすい。

 おそらく若者の挫折に向き合い、それを癒やす歌と言えるのだろう。自分の失敗が誰かにとっては美しいものであり、その逆もまた然り。禍福は社会の中で循環するものなのだということだろうか。

 そんな理屈をこねること自体、若くない証かもしれない。いい歌なので歌えるようになりたい。キーが高すぎるのが難だが。

小鳥ならば

 先日、インターネットを通して外国のラジオを聞いていたら、懐かしいメロディが聞こえてきた。でも曲名が思い出せない。最近はメロディも検索できるサービスがあるが、そこまでの必要性も感じず焦燥たる思いで過ごしていた。

 すると、突然メロディの訳詞が思い出すときが来た。「小鳥ならば君のもとに飛ばんを」だったかと。これはどうも不確かなもののようだが確かそのように覚えていた。ここからは検索できる。この曲はドイツのもので日本では夜汽車と訳されており、望郷の思いである。だが、ドイツ語の直訳は私の記憶のものに近く、離れた恋人への思いを歌ったラブ・ソングである。訳詞の際の変更は子どもに歌わせるためだったのだろうか。

 隔離を余儀なくされている人々にとっては心に響く。まさにいまの世情にあった曲だと思った。

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フォークソング

 中学生にフォークソングを知っているかと尋ねてみた。するとほとんどの生徒が知らないという。民謡と混同する者、ダンスの方を想起する者など意外な結果になった。

 もっとも私の言うフォークはいわゆるニューミュージック世代以降のものであり、政治的色合いがあった先輩たちのそれは実感としてはない。かつてのソングブックには反戦ものや四畳半ものが少なからず掲載されており、練習用に歌ってみたこともある。ただ憂鬱でつまらないものであった。

 おそらくいまの若い世代にフォークソングを聞かせても演歌の様に聞こえるかもしれない。分かりやすく類型的なコード進行にセンチメンタルな歌詞、私小説的世界観、単純な伴奏、そのどれもが隔世の感覚で捉えられるかもしれない。

 それを嘆くわけではない。時間が経ったということである。

日本型メロディ

 筒美京平さんが亡くなったことを記念していわゆる昭和歌謡がラジオに流れる機会が増えている。懐かしさとともにそこには厳然とした日本型メロディがあると実感した。これを世界にアピールすべきではないか。

 戦後の日本文化はアメリカを中心とした海外要素の模倣と和風化の流れがある。単なるコピーにならないのは、伝統的な日本型旋律の影響や、日本語の歌詞を乗せるという制約のもとに発展してきたからだろう。だから例えば西洋の楽曲をそのままカバーしたような曲でも日本でヒットするのはかなりの和風化が施されたものだ。

 それをまがいもの扱いする時代もあったが、いまとなってはその独自性こそが貴重なもののように感じる。こだわりなくいいとこ取りをしたようなメロディラインや、エモーショナルな響きを重視する曲作りなどは日本楽曲の特徴であり、海外にもっとアピールしてよいのかもしれない。

 評価されるべきものがされていないことが問題かもしれない。これは楽曲の話だけではない。

投げ銭

 ネット配信したパフォーマンスに対して少額の料金を自由に払える投げ銭システムを、Jリーグでも採用することになるそうです。

 ナイスプレイに対して視聴者が金銭的な評価をするのはプロスポーツの世界では理にかなっているように感じます。いろいろと解決しなくてはならない問題はありそうですが、基本的には面白い試みでしょう。最低価格が500円というのがやや難で、50円くらいからに設定した方が収益は増えそうです。

 子どもたちへの金銭教育をどうするのか。チームや選手への配当の透明性など説明責任も伴います。克服できればマイナースポーツや演劇やその他のステージなどでも採用できるところはやってみてもよいのではないでしょうか。関係者にはシステム利用料などを開示してほしい。

こういうときだからこそ新しいことへの挑戦も必要になります。

発車ベル

 駅の発車ベルの中にはその駅でしか使わないオリジナルメロディーがあります。もっと普及してもいいと考えます。

 電車の発車ベルには様々なメロディーがあり、中には駅のイメージにあったものや、民謡などのご当地メロディーのものもあります。地下鉄東京メトロ乃木坂駅のベルが「君の名は希望」という乃木坂46の歌の一部であることはその典型です。

 発車ベルにはかなりバラエティーがあるのですが、多くの場合汎用されています。できれば個性的な発車ベルがもっと増えてほしいと思います。

トランペットの音色に

 先日、トランペットのソロコンサートに行ってきました。勇ましい音色の楽器という先入観を見事に覆す演奏会でした。

 トランペットには煽情的な要素があるようです。恐らく吹奏楽の持っている根本的な力は人の気持ちをあおることにあるのではないかと感じました。それを力強く使えばファンファーレのようなものに、かつては軍楽でも使われていたといいます。ただそれをメロウに演奏すれば心の琴線に触れることができることが分かったのです。

 息を吹き込む時のわずかな音、空音というのか何というのかはわかりませんが、それがまた心を揺らします。人間が吹いているということを感じさせるからかもしれません。金管の魅力を再確認したのでした。