密かに消えていく

 この時期だからかもしれないがテナントから消えていく店が最近目立っている。もともとあった景気停滞にコロナ禍という負担が加わり、インバウンドも期待できないとあれば小さな店ほど耐久力が及ばなくなるのかもしれない。

 密かに消えていく店の中には、個性的な品揃えや接客のうまい店員のいた店もあった。もう少し利用しておけばよかったのではなどと詮無きことを思う。私の消費だけでは何にもならなかったはずなのに。

 ただ思う。これからは単なる競争原理に任せていると割を食うのは自分たちだと。いい仕事をしている商店は日頃から支えていかなければなくなってしまう。残るのは可もなく不可もないものばかりになると。

燕

 駅に隣接する100円ショップの入り口に燕が入ってくるかもしれないので注意してほしいという内容の注意書きがあった。近くに巣を作った親鳥が迷い込むことがあるらしい。すぐに出ていくので待ってくださいともある。

 燕は遥か南方から渡って来るという。小さく細い体躯からどうしてそのようなパワーが生まれるのか謎だ。さらに敢えて人間の出入りの多い場所をなぜすみかとするのか。それも不思議なものだ。燕は多くの虫を捕食するから人間にとっては都合がよい鳥だ。燕自体は食材にはならないから、燕は人から襲われない。共生が成り立つ条件が揃っているからこのような関係ができたのだろうか。

 燕が家屋などを営巣地とするには長い歴史が前提になっているはずだ。その流れを尊いものだと考える。

延長

 緊急事態宣言は1ヶ月延長する可能性が高いと報じられている。効果はあるのだろうか。

 私は東京都と神奈川県の境に住んでいるためおかしなことに直面している。東京都に位置する飲食店は休業もしくはかなりの時間短縮、数km先の神奈川県ではもう少し長くやっている。人の行き来も多い。

 政治家としてできることはこれしかないのだろうか。あまりにもむなしい。ワクチン接種の普及に全力を注いでいただきたい。調達が難しいのは事実のようなので、どうしたら無駄なく多くの希望者に接種できるかの方策を綿密に考えてほしい。

 やれることをどのようやるのか。叡智を集めなくては。

最終日

 大型連休の最終日、床屋に行ってきた。格安の理容店ながらも腕は確かで客足が途切れることがない。運が悪いと待たされるが今回はすぐに通してもらった。

 言うのはもみあげの位置と刈り上げの有無くらい。後は黙っていてもやってくれる。愛想を言うのが苦手な私にとっては都合が良い。

 終わったあと白髪が目立つことが気になったが、カットは相変わらずうまい。明日からは仕事だと改めて思った。

一年前

 1年前の今日の朝だったはずだ。かなりの高熱が出て激しい頭痛が長く続いた。しばらく様子をみようと考え一日伏せていたが軽減しない。これはもしかしてと考え、不安に襲われた。恐らく数日の話だったが私にはかなり長く辛い時間だった。

 市販薬を飲んでも熱が下がらず、連休中のことゆえ病院も開いていないと心配したところ、かかりつけの病院が発熱外来のみ受け付けると言っていただいた。ありがたい限りだった。

 行ってみると完全な防護服の医師と看護師が迎えてくださった。診察の結果、コロナウィルスの可能性はかなり低いがレントゲンに気になるものがあるので念のためということで地域の大病院を紹介された。この時のご恩は忘れない。

 翌日大病院にいくと、やはり若い看護師と医師が防護服姿で診察をしてくれた。感染リスクに身をさらして私の相手をしていただいたことになる。PCR検査の結果は後日になるということでその日は帰された。

 まだこの段階ではコロナウィルスの情報が少なかったために、どのような症状が出るのか知られていなかったと記憶している。味覚障害については周知されていた。それがないことだけを心の救いにしていた。ただ、その後も熱は下がらず、激しい頭痛があった。薬局がしまっていたせいなのかいつものような処方がなかったのも苦しみを長引かせたのかもしれない。

 翌々日、保健所から陰性の連絡があり、取りあえずは安心した。思うに職場などで感染予防のために窓を開けて仕事をしていたために、風邪を引いたのだろう。その後もしばらく頭痛はあったが次第に治まっていった。

 それから1年を経過して幸いまだコロナウィルスには罹患していない。この日の不安や、医療機関の皆さんのことを思い出すと複雑な気分が浮かぶ。そして同様の思いをしている人がいまも多数出ていることを考えるのだ。

休養ということで

 休養ということでなにもしないという方針を取ろうとしたのだがこれが意外と難しい。つい何かを始めてしまう。おそらく、連休後に休んだつけがまわってくると考えた瞬間に焦りが生じ、安心がなくなる。かといって仕事をしようとも思わないので困りものだ。

 今日は休養ということでネットも見ないと思ってもすでにこうしてブログを書き出している。もちろん他人のサイトをみたり、動画をみたりしている。おそらく本当に休むことができるのは一種の才能がいるのだろう。そういう人こそ、オンタイムには能力を発揮できるのだと思う。

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大荒れ

 昨日は台風並みの強風と激しい雷雨、さらには初夏の強い日差しが繰り返される大荒れの一日であった。不安定な天気は外出を自粛させようとする政治家の方針には合っていたのかもしれない。

 ただ、最近の感染者数、死亡者数の伸びはかなり深刻なものになっており、おそらく連休後にすぐに取り下げるという判断はしにくい状況にある。さらに延長となれば産業界への影響は避けられないだろう。ワクチン接種の促進が解除の鍵となるのだろうがこれも進んでいない。素人のたわごとだが、薬業の基礎体力をつけてこなかった国策が裏目に出ているのではないか。

 大荒れの天気に東北の地震まであり、不安は高まるばかりだが何とか乗り切るしかない。逆境は進歩の土壌となる。それを逃すべきではない。

働く意味を考える

 かつては労働者の日といわれた今日だが、私にとっては子供の頃からすでに過去の行事であった。労働が給与をえるための行動であるという認識しかなかった。そこに働き甲斐を感じるのは付加的価値であり、贅沢な願望というのが実際的な理解であった。

 私の人生を考えると高度成長期が終焉し、バブルからその崩壊後の閉塞的な低成長時代を送ってきたことになる。運良く自らの興味のある仕事につくことができ、初期の頃は分不相応な仕事までさせていただいた。しかし、不景気になるとその夢は消え去り、職場も失いかけた。運良く今の職について私なりに労働の価値を感じ続けている。

 ただ、働くことが疲弊につながると考え出しているのは私が高齢化したからだけではない。労働に余裕がなく、自分の人生を豊かにしているという実感が損なわれてきているのが問題なのだ。目標志向はよい、企業としては当たり前だ。ただそれがあまりに自分の価値観と離れすぎているときには別の問題を生じる。

 この連休は心身の休養ということはもちろんだが、働くことに関しての視座を見直すきっかけにしたい。

旅日記

 私にとっては明日からが連休期間になる。感染者数が上がり続けていく中で旅行は取りやめることにした。残念だが仕方ない。

 近隣の史跡や公園。博物館、美術館に行くのも精神的な旅と考えることにした。KOKUYOの野帳という小さなノートにその印象を書いておくことにしている。チケットなどを貼ると旅日記風になっていい。

 このブログでも書いてはいるが、手書きの気安さと自由度は何ものにも代えがたい。誰にも見られないのもいい。みなさんにもおすすめしたい。

雨天順延

 今日は行事が雨のため順延となってしまった。一日中雨、しかも時間を追うごとに雨脚が強くなっていった。

 考えてみれば、雨ごときで左右されることが不思議だ。いろいろな自然を征服してきたというのに、降雨降雪などの天候についてはまったくお手上げである。まだ自然を完全には制していないことをこのようなときに確認するのだ。そしてそれはなぜか心地よい。

 雨が人事を支配することをうれしく思うのは私だけだろうか。