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兵士の命は誰のもの

 ウクライナの戦争が長引いている。ロシアの圧倒的優勢かと思われていたこともあったが、実際は膠着状態のようだ。双方の被害は甚だしい。

 戦争は国家の指示によって行われる。兵士たちは任務として破壊行為を行い、殺戮を続ける。この意味で兵隊は国家の意志の体現者である。個人的な怨嗟はなくても命じられて他国兵士と殺し合う。

 ロシアが侵攻したとかウクライナが奪還したとかいうニュース最近連日報じられているがこれはその裏で多くの人が死んでいることを考えなくてはならない。市民の被害は許しがたい。そして兵士たちもまた、国家に命じられてその末に落命したことを考えるべきだ。

 戦闘員の生死は別の話という論法もある。しかし、彼らは好んで戦地に赴いたわけではない。指導者は武力行使以外の方法を考えなくてはならない。すでに犯した罪は大きいが、止めるための勇気も出していただきたい。

気候変動対策

 世界共通の課題として気候変動への対策がある。COP27と呼ばれる国際会議では具体的な対策の実現のために、いわゆる南北問題をどのように克服するのかが話し合われる。

 気候変動の原因が人間の活動によるものとすれば、先進国が悪影響のかなりの部分をもたらしていることになる。地域的な公害と異なり、その影響は地球規模であり、風水害や海面上昇などの害はむしろ発展途上国で顕著だ。豊かな生活を送るために大量の二酸化炭素なり有害物質なりを出している先進国のために途上国は生命の危機に瀕している。

 被害の補償として先進国が援助を行うべきだという議論はなされても、一向に実行されない。様々な利権が絡むため身動きがとれないのだろう。

 生産活動を抑え、経済成長はしないという選択肢もある。それで満足ができるならば一番いいのだろう。実際にはこれが難しい。私たちは今よりいい状態になることを志す本能がある。

 気候変動対策は人間社会の袋小路を出現させそれをどうしたら乗り越えられるのかを何者かに試されている気さえする。

英国首相辞任

 

イギリスのトラス首相が辞任することになった。短命政権だった。彼女がなぜかくも早く降板するのかを知ることは我が国の参考にもなる。

 トラス首相が打ち出した減税策は英国経済を再生させるための方策だった。金を回せば国民は豊かになるというのは、経済の鉄則だ。それを分かりやすく実現しようとしたのだろう。

 ところがこの減税の割合が大きすぎた。財源確保がなされないまま減税することは国家の信用を損ねる。そこで英国の株式が暴落し、多大な損害が出ることになった。おそらくかなりの割合の英国株を買っているのは、英国以外の投資家だろう。信用がなくなれば売りに出され、価値は下がる。首相はこの点を軽視していた。

 もはや自国の経済を支えるのが自国民や自国企業だけではないということを今回の事例は強烈に示してくれた。場合によっては他国の意向で国の状況が左右されてしまうのだ。欧州連合を離脱するあたりからこの感覚が欠如していたのではないか。

 日本もそのことは変わらない。国民向けに甘言を放っても、実現不可能とみなされれば、国際市場から外方を向かれ、ついにはマイナスの打撃を受ける。野党にも与党にも、巧言令色を吐く方は多い。そのうちどれが将来を見越したものなのかを考えておく必要がある。

アクセス解析から

 私のブログは何も目新しいことはないが、毎日何か書くという点だけは続けている。内容よりは継続に重点を置いていると言えるかもしれない。

 アクセス解析機能を使って私のブログの訪問者を調べてみると、日本だけではなくいろいろな国からアクセスしていただいていることが分かる。もちろんこの中には意図的に他国のサーバーを通してアクセスしていただいている方もいるはずだ。WordPressのアクセス解析もフラッグカウンターの統計も参考にさせていただいているが、事実かどうかは保留している。

 それでもlikeをつけていただいた方のブログを訪問すると、英語だけではなくロシア語やイタリア語、そしておそらくスウェーデンの言葉と思われる言葉でブログを書いておられる。私のブログはほぼ日本語で書いているので、それらの国の方はどのように読んでいただいているのか分からない。私は英語を読むことはなんとかできるがその他の言語はまず無理だ。ロシア語のブログはネット翻訳でなんとか読み取れる。イタリア語も出来たつもりになっている。しかし、この翻訳が本当にあっているのかという検証はできていない。

 このようにかなり怪しいのだが、それでも海外のブロガーの文章を読むのは楽しい。素直に同意できるものもあれば、意味が分からないものもある。そのどれもが語りかける。ものの考え方は多様で多彩だ。自分の周囲の状況だけで物事を判断するのはおかしいのだということを。

報復

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 ウクライナの戦争の状況は刻々と伝えられている。ただ、真実の姿は現地に行ってみないとわからない。現地でも分からないかもしれない。なぜこんなにも長期化しているのだろう。

 かつてロシアといえば冷戦時代の双璧の一つであり、大量の核兵器保有、莫大な天然資源を保有する国として圧倒的な強さがあると感じていた。共産党政権が崩壊すると、ソビエトを形成していたさまざまな国が分離し、その一つにウクライナもあった。分離した国の中にはロシア民族から文化的に遠いと思われる国家もあるが、ウクライナはその中ではロシア民族に近いと勝手に考えていた。

 黒海をめぐる紛争はかなり古くからあり、ロシアの不凍港獲得のための歴史の一つとして学生のころから教えられてきた。特にクリミア半島をめぐる紛争は現代の大問題であり、実効支配するロシアに対してウクライナは国際世論のもとで戦っている。今回の大橋の爆破事件はその象徴であるといえる。

 橋の破壊に対してロシア側は報復の爆撃を行ったという。報復とはなんだろう。何に対しての報復なのかすでに分からなくなっている。爆弾を投下する、ミサイルを撃つ口実として使われているのに過ぎない。ウクライナがここまで持ちこたえているのも長い抗戦の歴史があり、負けない方法を身に着けているからだろう。EUなどからの支援も取り付けている。その意味ではもはや地域紛争ではなく、世界大戦の代理戦をしている趣さえある。

 この戦争が世界の人々に多大なる影響を及ぼしていることは事実だ。穀倉地帯の供給をとめ、天然資源の確保が難しくなっている。それが直接、間接に世界経済を悪化させてきている。コロナのパンデミックの余波で様々な問題が発生している中で、さらなる悪影響を及ぼしていると言える。もっと深刻なのが人々の平和の理想をくじくことだ。結局戦うしかないと考え始める人が増えれば未来には絶望しかない。

 報復などしている時ではない。この争いを早く終わらせる叡智を世界は求めている。

差別のない国のはずだが

 多くの日本人は自分の国には差別問題はほとんどないと信じている。私もそうだった。もちろん地域的に差別問題が存在することは承知していた。しかし、それは限定的であり、時代の遺物としてやがて消えゆくものと根拠もなく考えていた。

 ところがどうもそうではないらしい。海外からの入国者に対してこの国は非常に深刻な差別をしている。海外からの就労者が低賃金で働いていることは以前から問題になっていた。不法就労も多いらしく、それを逃れるために日本語学校の生徒という立場で入国するらしいのだ。この日本語学校というのがどうも問題がある。

 九州の専門学校の報道は驚きだった。生徒に鎖をかけて拘束したという。いつの時代の話かと疑ったが、我が同胞が外国人にした仕打ちである。日本人は決して差別をしない民族などではない。残念なことだ。

 もちろんこの報道を全面的に信じる訳ではない。誇張もあるかもしれない。むしろそうであってほしいと願うばかりだ。ただ、不景気になって日本人でさえも貧困化が進行しつつある中で、より安価な労働者としてしか外国人を見ない傾向は今後強まる可能性もある。

 日本人は民度が高いとか、高潔とか言う前にこういう不正を糺さなくてはなるまい。これがごく一部の悪質な人の行為ならばいいが、もし他例もあるというならば猛反省する必要を感じる。いまでこそ先進国を気取っているが、今後日本人が海外で同じような目にあう可能性もある。せめて、我が国の態度を改めようではないか。

広島平和祈念式典

 広島の原爆忌である。平和祈念式典の中では松井一實広島市長は、トルストイの言葉を引用しながら、戦争の無意味さを述べ、ロシアを念頭に核兵器を使用することで勢力を維持しようとする考えが間違っていることを訴えた。また日本のNPTへの参加を要望していた。

 今回の式典では広島出身の岸田首相の発言が注目された。被爆直後の悲惨な状況が詳細に述べられたのは異例であった。それとともに核兵器のない世界を目指すことを述べた。ただ、核兵器禁止条約については触れらえず、思い切った日本の立場の主張には至らなかった。広島出身の首相でさえも踏み越えられないものがあるということが分かった。

 グテーレス事務総長は核兵器を保有する国への強い訴えがあった。核を持たない国に対してそれを使用したり、使用することをちらつかすことはあってはならないと明確に述べていた。

 ウクライナ侵攻が続く中で、日本としてできるのは平和の意味を訴え、その具体的な方策を示すことだろう。どうもその役割を十分に果たしているとは思えない。

 なお、中継の音声にはこの式典を妨害しようとする団体の騒音がかすかに拾われている。平和を願うことすらかなり難しいということはこの事実だけでも明らかだ。我々はよく考えなくてはならない。

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外国人観光客に見てほしい

Welcome

 コロナウイルスシフトが弾力的になってきて少しずつかつての日常が戻りつつある。海外の人のために申し添えると日本ではまだほぼ全員がマスクをつけている。政府は距離が保てれば外しても構わないと言っているのにも関わらず。

 海外の観光客もこれから増えていくはずだ。大量のお土産を買って帰る姿は復活するのだろうか。円安が進む中で狙い時であることは確かだ。

 韓国は前政権が日本との対立によつてアイデンティティを確立していた構造上、民間レベルでも不買運動などがあったという。日本はどうか。一部の人の理不尽なヘイトはあるが、実はかなり少数である。大半は韓国の文化に寛容であり、羨望すら抱いている。年齢層ごとに対象は異なるが、韓国文化に日本人は日常的に接している。日本のテレビ番組表を調べてほしい。韓国ドラマがまったく放送されない日を見つけるのは困難だ。中高生に好きなアイドルを聞いてほしい。きっと韓国人の名前が出てくる。

 異文化に対する寛容さと受容と消化は日本の文化的特質だ。差別という考えも他国に比べると少ないのではないだろうか。もっともこれは数や程度の問題ではない。どのような段階でも人権が蹂躙される機会は注意深く取り除く必要がある。

 その上で、海外の人に日本を知っていただき、一人でも理解者を増やすのは得策だ。海外の人々には日本旅行を検討してほしい。買い物も良いがぜひ真実の日本人の姿をご覧いただきたい。あなたの国で言われているほど好戦的な国民ではない。むしろ穏やかであり、国際感覚には欠けているが悪意はない人たちばかりだ。

 隣国の大韓民国を始め、心の距離が遠くなってしまった国や地域の皆さんが来日して真実の姿を知っていただくことが何にもまさる友好の手段ではないと考えているのである。

19位

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 持続可能な開発目標(SDGs)の達成度を示す指数のランキングが発表され、日本は19位だった。昨年から1位下げており、徐々に落ちていく傾向にある。これをどのように考えたらよいのだろう。

 日本より上位の国はすべてヨーロッパの国である。欧州以外の国を拾ってみると26位にニュージーランド、27位に大韓民国、28位にチリ、29位にカナダであり、再び欧州の国が並ぶ。どうもこれはヨーロッパ各国に有利な指数のようだ。欧州を除けば日本は最もランキングが高いということになる。

 しかし、そもそもSDGsの考え方自体に問題があるようにも感じる。一つ一つの理想は高邁なものだが、結果的に「開発」を第一に考えるものであることには変わりない。現在起きている気候変動などの深刻な問題を「開発」で切り抜けることができるのかは大いに議論の余地がある。結局、何もしないことが最もサスティナブルではないかという皮肉な意見もよく聞く。

 太陽光や風力などのエネルギー開発に関してはかえって環境破壊につながるという批判が多い。今の技術ではその瞬間にはカーボンニュートラルを達成していても、製造過程や廃棄過程で今より深刻な環境問題を引き起こす可能性が高いというのだ。森林を伐採して太陽光発電システムを置いている例を見たことがあるが、これなどはサスティナブルとは思えない。

 ランキングで一喜一憂するのは読み物としては面白いが、本質を考えておかないと間違いを犯す。19位はどのような意味なのかをもう少し考えてみたい。

フィンランドに学ぶ

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 フィンランドの社会制度や教育制度に関する紹介をした新書を読んだ。フィンランドの教育には以前から注目が集まっており、私もいくつかの本を読んでいた。しかし、どうしてあのような高福祉国家なのに(つまり恐ろしく税金が高いということになる)国民の幸福感が高いのかについては今一つ理解できていなかった。今回の読書で少しそれが分かった気がする。

 その一つはフィンランド人のものの考え方にある。北欧の小国という自覚が強く、ロシアに接する地勢上の問題もあって、きわめて現実主義であるという点である。国家として存在できれば個人の利益は譲ってもいいという考え方がある。これは極めて大切な観点だ。一定の緊張感のもと利他的な精神が保たれていることになる。

 今の日本人が学ぶことといえばまずはこのことであろう。アジアの辺境に位置する日本が国家として体をなすためには種々の苦難が伴う。そのことを忘れているのではないか。苦難を乗り越えるためには大同団結できるはずなのに、今の日本人にはその自覚が欠けている。アジアの先進国という自負が真実の姿を認識できなくしていると言える。

 フィンランドが理想の国かといえばそうでもなさそうだ。高福祉国家の宿命であるといえるサービスの平準化がある。最低限の質は保たれるがそれ以上は望めない。平等を重んじるあまり、特異な才能は見逃してしまう。伝統的な絆に関しては崩壊の可能性を常にはらむ。そういった危険性を持っている文化である。

 それでもフィンランドに学ぶことは大きい。私はもう少し学びたいと思った。サンナ・マリン首相が有能な若い女性であることが象徴するように、日本にはないなにかを学び取れることができれば、ダウンサイジングする日本にとっては有益な道しるべとなるはずだ。