書き込むこと

 原稿用紙なりノートなり手帳なりに自分の考えを書き込むことがやはり大切なのだ。デジタルデバイスの普及で私自身もノートや手帳を広げる機会が減っている。

 紙の上に書くのは、現状ではデジタルよりも曖昧で自由な情報がこめられることにあるのだろう。字の大きさや濃淡、不規則な線や、直感的な図など、完全に言語化しにくいものまでを紙面では実現できる。それが表現の多様性を確保しているのである。

 作家の創作メモを文学館などで目にすると、細かいことまで設定しようとしていることが分かることがある。見たこと考えたことを言葉にして書き付けておくことが創作に繋がるのだ。

 私も実は小さなノートをいつも持ち歩いている。ただ、広げても何も書けないことが多い。自分の考えを言葉にしきれないでいるのだ。もう一歩前に進まなくてはならない。

連休

 9月は連休が2回もある。これは設計ミスかもしれない。今年の場合、もともと連休を作るために日にちを移動してきた敬老の日に加えて、秋分の日も日曜に当たるため、振替休日が設定された。

 休みが多いのはいいことだが、曜日ごとに決まったことをする職種にとっては、月曜が集中して削られて行くことは色々な不都合がある。振替休日がなぜ月曜なのかということを考えるべきだ。

 日本は世界的に見ると祝日が多いという。それでは休みが多い国なのかというとそうとも言えない。日本の労働環境では個人が自分の休日を申請することが難しい。制度上は有給制度などがあっても、それを行使するには障害が多い。

 祝日の多い我が国はそれがなければ休むことがままならない。もっと休暇を取れるシステムを各組織が取るべきなのだろう。

太平洋高気圧の功罪

 いつまで「残暑」が続くのかと思ってしまう。長期予報では高温傾向は10月まで継続しそうだという。秋は夏に侵食され、すぐに冬を迎えることになる。

 その原因は太平洋高気圧が日本を覆っていることにあるという。9月に入っても猛暑日となる地域があり、東京もそのわずか手前の毎日だ。夜になっても気温が落ちない。明らかに何かおかしいと感じる。

 ただこの太平洋高気圧のために台風が接近できない。結果的に台風バリアになっている。台風の外周の雨雲を防ぐことはできないが、少なくとも本州地域は台風の直撃を防げている。ならば太平洋高気圧は人間の味方なのではないか。

 

日没

 日の入りの時間が早くなりつつあることを実感するようになった。今日は17時54分だった。日中は相変わらず暑いが、日照時間が減れば少しずつ気温は下がっていくはずだ。

 そういえば空の色も少し変わってきた。とても緩やかだが、夏から秋への移ろいが進んでいる。

自己満足上等

 高温の日々が続いているせいで疲労が蓄積している。暑さのために集中力が失われ、ときに目眩までする。このままでは大きな損失に繋がる。いまは調節が必要だ。

 でも、おそらくもっと大変なのは心の問題なのだろう。9月病などと言われるが、これは中高生だけの話ではなさそうだ。最近、何事にもうだつが上がらないと自覚している私などもその未病者の資格が十分にある。

 周りが自分を評価してくれていないときには、特に落込みがちだ。しかし、誰にも気づかれなくても他人にはできないことをやり続けるのだという気概は持っていたい。すぐに結果を求めるのが最近の風潮だが、そんなうわついた評価はこちらからお断りするべきだろう。

 他の人にはできない何かを愚直に続けるしかない。たとえ誰にも評価されなくても、少なくとも自分は満足できる。それでいいのだ。自己満足できる何かを続けていく。そこに中断の合図がでたら、そこで身を引けばいいだけだ。

二桁になったのに

 9月10日とは思えない猛暑である。身体が暑熱順化した後なので耐えられるが、それにしても暑すぎる。こどもの頃の土用の陽気だ。

 はるか南海上で台風の素が発生しており、沖縄に影響を与える可能性があるという。そのために起きる気流の影響で今月末まで残暑?が継続するらしい。まだ暑さとの闘いは続く。

 このところ休みなしで働き、久しぶりの休日だが、この暑さだと外出も躊躇われる。程よく過ごせる日はまだ来ないのか。

別の物差しがある

 自分らしい表現の仕方ができないと実力が発揮できない。他人の決めたやり方に沿って物事を進めるのは、許容範囲にあるものならば楽でよい。いちいち何をやるのか決めなくてもいいからだ。

 でも、それが自分のやりたいことなり、適性なりから大きく外れているときにはかえってその人の存在を小さくしてしまう。いつもあの人は消極的だとか、能力的に劣っているとか言われている人も、やり方を自分で選べるようになるととたんに才能を発揮することがある。

 やりたいことと、取るべき方法と、その結果とはなかなか良いふうには組み合わされない。なすすべはない。が、少なくとも一つの物差しだけで自他の能力を評価することはよしたほうがいいようだ。見方を変えて違う自分を、別の他人を見つける方がいい。

引き潮の周波数

 引き潮の奏でる永遠のような周波数の波が何かを急かしている。私はその気配を感じることすらだんだんできなくなっている。かつては胸踊る場面でさえも色褪せたものにしか映らないことがある。

 このまま、引いてゆく海の音に溶け込んでいけばいいのだろうか。波の音をかき消すような叫びをあげれば何かが変わるのだろうか。

 よくわからないままに結局毎日を過ごしている。それで精一杯だから、それでいいのだ。そう思い聞かせて思考停止の状態にしている。

党首選挙

 自民党の総裁選挙にはどれだけの候補者が出るのか。政策で競っていただくのは大いに結構だが、なくしたという建前の派閥がまた影で力を発揮するのだろう。そのまま首相になることになる人材だから、全うな方になっていただきたい。

 立憲民主党も代表選をするらしい。野党としては存在をアピールする手段として行うのだろう。政権交代が可能と国民に思わせることが必要だが原状はそれを感じない。公明党も代表交代のようだ。連立与党の存在価値をアピールしたいのだろう。

 民主主義には選挙は不可欠だが単なる話題づくりならば意味がない。先日の都知事選のように売名や商売の機会に過ぎないものを繰り返していると確実に衆愚に陥る。分かりやすく意味のある主張をしていただきたい。

 

法師蝉

 気のせいかツクツクボウシの鳴き声をあまり聞かない。晩夏によく鳴くのでこの蝉が鳴くと夏休みも終わりだと感じたものだ。

 私の住まいの近くだけの現象かもしれないが、ツクツクボウシを聞くことがとても少なくなっている気がしている。これも気候変動の影響なのだろうか。それともあまりに忙しく蝉の声を聞き取る余裕がなくなっているせいなのだろうか。