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もっと簡単に

コンピュータを毎日使う日々が来ることは私が中学生の頃は想像できなかった。一部の科学者とか、特殊な職業の人だけが使うものであると考えていた。それが今は誰でも使う。おそらく一人一台では済まない。多くのコンピュータを使っている。

いわゆるパソコンというものはその中の代表だが、これに関してはいまだに操作が難しい。かつていちいちRUNなどと入力して始めていた頃に比べれば雲泥の差だが、それでもまだ難しいのだ。加えていま高齢者が使いこなせるパソコンがあるかといえばかなり難しい。自分が歳をとって分かったのだが、画面の文字の小ささだけでもう難しくなる。キーを叩くことも障害が出始めると難しくなる。音声認識もしわがれた声でどれほどできるのかが問題だ。

PC操作はいまはできても

コンピュータが人間の要求に答えられるようになるためには一段と開発が必要になるだろう。今はAIによる補完という考え方が主流になっている。衰えた認知力や記憶力、運動機能などをAIが予測して提供するというものだ。これにも様々な問題はあるが方向性としては間違っていない。杖か車椅子のような役割を果たすものを開発していく必要がある。

杖に例えたのは、あくまでも歩くのは人間であるということを言いたかったまでだ。車椅子の比喩もしかりである。あくまでも主体は人間でありそれを補助する道具としてコンピュータが活用されなくてはならない。

遠隔地由来の津波

 トンガ王国で起きた海底火山の大規模な噴火は、広範囲な地域に影響を及ぼしている。特に津波は想像以上に深刻なものであり、日本でも被害が出ている。

 15日におきたという海底火山の噴火は衛星画像からもはっきりとそれとわかる規模のもので、100年に一度もしくは1000年に一度の規模のものであると報じられている。この噴火の影響で日本でも気圧の変化が観察されたことから、相当な迫力を持つものであったとわかる。日本からトンガまでは約8000㎞離れており、同距離の場所としてはアラブ首長国連邦あたりでありかなり遠い国であるにも関わらず。

 今朝の報道によれば17日にも大規模な火山噴火があったとのこと。詳細は未詳ながらも再び津波の発生がないのかは確認しなくてはなるまい。トンガをはじめとする近隣諸国の人びとの生活が心配だ。さらに噴煙や会場に浮遊した噴出物の問題もさることながら、農業地帯であるオーストラリアやニュージーランドへの影響が懸念される。国際的な救援を考えるべきだろう。

 さて、標題の日本の津波に関しては15日23時55分に奄美大島で1m20㎝、岩手県久慈港では16日2時26分に1メートル10㎝の潮位上昇を観測したという。かなりの高さである。東日本大震災の津波で再確認したが、津波は通常の大波と違い、波面が全体的に持ち上がるため陸地がそのまま飲み込まれる。だから数センチでも被害が出ることが多い。報道によると北米でも同様の津波が観測されている。現時点での報道では噴火地点に近い場所よりも、遠隔地の方が津波の高さが高くなっていることもある。油断はできない。

 遠隔地で起きた地震により、津波が発生し被害が出た記録といえば1960年のチリ地震津波をあげる人は多い。私が生まれる前のことなので内閣府の公開している「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1960 チリ地震津波」を参考にしてみると、「昭和35年5月24日早朝来襲したチリ津波は、北海道から沖縄までの太平洋沿岸各地に被害を与えた。体感する地震がなく、気象庁の対応も遅れ、完全な不意打ちであった。南米沖で発生した遠地津波は、1586年以降19例もあったのだが、その認識が不足していた。」とのことで、地球の裏側で起きた地震がまさか大きな津波被害をもたらすとは考えていなかったというのだ。死者・行方不明者139名、負傷者872名が当時警察の発表の被害者数だが、この報告書によれば、返還前の沖縄の死者3名が含まれていないということである。

Photo by Kellie Churchman on Pexels.com

 東北地方の太平洋側の住民は古来から何度も津波被害にあっており、他地域より備えはあったのにもかかわらず、体感なき地震による津波には対応できなかったことになる。また、インターネットのない時代、広報はマスメディアにたよらざるを得ず、情報不足がもたらした被害であったと今ならば言える。16日の深夜から未明にかけてスマートフォンなどで津波警報が鳴り続けた。数多く寄せられたクレームに対し、神奈川県知事はその方法に問題があったとして謝罪したが、情報があるということの重要さは忘れてはならないだろう。

 遠く離れた場所に由来する津波も決して侮ることはできない。このところインドネシアや南太平洋で大きな地震が相次いで発生しており、油断はならない。日本は自国で発生する地震への備えとともに、海を隔てた地域へのアンテナもつねに張り続けていなくてはならないのだ。

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成人

成人の日は私にとってはもう刺激のないものになっている。成人の定義がまったく現実とあっていない。精神年齢的にはもっと上の年齢を設定すべきだと思うし、経済的にはもっと下でもいい。早く独立して稼げるような仕組みもあればいいと思う反面、しっかりと人格形成をしたほうがいいとも思う。つまり成人の境は非常に曖昧で難しい。

日本の少子化は全く収まりそうもない。この後の時代には大量の高齢者がなんとか自活をして生き、そして力尽きていく。若者はその煽りをうけて苦しい生活を続けるか、もしくは画期的な方法でこれまでにない社会を作る。私は後者になると考えているが、そのためにはあまり年寄りが出しゃばらないほうがいい。

Sasin TipchaiによるPixabayからの画像

新成人には申し訳ないがいまの日本では黙っていても幸せになれるような状態ではない。自己開拓で新しい時代を作るしかないのだ。起業独立を考え続けてほしいし、過去にとらわれてはならない。誰も知らないことを始める必要がある。

ただし、踏み外してはならないのは利他的な観点だ。自分さえ良ければいいというのは成人の先輩たちが犯してきた大失敗だ。一見良さそうに見えるが実は致命的な結末がある。他者を不幸せにする方法はすぐに自分に跳ね返る。だから、自分を含めた周囲の人を幸せにするという視点を持ち続けるべきであるし、その範囲を広げていかなくてはならない。

だから独立することがだけが能ではない。場合によっては協働し協力することが必要になる。お互いが目的をもって協力すれば相乗効果でより素晴らしいものが生まれるはずだ。もちろん意志をもった者同士が意見を言い合えば衝突もある。それを乗り越える方法も確立していくべきだ。

みなが幸せになるためには何が必要なのか。今何が足りないのかを考えればそこに自立の緒がありそうだ。実は私自身もそれを常に探している。成人になるというのは社会や世界を考えながら生きるということではないかと考えている。



数学的思考

 ある人のインタビュー記事を読んでいたら、多くの人には数学的思考がなさすぎるという。そのために事実誤認が生まれ、さまざまな悪影響に繋がるというのだ。

 確かに私は物事を経験的な感覚でしか捉えていない。そしてその多くは間違っている。だか、私以外の人も同じような間違いをおかしているので困らないのだろう。

 日常些事ならばそれで済む。ただしこれが累積し、継続性を持つようになると大きな問題になる。科学的思考がとれなくなると、思い違いで酷い結果が増幅してしまう。それは損失以外の何者でもない。

 不利益を受けるのが自分だけならば自業自得だ。それが他者に影響するとなると問題は別次元になる。後生に課題を残すならばさらに問題だ。SDGsよりも大切なのはまずは思い込みによるエラーを減らすことにあるのかもしれない。

 数学の理論を学び直すのは容易ではない。ただ、単純な算術でもよいから、理をもって考える癖をつけなくてはならないと痛感する。

年頭のごあいさつ

 2022年が始まりました。新年明けましておめでとうございます。

 おめでとうというのは予祝の呪術と学びました。まだ何も祝福すべきことは起きていなくても、めでたいと言うことで周囲にそのような状態をもたらすというのです。これが正しいのなら私は何度も言いたいと考えます。

 パンデミックが始まってから2年が経過しいまだ安心のできない日々が続いています。真夏のマスクを2回もしなければならないとは思いだによらなかった。それでもなんとか耐えてここまできたのです。この事実だけでもめでたいと言うべきかもしれません。

 予祝の意味を込めて、さらなる幸せが皆様の周りで重ねて起こりますように。

 明けましておめでとうございます。

鉢を割る

 駅に向かう途中の道端に置かれている素焼きの鉢が割れていた。さては誰かのいたずらか。それとも自転車か何かが衝突したのかと思った。だが、どうも違うらしい。

 割れた破片は外部からの圧力ではなく内側からのエネルギーのベクトルを表していた。鉢は自ら割れたのである。皮を剥いたときのように広がったかけらがそれを示していた。よく見ると、底面にもたくさんの根がはみ出している。どうやらこの根が鉢の側面に圧力をかけた結果なのだと納得した。

 植物の力は実は強大だ。整備しないままの舗装道路が、雑草の繁茂によって亀裂ができている風景は田舎に行くと当たり前にある。田舎の話ではない。都心でも手入れを怠ればたちまち植物に侵食されるという、

 生き物の力を実感する風景であった。

判断力の低下

 加齢すると判断力が低下するのは高齢者の自動車事故の事例からも容易に分かる。残念ながら脳の機能が低下してしまうのはいかんともしがたい。ならば、どうすればいいのか。AIに頼るというのはもちろん一策であるが、まだそれが実用化するにはもう少し時間がかかる。

 では、何ができるか。いまは自分なりに学習し、理屈で生きるしかなさそうだ。アルゴリズムを自ら作っていくということだ。機械がやってくれる前に自分で考えることになる。もちろんコンピュータのようにはできない。単純な法則を決めてやるしかないのだろう。

 その意味では昔から言われてることわざというのは知恵のエッセンスのようなものだ。短い言葉のなかにやるべきこと、してはならないことが詰まっている。ただ問題なのはことわざには相反する内容がある。「急がば回れ」と「善は急げ」は真逆だ。そのどちらを取るのかは今置かれている自分の状況を分析して判断していくしかない。ただいずれにしても行動を単純化するのが高齢者の瞬時の判断力低下の補助になることは確かだ。

ハロウィン

日本でもハロウィンが行われているが、その意味を理解している人は少ない。子供の行事としてではなく商店の売出しの手段、大人のバカ騒ぎの言い訳として定着している。しかし、昨今のコロナ禍の影響で暴徒化する不届き者はしばらく途絶えている。

ハロウィンの化け物の正体は実は先祖の霊魂であるという。このあたりは日本の民俗に見られる鬼の形相をした先祖まつりと似ている。神と怪物は紙一重であり、まして劣勢の神話は妖怪化しやすい。祖先神とともに邪悪な霊が来訪するという考え方も日本の施餓鬼棚の習慣とよく似ている。仮装する行事としては京都の節分おばけが知られている。鬼面や天狗面をつけて先祖の霊になりきる行事は日本各地にある。ケルト人の信仰が元と言われるが、日本民族と直接の関係がない民俗に共通点があるのは興味深い。キリスト教とは無関係の行事なのでこの習慣がない国も多いらしい。

日本でハロウィンが受け入れられたのはもちろんアメリカとの関係によるものであろう。また、クリスマスまでの商機に利用されたこともある。ただその基層部分には古代信仰の偶然の類似があると考えられるだろう。それを意識している人は少ないにしても。

ハロウィンの起源には魔除けの要素も含まれていたという。もしそうであるならばウイルスという目に見えない魔物を退散させることを願いたい。東京では感染者数が激減しているが、世界的にはまた増加傾向が見られるという。完全に魔物が霊界に戻ることを期待して止まない。

Photo by Toni Cuenca on Pexels.com

Halloween is also celebrated in Japan, but few people understand its meaning. It is not a children’s event, but rather a means for merchants to sell their wares, and an excuse for adults to make a fool of themselves. However, due to the recent corona disaster, the number of rioting miscreants has ceased for some time.

It is said that the true identity of Halloween monsters is actually the spirits of ancestors. This is similar to ancestral festivals in the form of demons in Japanese folklore. There is a fine line between gods and monsters, and inferior myths are more likely to turn into monsters. The idea that evil spirits visit us along with the ancestral deities is also similar to the Japanese custom of the “Segakidana”. The Setsubun Obake in Kyoto is well known as a masquerade event. There are many events all over Japan where people wear ogre or tengu masks and pretend to be the spirits of their ancestors. They are said to be based on the beliefs of the Celts, but it is interesting to see the similarities in folk customs that have no direct relationship with the Japanese people. It is said that many countries do not have this custom because it has nothing to do with Christianity.

Of course, the acceptance of Halloween in Japan is probably due to the relationship with the United States. It was also used as a commercial opportunity until Christmas. But at the base of it all, there is a coincidental similarity to ancient beliefs. Even though few people are aware of it.

The origin of Halloween is said to have included an element of protection from evil. If this is true, I hope that it will help to get rid of the invisible demons called viruses. In Tokyo, the number of infected people has decreased drastically, but worldwide, the number is increasing again. I can’t stop hoping that the demons will completely return to the spirit world.

Translated with http://www.DeepL.com/Translator (free version)

Deeplで翻訳してみました。日本語の名詞の間違いを直しましたが、それ以外は結構、うまく行っているような気がします。正解はわかりませんが。

嵐の後

 台風一過の晴天、この季節にしては暑い一日だった。今日はここまでの鬱憤を晴らすのためなのか近隣のモールにも相当な人手があった。駐車場の待機列も長く続き数年前の日常が戻ったかのような錯覚にとらわれた。

 ウイルスワクチンの接種が続けられてきたため感染者数は今後現状傾向になるはずだ。ただ、これはマクロの話であり個々人のレベルでは危険な状態は継続されている。それが難しいところだ。戻ってきた人出の顔にはマスクがあることを忘れてはならない。

 嵐の後の喜びは今日のつかの間の風景だった。本当の嵐が去ったあと、人々はもっと笑えるのだろうか。その日は近いのだろうか。

9月

 今日から9月だ。伝統的な暦ではすでに秋は始まっているが、この月を季節の変わり目と考える人は多い。今朝も昨日と比べるとかなり気温が落ち、何かが変わったことを感じさせる。

 日本では夏休みが終わり2学期が始まるのがこの月だ。最近は地域によって様々な形があるので一概には言えなくなっている。再始動の月であることは確かだ。

 集団生活の復活に緊張する子どもがいることがこの時期の年中行事的な出来事である。今年は少し様子が違う。コロナウイルスの感染が一向に収束に向かわないので、登校を辞退するという選択肢があるのだ。行きたくないからの理由が、個人的な問題にとどまらなくなっている。

 生徒、学生諸君には早く平常の学校生活を送っていただきたい。失われた何年などと後で言われないようにやれることはやっておこう。