タグ: 文化

新札まだ見ません

 新札が発行されて何日か経ったがいまだに実物を見ていない。職場でも見たのは一人だけだ。今後、こんな話は忘れ去られてしまうのだろうが、新札への切り替えは暫く時間がかかる。

 ましていまはキャッシュレスの時代だ。スマホのバーコードを見せるだけで大抵の買い物ができてしまう。そういえば福沢先生を買い物で使った最後の時はいつだったのか思い出せない。

 紙幣の歴史については教養課程の経済学の時間で学んだ知識がアップデートされていない。要するに石でも葉っぱでも何でもいい。流通しさえすればそれが通貨なのだ。紙幣は現状では究極の物理的通貨であるのに過ぎない。

 とはいえ、なぜ渋沢栄一なのか、津田梅子や北里柴三郎はいかなる人なのか。天皇ではなぜいけないのかなどと考えることでこの国の文化と歴史を考えることはできる。

 通貨に政府と国民が何を見いだそうとするのか。紙幣はそのシンボルとしてはとても興味深い。

窮すれば通ず

 中国の四書五経の一つ「易経」に「窮すれば転ず、転ずれば通ず」と読める一説があるという。困難な状況に陥ると、かえってそこに打開策が見つかり、新局面が現れる可能性があるということらしい。楽天的な考え方だが、今の私にとっては頼もしい金言だ。

 いろいろな意味でこれまでの経験が生かせず、新しい事態に対処できなくなっている。しかし、こういう難局こそが自分の生き方を変え、新しい方向性を拓く可能性を生み出すといえるのであろう。成功体験を積み重ねているうちは、次の選択肢が見当たらない。目に入らないといった方がいい。それが手詰まりが起きるとやらなくてはならないことが出来し、それが現状打破につながるのだろう。

 窮する前の段階として「貧すれば鈍する」というのがある。生活苦は人間の正確な判断を失わせ、時に誤った行動に走らせる。そこで自他に大きな損害をもたらしてしまうことがある。そうならないことに気を付け、窮する段階までもっていかなくては通ず状態にはならないのだろう。中国の古典は現代社会を生きる上での生活の知恵になり得るものがある。

七夕伝説

 新暦の七夕は梅雨のただなかで雲に覆われて何も見えない。子どもころはそういう風に言われてきた。しかし、今年の天気では今日も猛暑であり、天の川を見ることもできるかもしれない。ただし、七夕の星が見やすくなるのは少し夜更けて後である。旧暦の七夕は今年は8月10日らしい。1か月後には牽牛織女星はかなり高い位置になり見えやすくなる。

 よく言われるように七夕は古代中国の伝説に乞巧奠という習慣が融合し、さらに日本にわたって神に捧げる衣を織る聖なる機織りの女(これを「棚機たなばた」といった)ものが融合して今の形になったといわれている。日本の神の衣を織る女の姿は古事記の中にすでに見える。スサノヲとアマテラスがウケヒによる争いをしたあと、スサノヲが行った暴挙で機織りが陰部をついて死んだという伝説があるが、神の近くにそういう女性が使えていたことの反映かもしれない。「たな」は水辺に設けられた舞台のようなものであったという説を聞いたことがある。神を迎える神聖な場所だったのだろう。

かささぎ

 笹に短冊をつけて飾る習慣は江戸時代に広まったとされる。主に字の上達を願うことが多かったようだ。笹は使用後に河川などに流された。他の節句行事と同様に本来は禊祓の意味が強かったらしい。今日では願い事を書くという行事となっているが、むしろうまくいかない何かを笹に託して流し去ることの意味を故人は感じていたのかもしれない。

 さて現代の七夕は短冊という小さな面積の紙片に願い事を書くということに主眼が置かれている。七夕の伝説を正確に言える人は少ないし、空を見上げてどれがベガでアルタイルなのかを示せる人も少ない。中国の伝説では白鳥ではなくカササギであることを知る人も少ないし、カササギがどんな鳥なのか、実は日本にもいる鳥なのだということもあまり知られていない。

 まさに大陸と日本の伝説が融合した行事の典型である七夕をもっと大切にしていいのかもしれない。韓国では칠석、台湾では情人節、ベトナムではLễ Hội Thất Tịchというそうで(旧暦で行うが)、いわゆる漢字文化圏で共有される行事としてもっと尊重していいのではないか。

悲恋の文学

 かつて万葉集を研究していたころ、相聞には悲恋もしくは不如意の恋愛模様が描かれていると諸学者が述べている著述に接した。

われはもや安見児やすみこ得たり皆人の得難えかてにすといふ安見児得たり

 のような恋愛の成就を高々と歌うのは例外で、大抵はかなわぬ恋、離別、死別、旅による遠距離恋愛の思いなどが歌われている。「孤悲」という万葉がなが使われている例もあり、確かに悲恋は文学になりやすい。

夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ

 という坂上郎女の歌のようなものが圧倒的に多いのだ。

 この伝統は時代が下っても引き継がれる。王朝和歌でもほとんどが悲恋もしくは相手の不誠実を嘆く歌が大半だ。百人一首は43首の恋歌を含むが、これもほとんどすべてが悲恋の様相である。

嘆きつつひとりる夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る

 藤原道綱母の恨みがましいほどの恋情の訴えは「蜻蛉日記」で描かれた背景を知ると一層味わい深いものになる。恋歌は読者の同情を呼びやすい。恋愛感情は人間にとって共通の思念であるからだ。でも、同時に恋愛は個々別々のものであり、きわめて個人的なものでもある。すべてが違うがその根本に共通するものがあるというのが特徴だ。

恋の行方を知るといへば 枕に問ふもつれなかりけり

 室町時代の「閑吟集」の歌謡も「つれなし」の感情を歌ったものである。こうしたことはいまだに引きずっていて、いわゆるポップスの歌詞もほとんどがうまくいかない恋を歌っている。

もう一度さ 声を聴かせてよ めくれないままでいる夏の日のカレンダー 
ただいまってさ 笑ってみせてよ 送り先もわからない忘れものばかりだ
ココロが壊れる音が聴こえてどれだけ君を愛していたか知って
もう二度とは増やせない思い出を抱いて 生きて… (「幾億光年」Omoinotake

 軽快なリズムと展開の多い楽曲に乗せて歌われる最近のヒット曲も歌詞だけ読むと未練の歌である。こういう内容の歌を私たちは自然に受け入れてしまうのだろう。古典文学を読んでいるとその深奥に本質的な要素を発見することがある。これをもっと考えることが必要だ。

昔覚えた曲のメロディは

 中高生のときは結構歌が好きだった。それもいわゆるニューミュージックといわれていたもので、ちょうどそのころ始めたフォークギターでへたくそな歌をよく歌った。今でもギターをときどき弾く。読書以外では長続きしている趣味の一つだ。不思議なことに全く上手くならないのは趣味以上のものを求めなかったからだろう。

 昔歌った歌を動画サイトなどで検索して再生してみると自分の覚えているのと微妙にメロディーが違うことに気づく。つまり、間違って覚えていたのだ。最近の曲はかなりオリジナルに近い形で歌えるのに、中高生時代に覚えた歌はしばしば間違っている。なぜだろう。

 おそらく昔覚えた曲はテレビやラジオで流れていたのを覚えたので、細かいメロディラインまでは覚えられなかったのだろう。ギターの練習で使った雑誌の付録は歌詞とコードしか書いていない。もっとも楽譜があっても譜読みができない私にとっては同じことだが。だから、なんとなく覚えたときに勝手にメロディを変えてしまっていたのだ。CD(当時はレコード)を買う小遣いもなかった私は耳コピだけが歌を覚える手段だったのだ。

 最近の歌は音楽配信サイトや動画サイトで繰り返し視聴できるので、複雑なメロディラインでも何となくそれふうに歌えることが多い。またギターコードを提供するサイトにもオリジナルの音を再生できる機能を付けたものもあり、それを何度か聞くことで原曲に近い歌唱ができるようになる。

 こういう風に書くといまは便利になってよかったということになるが、実は私が勝手に作り替えたメロディもなかなかいいのではないかと思ったりしている。原作者には申し訳ないが少ない資料の中で必死に覚えた分、なんというか愛着もあるのである。人前で歌う場合(そんなことはないが)は正しく直さねばならないが、自己満足の場合は間違えて覚えたままでいいのではないかと思っている。

変革期の作品の魅力

 激動の時代を生きた人の人生には見るべきものがある。おそらく本人は大変な苦労をしたはずだ。人間不信になったり、死を覚悟して強引に物事を進めた人もいるのだろう。そんな中でも自分の心の在りようを表現できた人は偉大である。

 最近、岩波新書の高橋英夫著『西行』を読む機会があった。いわゆる日本文学研究者ではない筆者にとっては西行は単なる過去の有名歌人ではない。人が変革期に何を表現できるのか。そして、個人の開拓する表現世界は何かということに素直に関心を寄せてきたことが分かる。

 私もかつて古典文学を研究してきたことがあった。そのときには研究とは客観性を重視するもので、私自身の思いを極力排除するべきだと考えていた。また、周囲の人々もそう勧めてきた。でも、よく考えてみれば人間を評価する際に客観的という概念は成立するのだろうか。またその人間が作る文学というものを計る尺度があるのだろうか。

 いわゆる文芸評論家と言われる人の言説を読むのはかつてはあまり好きではなかった。立場によりその評価が変動することが公平ではないように感じていたのである。でもよく考えてみれば公平などありえない。自分の立場で自分の考えることを語るしかないのだ。

 西行に限らず、時代の変わり目の文学には見るべきものが多い。それは沿う感じる自分の人生があるということなのだろう。私の場合、安定した時代を生きてきたから、そういう過酷な時代を生き、なおかつ表現することを続けた人たちに素朴な尊敬の念を感じると言うことなのだろう。

人の識別

 人物を区分するときの類型とでもいうべきものがある。大雑把に言うと日本人の顔はだいたい似たような顔立ちであり、おそらく外国人から見ればあまり見分けがつかないのではないか。私たちが白人や黒人を実はそれほど区別できないのと同じように。

 しかし、同じ日本人でも親疎によって解像度に違いがある。親しい間柄ならば、詳細な差異も見逃さない。僅かな特徴を人格と結びつけて理解できる。逆に疎い関係ならば、分節は荒削りになる。男女、大体の年齢、メガネの有無くらいしか識別しない。

 こう考えると人間関係というのは細かな違いにどれだけ気がつけるのかということになる。私は人の顔は覚えられるが名前が覚えられない。見覚えがあるが名前はなんだったのかと思うことがしばしばある。思い出せなくて申し訳ないということが多いのは困ったことだ。

 人が人を識別するというのはこういうことなのだろう。それがいわゆる顔認証システムのようなものができるともう人間関係はどうでも良くなる。識別の方法は詳しく知らないのだが、要するに顔の形やパーツの配置を数値化して情報として扱うのだろう。この人はABCD型、あの人はABDE型のように。そんなに単純ではないだろうが。こうなると顔を覚えるという意味が全く違うものになる。どんなときでも人物特定するし、とっくの昔に関係が途切れていても誰だかたちどころに分かる。

 人が人を覚えることの意味を考えなくてはならない。そして適度に忘れていく意味を思うべきだ。永遠に忘れられないということは時と場合によっては実に厄介なものである気がする。

立ち直ること

 13年前のこの日は不安で包まれていた。東日本大震災とその後命名された大地震を職場で迎えた私は、交通機関が遮断され、電話が通じなくなった現実に直面していた。停電がなかったのが幸いだった。その後、部分開通した電車で途中駅まで行き、徒歩で帰り着いた。津波の被害や原発事故、その後の混乱などを知るのはそれからの日々だった。

 今年の元日の能登半島地震も驚いたが、考えてみれば数年間隔で大きな地震があり、その中には甚大な被害が出たものもある。世界の地震がかなりの割合で日本で起きていると聞いた。この先もそれは変わらない。

 災害に耐え、立ち向かうのはこの列島に暮らす人間の宿命であり、それに沿った文化形成がなされてきた。私はこれを再認識したい。立ち直ることがこの国の人々の特性である。

 震災のあと私たちはあきらめないことも学んだことは確かだ。それを思い出し現実に臨むこととする。

表現の多様性

 表現の多様性は生活の質を上げるためにも不可欠である。言語による表現は我々の思考と行動の全てに影響を与える。実際には連続的でしかも不定形の世界を言葉はあたかも定形のピースが存在するかのように世界を切り分ける。これは多くの言語学者が述べていることなので改めて言うまでもない。

 使える言葉が少ないと世界の切り取り方は雑なものになる。現代社会は大量生産にとって物が増え、さらにインターネットなどの情報サービスの発展により、物質を超えた情報が重視されている。なんでも機械が処理するせいか、人間が使う言葉の方は貧弱になっており、使える言葉の数が減少しているかのようである。極端にプラスかマイナスしか表現できない。評価の種類が少なく、判断者の意図が正確に伝えられない。

 言葉の数を適度に増やすことは意識して行うべきことだろう。教育の担当者はこの点に十分に配慮すべきだ。そして、個々の学習者が言葉に対する好奇心を持ち続けることが必要なのだ。

国とは何か

 建国記念の日はその前進を紀元節という。初代天皇とされる神武天皇が橿原宮で即位したという日本書紀の記述を強引に現行の暦に当てはめたものであり、神武天皇の存在自体が伝説化されたものである以上、史学的な根拠は乏しい。紀元節は国家としてのアイデンティティを強化し、国威発揚を目的とした行事であった。

 戦後この祝日を復活することはGHQにより拒否されたが、その後、紀元節の色合いを薄め建国という事実そのものを祝う日という意味を込めて建国記念日とすることで野党などの同意を取り付け今にいたった。他国からの独立とか未開の地への移動によって国家が建設された場合は具体的な日付が特定可能だ。しかし日本のように天皇制が維持されてきた国家で、しかも創成期が有史以前に溯ってしまう場合はいつが始まりということはなかなか難しい。

 ならば、一体、国とは何なのか。神武天皇以前に日本列島に住んでいた人たちはこの国の住人ではないのだろうか。神武天皇の即位に関連づけて建国記念の日を決めた以上、やはり天皇制の開始を国の始まりとしていることになる。天皇は日本の象徴ということはこういう意味である。

 国としての勢いが弱くなりつつあると言われる日本において国とは何かを考える必要がある。かつての皇民教育が国民を戦場にかりたてたことは忘れてはならない。ただ、この国の歴史や、先祖が伝承してきた伝説、口碑の類は知っておく必要がある。