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新機軸

 新しいことを始める際には、いままでの経験を敢えて変えてみることも求められる。改善が原則だが、敢えて逆を試してみることも必要だろう。

 効率性なり生産性を重視ししすぎると冒険ができなくなる。一時的に起きる損失が大きい場合は特に躊躇する。致命的な失敗にならないのかと心配してしまうのだ。この範囲に留まる限り、新しいことはできない。

 逆に言えば新機軸を見つけるためには損失を覚悟して、更にその先を考えることが必要ということだ。始めなければ何も起こらない。まずはやってみよう。

 できたことを記録していくのも励みになる。それもやってみる。

新しい試み

 脳科学者が発言する言葉にはどこか超科学の香りがする。もちろん、実証に基づく理論であることは分かっている。ものを考える仕組み自体を考えるという段階において私には手に負えない。

 だから、言われたことをある程度は鵜呑みにするしかない。最近気にしているのは前頭葉の衰退をいかに避けるかである。これは何か新しいことを行うときに活躍する部位であるそうだ。経験に基づき習慣化した行動をしているときは不活発になるという。脳が老化すると前頭葉の働きが落ちるらしい。

 これを避けるために新しいことに臆せず挑戦することが必要ということだ。失敗を恐れてはならない。その失敗経験が前頭葉を活性化するのだとか。ブラックボックスの部分を検証できず言いなりなのだが、結果的にはいまの私には向いている助言のようだ。日々これ挑戦。

感情の名前

 自己暗示の手段として感情の把握というのがあるらしい。自分がいまどのような感情に包まれているのかを把握すれば対処の仕方があるというのだ。

 冷静に考えればこの考えには矛盾がある。人の感情は多種多様で限りない連続体である。常に動いていて変化は止まらない。いまどんな感情なのかを説明することは走っている自動車のタイヤの文字を読むより難しい。

 それでも敢えて感情に名前をつけるのだ。全力で走ったあとで、ふとなぜ走るのか疑問になって叫んだときの気持ち、などと状況を限定すればその時の感情として標識化できるのかもしれない。

 感情に命名するとある程度その感情を把握することが可能になる。場合によっては制御も可能だ。こうして自己暗示するための手段になりうるということだ。

 付けられた名前は所詮近似値のようなものだ。でも、不正確でも自分の内面の一部を掴むことで安心感が得られる。それが自己暗示には大事だということだろう。

偶然

 地球の歴史をたどる理論にふれると、現在のあり方が実に偶然の産物であることが分かる。生命の発生にしても、数多くあった大量絶滅にしても人智を超えた自然現象であった事が分かる。

 今日のさまざまな人間の活動も実はそういう長い地球の歴史からすると偶然の組み合わせで一瞬で消え去るものに過ぎない。そういうことを直観し、長く心に留めることができればさまざまな悩みはなくなるはずだと考えてしまう。

 実際にはちょっとしたことで心が動き、近隣の幸福を羨望し、自身の不幸を嘆息する。結構恵まれていていても、まるで不幸のどん底にあるかのように感じてしまう。それが生活の実感というものだ。

 何を目標に生きればいいのか。時々そういうことを思う。しかし、その思いは続かず、また日常の些事にとりこまれてしまう。それが私の弱みというものだ。

 逆に考えることにしよう。弱みは強みだ。自分をときに上から考えて知ったかぶりできる力は持っていると。そういうことがこのあと何かの役に立つかもしれないと。

具体例の豊富さ

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 いろいろな自己啓発系の本を読んできて思うのは、述べられていることを要約すると古典の先哲の述べていることとそうは変わらないということだ。新しい考え方というが実は、何百年も前の人が残したこととあまり内容が変わらないということ多々ある。何が違うかといえば、それは具体例をどれだけ示せるのかということだ。

 私たちが何かを理解しようとするとき、意見や主張にあたる部分だけを読んだり、聞いたりして納得できることは少ない。説得されるためには自分の経験や知識と重なる具体例があることが関係する。自分の経験に近いからもしかしたらそうかもしれないと納得することができるというわけである。どんなに正しいことを言われても、それが身近なものでなければ自分の問題として理解することができない。どうも私たちの頭脳というのはそういう仕組みになっているらしい。

 よく売れている本を読むと、その具体例が非常に豊富だ。中にはできすぎではないかという例もある。これはクリティカルリーディングが求められる領域だ。それを差し引いてもなるほどと思わされる事例がたくさんある意見に対して納得をしやすい。

 この手の本を書く人はインタヴューに力を入れている。その蓄積が作品の成否に大きく関与すると言ってもいい。偉大な宗教者や哲学者もそうした具体例をたくさん持っている。本当に体験したこともあれば、人の輪を通じて入手した事例もあるのだろう。それを言語化し、自分の考えに結びつけられたものが思想を展開できたのだと思う。これは今も昔も変わらないのだろう。

 自分のことを振り返るに、やはり圧倒的に言語化という方面ができていない。これといった経験はしてきていないし、人に誇れる行動もない。でも、ささやかな経験の中から受け取ったことはたくさんあったはずで、そのたびに自分の言動を修正してきた。そのほとんどを忘れてしまい。言葉にできない。感動の体験を少しでも言葉にすることをこれからの小さな目標にしていこうと考えている。このブログはそのごく一端を記すためのメディアである。

動画講座

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 このところ睡眠の儀式として環境音楽のようなものを聴いていたのだが、思い立って大学講座を聴くようにしてみた。なるべく専門から遠いものがいいということで宇宙論や、進化論に関する講座を聴いている。

 各大学が公開講座の記録などをYouTubeに残しているので、これをキューに追加しておいて順番に視聴する。といっても正確には音声しか聴かず、画面は閉じてしまっている。これをイヤホンで聴きながら寝るのだ。講師の先生には悪いが寝るのには適している。単調なお話をする人は特に眠りにはつきやすい。突然場違いなCMが流れるのには閉口する。

 不真面目な受講者だが、いつの間にか身についてしまった知識もある。進化論では地球に降り注ぐ宇宙線の量が問題にされるようだ。放射線を含む有害な宇宙線を普段は磁気のバリアが防ぐが、さまざまな要因でこの障壁が破られたとき、生命の遺伝子に影響し、突然変異を起こしやすくするというのだ。この理論が正しいのかどうかは分からないが、寝ながら何度か聞いたのでそういう意見があるということは分かった。

 不謹慎な受講者は今日も寝るために聴講をすることにする。全くアカデミックではないが、酒を飲んで寝るより健康的ではある。

ゴミの片づけ

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 今回のFIFAワールドカップでも日本人観客の清掃ボランティアが話題になり、賞賛されているという。この話は各種の国際大会があるたびにでるから、一種の伝統となりつつある。このこと自体は世界に誇るべきことなのかもしれない。

 一方、国家としての廃棄物の量という点において日本はかなり問題がある。狭い国土に多くの人口を抱える日本ではごみ処理問題は重大だが、償却か埋め立て、そして聞くところによれば海外業者へ委託して不法投棄をしているとも聞く。これは世界に恥じるべき行為だ。

 最近はコンビニのレジ袋を受け取るのをやめたり、簡易な包装で済ませようとする動きがある。その点では少しずつ意識は高まっているようだ。ただ、大量に出続けるプラスティックのリサイクルがあまり進んでいないことや、食品の投棄など知られたくない問題がいくつもある。

 ごみを片づける公共精神のある日本人故いつかは皆の福祉に役立つ方法を世界に広めてくれるだろう。そう期待するしかない。と言いながら、昨日はたくさんのペットボトルを買ってしまった。せめてリサイクルに出すことにしよう。

口舌の徒

 不透明な時代になったせいか、様々な言説が飛び交い、真偽の程も定かにならない。おまけにソーシャルメディアなどで気楽に言いたいことが言える状況にあっては珍奇な意見も少なくない。中には明らかに収益目的で動いている輩もある。その中でいかに正気を保てるだろうか。

 いわゆる口舌の徒はかつてなら相手にされなかったはずだ。ところが、気の利いたことさえ言えば認められ、中にはそれに従ってしまう人が出るのが現実だ。発言者も一時的な注目を集めることだけしか考えていないので責任感がほぼない。問い質すときっとこう答えるだろう。誰が私の発言が真実だなんて言いましたか。その時考えていたことにすぎませんよ、などと。

 無責任さはすぐに色々な人に伝染する。言ってみただけという言い訳は簡単に成り立つからだ。口に出したことは実現するか、せめてそうしたいと心底考えることが必要だ。自分はやりたくないのに、他者に強要したり、自分はやっているのに他人の行動に厳しかったりするのは尊敬できる態度ではない。

 ならば、聞き手の側の態度をいかにすべきなのか。まずはメディアリテラシーをしっかりとさせることだ。また二三の説で判断しないのも大事だ。目についた分かりやすい考えだけでそれが通説と誤らないことだと思う。

 複雑であればあるほどその判断も難しい。ただ間違っても自ら考えたということが大切なのだ。この過程を忘れると私たちは何者かに支配されてしまうはずだ。

 

治癒

 ホメオスタシスという言葉に慰められている。体調が悪いときはひたすら休むしかない。薬はあくまで補助的なもので、身体自体が健康を取り戻すために戦ってくれるのだ。

 風を引いたり、腹を壊したり、そういう病には何度も直面してきた。それでも数日後には回復が始まり、10日もすればほぼ元通りになる。これは身体がもつ平衡保持能力の為せる技である。

 生き物の仕組みとしての能力に驚かされる。いまはその進化の過程で獲得された能力を感謝しよう。

ギアチェンジ

 今朝の天気は明らかに冬の様相だ。重い曇天に町が覆われている。マイナーの音楽が流れそうな雰囲気だ。季節がここで大きくギアチェンジしたことが感じられる。体調が思わしくない。倦怠感などはないが、多少気になる。今日は大人しく過ごして切り抜けよう。