午前中に短時間であったがかなり激しい雨が降った。梅雨時の降り方ではない。雷雨の通り過ぎるのは真夏の天気のようだった。考えてみれば梅雨のような曇天が長く続き、かといえば真夏のような陽気になったこともあった。
このような雨は異常気象の現象なのだろうか。短絡はできないが、今夏も一筋縄ではいかないようだ。
マスクをはずせない2回目の夏となるが、穏やかであってほしい。
日々の思いを言葉にして
午前中に短時間であったがかなり激しい雨が降った。梅雨時の降り方ではない。雷雨の通り過ぎるのは真夏の天気のようだった。考えてみれば梅雨のような曇天が長く続き、かといえば真夏のような陽気になったこともあった。
このような雨は異常気象の現象なのだろうか。短絡はできないが、今夏も一筋縄ではいかないようだ。
マスクをはずせない2回目の夏となるが、穏やかであってほしい。
葛は万葉集に秋の七種に数えられたのが縁で秋の季語である。ただ、強い生命力で斜面を覆い尽くすような繁殖力が目を引くのは今頃の季節であり、梅雨空の救いにもなっている。
古典和歌の時代から観察し続けられてきた葛は、様々な表現方法があるがそれ以外のものがないかと探したくなる吸収力がある。蔓草のちなみで言えばその歴史にぶら下がり、さらなる蔓を伸ばしたいと思うのだ。
毎日見る緑にも様々な魅力がある。
答えがすぐに出ない問題に対して向き合う余裕は大切である。最近は何でも即決即答が良いことのようにいうが、その類のものは実はどうでもいいことなのかもしれない。
定説のない大問題や、根本的原理に関わる問題はすぐに解決できるとは限らない。できたと思っても別の可能性が立ち上がることもある。時間をかけてしかも不断の関心を持ち続けることでようやく端緒にたどり着く。そんな問題もある。
私がかつて目指していたのはそういう問題だったはずだ。立ち位置を見直してみたい。
遺伝子の解析により沖縄で発見されていた港川人は日本人の先祖ではないという結果が出たという。先日メディアが紹介していた。
港川人は新人としてはかなり古い時代の地層から発見され、縄文や弥生の時代の列島人の祖先と考えられていたが、DNAの性質からどうも違うようだ。人類のグレートジャーニーの中で先に列島にたどり着いたものの、あとから来たものに住人の地位を譲ったことになる。それが自滅か、平和的な移行か、あるいは暴力のはてなのかは分からない。遺伝子情報が物語ることが正しいならば出会いすらなかったのかもしれない。
考古学的な時代について考えるとき、いつも思うのは現在のあり方は偶然によるものだという当たり前の事実だ。私がこのような姿形をして特定の生活文化を持っているのも偶然の積み重ねの果てのことに過ぎない。だからこそかけがえがないのであり、他との優劣を論じるものでもない。
骨格しか残らない港川人が先祖ではないとしても、更にその前の時点では繋がっていたという。この事実も時々思い出したい。
バラのような多重の花びらを持つドクダミを見つけた。十薬と言う別名がある通り、4弁の花がドクダミなのに、オフホワイトはそのままでバラのように花びらが並んでいるように見える。この植物は繁殖力が強いため通常は雑草扱いだ。しかしその雑草でさえも変わり咲きを集め園芸種にしてしまうのが人間のたくましさというものだ。もっとも植物の方は人の好みに合わせているように見えてしたたかに生き残っているだけなのかもしれない。
国語の教員として現代文の読解の方法を型で示すことがある。よく、現代文は勉強の仕方が分からないと言われるが、型を意識する読み方を学習すればある程度の成績の向上が見込める。だからこれは二項対立だとか、弁証法だとかいろいろな名前をつけて説明する。
しかし、本当に大切なことは筆者は何かを訴えたいと思って文章を書いているということを意識することに尽きる。文章でもスピーチでもそれが実のあるものならば必ず言いたいことがある。言いたいことの大半は今まで他の人が考えていなかったことや、内容が他と同じだとしても表現の方法にオリジナリティがあると筆者が信じているものだ。だから、よほどの独りよがりの文章でない限り、言いたいことの説明をしようとする。だから、主張なのかその説明なのかという区別さえつけばたいていの文章は読める。用語が難解であったり、文が長すぎたりすると骨が折れるのは確かだが。
だから、型で読むことを教えるのは、主張部分と、それを成立させるための説明部分との関係をおさえることと同義だろう。難しく考えすぎないように、単純化した方がいい。特に本を読むのが苦手な人には「いいたいこと」と「そのための説明」を分け、それらがどういう順番で出てくるのかをその都度意識させるのがいいようだ。フリクションなどの修正可能な色ペンでそれらを分けさせる方法は効果があるだろう。本文のコピーを取って配るのもいいし、デジタル環境があるならば、ハイライト機能などを使わせて提出させるのもいいだろう。
読解力が低下していると嘆く識者は多い。読書量が減っているのも事実だ。ただ、読み方の教え方についてもっと研究をしなくてはならないことも事実だろう。
若い頃は酒を飲むと調子が出た。本当は違うのかもしれないがそう考えることができた。それに比べて今は明らかに飲むだけで調子が落ちる。特に寝酒はだめだ。
飲酒には様々な苦い思い出があるが、それよりもいい思い出のほうが数十倍多い。だから、つい習慣的に飲んでしまうものだ。最近、外食ができないせいもあり、家で缶チューハイのようなものを飲む機会が増えた。飲むときは楽しいが翌朝かなり調子が悪い。おそらく体力的に酒を受け付けなくなっているのだろう。
習慣を変えることは難しい。悪いとわかっていても続けてしまう。だから、自戒をしたことを他人に話して自分を追い込むしかないことになる。このブログの読者の皆さんは私が今日誓うことの証人になっていただきたい。酒は週1回までにする。いやもとい。2回までにする。週2回の飲酒を超えないということをとりあえず宣言する。
久しぶりにジョギングをしてみた。体が重く前に進まない。すぐ息が上がる。予想通りの現実があった。軽い筋肉痛を覚えて懐かしい感覚だと思った。
これを続けるか否かで何か変わる気がする。あくまで血流をよくするための軽い運動として続けてみたい。
何事も新しいことを始めるにはならしが必要だ。いきなり結論を求めるのは止そうと考えている。
今日も気温が朝から上がっている。東京も真夏日になりそうだ。まだ梅雨入りしていないのにこの暑さはこれからが思いやられる。少しだけ寝坊をしていつもより遅めの電車に乗っている。
コンクリートとアスファルトで覆われた都会にもいろいろな野鳥がやってくる。最近はオナガの群れをよく目にする。
印象的な長い尾羽根を伸ばして滑空するように飛ぶ姿はなかなか見どころがある。羽根の色も青と黒とが映える。鳴き声だけはけたたましいがそれも魅力の一つとも言えなくもない。
この鳥は富山に住んでいるときにも見たことがある。ただ西日本では少く、東日本に偏在しているらしい。なぜこのような姿になったのか。どうして特異な分布をしているのかなど謎も多い。
鳥を見ると世の雑事からひととき解放されるような気分になれるのはいい。今日も暑いようだが頑張らねばと思う。