人の識別

 人物を区分するときの類型とでもいうべきものがある。大雑把に言うと日本人の顔はだいたい似たような顔立ちであり、おそらく外国人から見ればあまり見分けがつかないのではないか。私たちが白人や黒人を実はそれほど区別できないのと同じように。

 しかし、同じ日本人でも親疎によって解像度に違いがある。親しい間柄ならば、詳細な差異も見逃さない。僅かな特徴を人格と結びつけて理解できる。逆に疎い関係ならば、分節は荒削りになる。男女、大体の年齢、メガネの有無くらいしか識別しない。

 こう考えると人間関係というのは細かな違いにどれだけ気がつけるのかということになる。私は人の顔は覚えられるが名前が覚えられない。見覚えがあるが名前はなんだったのかと思うことがしばしばある。思い出せなくて申し訳ないということが多いのは困ったことだ。

 人が人を識別するというのはこういうことなのだろう。それがいわゆる顔認証システムのようなものができるともう人間関係はどうでも良くなる。識別の方法は詳しく知らないのだが、要するに顔の形やパーツの配置を数値化して情報として扱うのだろう。この人はABCD型、あの人はABDE型のように。そんなに単純ではないだろうが。こうなると顔を覚えるという意味が全く違うものになる。どんなときでも人物特定するし、とっくの昔に関係が途切れていても誰だかたちどころに分かる。

 人が人を覚えることの意味を考えなくてはならない。そして適度に忘れていく意味を思うべきだ。永遠に忘れられないということは時と場合によっては実に厄介なものである気がする。

不安定な大気

 今日は大気が不安定で関東地方は一日中発雷確率が高いのだという。今朝、すでに路面は湿っていたが強い日差しもある。恐らく今日は移ろいやすいダイナミックな一日になるのだろう。

 そのせいなのかやや体調に違和感がある。無理せず、しかし着実にこなしていこう。

楠葉

 公園を歩いていたら紅葉した楠の葉がたくさん落ちていた。夏に向かう今の季節に紅葉があるのは驚きだ。楠は常緑樹だが、初夏に若葉が出る。そのとき古い葉は落ちるのだが、これが紅葉するのだ。

 つややかな葉が赤く色づくさまは美しい。葉によって色づき方が様々であるのもいい。一葉持って帰って保存したいと思うのだが、一枚選ぶとなると決めきらずいつもそう思うだけになる。

 このところ暖かい陽気が続いているので楠葉の世代交代は一層進むのだろう。落葉の方に思い入れをしてしまうのはなぜだろう。

燕の営巣

 数日前、燕の囀りを聞いた。姿は発見できなかったが、恐らく電線の上などにいたのだろう。今朝、それと同じ個体かどうかは分からないが駅の入り口の屋根裏に営巣しているのを見た。早業だ。

 このところ初夏と言うには高すぎる気温の日が続き、今日も夏日になるらしい。燕もせかされているのだろうか。野生動物なのに人間の直ぐ側に巣を作り、我々が手を出さないことを信じているかのようだ。確かにこの間合いはカラスには無理だ。

 おそらく瞬く間に成長し、空をかけめぐることになるはずだ。ツバメが来るとなぜか安心する。

小学生の心

 小学生が主人公の小説を読むたびに思うのだが、果たしてこのような考え方を小学生がするのだろうか、何か根本的な間違いがあるのではないか。書いているのは大人の作家であり、大人の見方で小学生を描いている。そういった疑問が湧く。

 もちろん、これは見当違いな批判である。小学生の話は小学生でなければ書いてはならないとは言えない。過去の人物のことも同じだ。その時代に生きていないならば小説として書けないというのならかなり窮屈になる。むしろ、それらを乗り越えて別人格を作り動かすことが創作の醍醐味というものだ。

 しかし、それでも気になるのは自分が小学生のときと比較してしまうからだろう。果たしてこんなに深い考えを持てていただろうか。そう考えると違和感を禁じ得ないのだ。

 矛盾したことを言うが、小学生の頃の考え方を思い出すことがほとんどできない。どんなことをしたとか、どこに行ったというようなエピソードは記憶していても、そのとき何を考えていたのかは忘却の彼方なのだ。アルバムを開いたとしても断片的な思い出しかない。

 思うに子どもと大人は接続していながらも、どこかに越えられない境界線があるのではないか。その境界を越えられるのは一度きりであり、不可逆の流れが支配している。だから、大人になると子ども時代が急に縁遠いものになり、歳を重ねるほどに理解しがたいものになる。

 子どもを主人公とした創作をするのはそのことへの抵抗なのだろう。絵本のように本当の子どもが大人の作った作品を読むときもあるが、作者と読者が同じ境地に達している保証はない。小学生の心は神秘に富んでいる。かつては自分もそうだったのにもかかわらず。

まもなくハナミズキの季節

 実家に向かう道を夜歩いていたら、桜の花が散り急いでいるのを見つけた。路面のアスファルトに多くの花びらがはりついていた。桜の季節は終焉に向かっている。そして街路樹を見上げるとハナミズキが少しずつ花芽を大きくし、一部は開き始めていた。

 その通りは数キロにわたってハナミズキが街路樹として植えられ、もう少し経つと一斉に開花して美しい風景になる。あちらこちらに似たようなところがありここだけではないのだが、個人的にはなかなかの名所ではないかと考えている。

 満開になるのにはまだ間がある。楽しみにしていたい。

都会の野生動物

 駅前のベンチで荷物を整理していたら小さな生き物が歩道を走って横切り、街路樹のツツジの植え込みの中に隠れた。しばらくすると別の個体がほぼ同じ速度と経路で走り過ぎる。どうやらネズミのようだ。

 人通りの多い駅前にネズミがいることに普段は気づかない。でも、調査すれば恐らく多数のドブネズミなどが生息しているはずだ。ネズミだけではない。多くの野生動物がこの街にもいる。

 少し前にタヌキに遭遇したことがある。アライグマではなく確かにタヌキだった。ホンドタヌキは在来種らしいが、都会に普通に生息しているらしい。外来種に押されているようだが、小さな雑木林でも繁殖できる。

 ハクビシンに出会ったこともある。屋根裏などに棲み着くので害獣扱いになる。他にもいろいろな野生動物がいるようである。身を隠ししたたかに生きている。

 多くの動物たちと共生しているという意識を持つだけで日常の見え方が変わっていく。何でも人間優先という価値観が変われば解決できることが増えるのかもしれない。

季節の変わり目

 朝晩は肌寒いが日中はコートがいらない。明日からコートはやめようと考えている。毎年のことだが、この頃は体調がおかしくなりやすい。身体のギアチェンジがうまくいかないのだろう。悪くするとエンストを起こす。

 季節の変わり目はいろいろな意味で用心がいる。

日本への投資

 日本がアメリカの巨大IT産業の投資対象になっている。マイクロソフトの巨額投資は日本経済の支援を表向きの理由としているが、高齢化の進む社会の中でAIを使った様々なサービスがまず日本で普及発展すると見込み、先行投資することでシェアを獲得することが目的らしい。社長がメディア取材にそのように回答していた。

 すでに直面している人手不足の問題は人工知能の支援を受けて切り抜けなくてはならないと考えられている。雇用を守らなくてはならない地域では職を奪う敵になるが、人手が足りないのを救うのだとなれば社会に益なるものという大義名分が成り立つ。

投資はありがたいが、この中に日本人がどれだけ参加するかが鍵となる。結局、自分たちで何とかしなくては投資が終わればそれまでということになる。この国でしか生まれない発想やシステムをどれだけ出せるのか。もらったチャンスを利用して、それを乗り越える気概が必要だ。

雨のち夏

 朝から雨が降っている。一部では大雨になるという。この雨は菜種梅雨に当たるものらしく、それが明けると季節が進むらしい。一旦気温は下がるがそれ以降は最高気温が20℃以上になる日が続くらしい。

 ここ数年、夏の訪れが早いが今年もそうなのだろうか。身体をならすのが今の課題だ。