花粉症対策

 今季の花粉の飛散は極めて多いようだ。すでに自覚症状が出ている人もいるというが、関東地方では今週末くらいから本格的な花粉症の注意期間に入るらしい。

森林浴は好きですが

 私は子供の頃から症状に悩んできた。ここ数年はコロナ対策のためのマスクのせいで気にならなかったが、それよりも対策薬の恩恵にあずかってきたのが大きい。今年もそろそろ始めたい。

 花粉症の薬は効きだすまで時間がかかる。だから早めの服用が求められている。週末に向けて明後日辺りから始めようか。マスク着用義務がなくなりつつあるが敵はウイルスだけではない。困ったことである。

二月

 2月は短いがとても大切な月の一つだ。私たちの職場では次年度の準備が始まる。次の段階に移る前の最後のまとめのようなものだ。

 2月は如月。なぜそう呼ぶのかは分からないが、勝手に「気更来」つまり春の気がますます来るという意味と考えるようにしている。そして実はかなり寒い月も、逆に春を感じさせるためにあると考えるのである。

 この愛しい季節はいつもあわただしく過ぎていくが、今年は意識して季節の移り変わりを感じ、楽しみたい。

目覚め

Photo by Black ice on Pexels.com

 目が覚めた瞬間、最近はスマートフォンの画面を見る毎日である。というのも、私はスマホにアラームをセットして起きるようにしているからだ。ささやかなピアノの音と、バイブレーションを同時に発動して起きるようにしている。それを止めるために画像を見る。よく考えてみればこの時点から私はスマホに侵されている。

 その画面には大体次のような文字が出る。おはようございます。今日は2月1日です。天気は晴れ、東京の最高気温は13℃で最低気温は-2℃。といった日付と気象情報だ。これを見ながら、私は時間軸と自分が置かれた位置や環境を把握する。

 おそらく同時にいろいろなことを思い出す。私は何者であるか、どのような人間関係にあるか、どんな気質でどんな性格なのかなど自分についての様々を瞬時に思い出すのだ。これは考えてみればかなり大変なことである。長期記憶を失った人が、毎朝自分の生きてきた生い立ちを録画したビデオを見て、自己を再認識するという映画を見たことがある。極論すればそういうことなのだろう。幸い私たちはどこかに長期記憶を蓄える仕組みを脳に確保していて、寝ても自分が誰だか忘れないのだと思う。

 ならば、長期記憶をおろそかににすれば、自己認識さえも危うくなり、自分という存在が保てなくなるということになる。記憶を機械に任せるのはその意味で危険だ。目覚めたとき自分を取り戻すためにも、いろいろなことを覚えることをあきらめないでいようと考えている。

詩作の意味

 詩の魅力というものを考え直している。散文は情報を伝えるのには向いているが、緻密な論理にすればするほど零れ落ちるものが出てしまう。情に属するものだろう。

 詩はそれを拾い上げることができる気がする。もちろんかなり曖昧になるものもあるが、詩でしか掬えないものが確かにある。芸術を好む人はこのことを体感として心得ている。一つの言葉に、フレーズにこめられた意味と、その周辺にまとわりついている様々な感触を感じることができるからだろう。

 詩を読む機会はどんどん減っている。それとともに心が瘦せていることを実感している。私は時々詩のノートを広げ、駄作を連ねることにしたい。作品の出来そのものより、詩を書く行為そのものが自分にとっては大切なものと感じている。

1月も末日

 いろいろあった月だったが、1月も終わろうとしている。個人的には小さな旅が一つといくつかの芸術との出会い、数冊の読書を大切にしたい。毎日の仕事の失敗や成功は相変わらずだ。

 歳を重ねると時間が経つのを速く感じるというが、私にとってはそうとも限らない。まだ一月しか立っていないのかと思うときともう過ぎてしまったのかと思うときがある。時間はただ過ぎていくだけだ。

 いいことをしようと思ってそれができずに空回りしている気持ちがあることを自覚している。何かの区切りにはこういう思いになることが多い。

リモート強盗

 フィリピンで収監中の囚人が、日本の強盗事件の指示役であったというニュースが連日報道されている。このニュースの不思議はいくつかある。まずは囚人がどうして外部と連絡可能であったのかということだ。テレグラムというアプリが使用されたことは分かっているがなぜそれが使用可能だったのかということになる。

 この点については現地の担当者が犯罪者側に買収され、収賄の上で便宜を図っていたことが分かってきた。現地の司法システムの問題点をついたということになる。これは現地の法に従って処罰していただくしか方法はない。しかし、もっと不思議なのは海外の囚人の指示でなぜ現行犯のグループが活動したかということだ。

 犯罪を犯すにはかなりのリスクを伴う。というよりほとんどの確率で失敗に終わるはずである。にもかかわらず、どうして実行犯たちは動いたのだろう。これが一番の問題だ。実行犯は犯行で強奪した金品の分配をフィリピンの指示役に任せたようで、その出来具合によって報酬が決まっていたらしい。あたかもリモートワークのような仕組みであったことが分かる。動けない指示役の差配をかたくなに守り、自らの危険の報酬を人任せにするという実行犯たちの自主性のなさに逆に恐ろしさを感じてしまう。

 どのように実行犯たちの精神を操ったのだろうか。それが今後私が最も関心のあることだ。人間の行動の一側面を浮き彫りにしたものとして注目している。

自己暗示

Photo by Vlad Cheu021ban on Pexels.com

 自分はできると思い込むことが大切だといろいろな場面で耳にする。スポーツ関係者はその結果がすぐに出る現場にいるから、そのことを体験的に知っている。脳科学者は脳の構造上の問題であるという。教育関係者もこうした事例から自分や他人をほめることを推奨している。

 逆もあるそうだ。自分はできない、身体的に衰えた、環境が悪いなどという人はいい結果を残しにくいそうだ。負の自己暗示だという。苦しいときほど笑顔になれというのはどうも当たっているらしい。なかなかそれができない場合は一度何か別の行動を意図的に挟み込み、失敗や落ち込みを意図的に遠ざける方法もあるそうだ。あえて関係のない動作をしたり、話したりする。それをするうちにマイナスの感情が薄れるというのである。

 自己暗示は閉塞的な状況を生き抜く上での生活の知恵となりそうだ。せめて気持ちだけはポジティブにして、やるべきことをやっていこう。うまくいかなくてもいい。続けることで進歩が期待できるはずだ。

読解力のために

 おそらく国語など役に立たない科目だと思っていた人こそこれから後悔することになりそうだ。日本人だから今更日本語の本を読んでどうする。それより理数を学んだ方がいい。国語は学ぶ必要などあるかと考えていた人は多いのではないか。そして今でもそう思っているのならばかなり危うい。

 情報化社会になってもっとも求められるのは読解力と表現力だ。それは機械任せにはできない重要事項である。それなのに簡単な文章が読めなかったり、説明の方法が悪くてよく伝わらなかったりする。また人の気持ちが読めず、文章や発言の奥にあるものが分からないこともある。これらは実は国語力と深い関係にある。母語のちからは論理的思考のみならず、感情や情緒に深く影響する。だからこれをおろそかにすると痛い目にあう。

 もちろん科学も技術も工学も数学は大切だ。しかし、それらを支えるのが豊富な母語の力であることを再認識しなくてはなるまい。成功者のほとんどが表現力の大切さを強調し、余暇に多くの本を読んでいる。その基礎が中等教育までで学習する基礎的な国語力であることを確認していただきたい。これからの国語教員はこの国の人材の才能を下支えする役割を果たしていることを自覚して仕事をするべきだと思う。

戦車連合

Photo by Nati on Pexels.com

 ウクライナの戦争が終わらないのはどうしてだろう。ロシアの侵攻が 始まったとき、その不当性は抜きにして早晩侵略は成功してしまうのかと思っていた。しかし、来月で1年になろうとしているのにいまだ解決の糸口が見えない。ロシア側はより強い兵力を向けると言い、ウクライナは欧米諸国から武器の供与を受けている。形を変えた世界代理対戦の様相だ。特に最近の報道では戦車の供与が話題になっている。その中にはかつて第2次世界大戦の同盟国ドイツの製造した戦車も含まれるという。

 日本は地理的文化的に少し離れているのでこの戦争に関してはいまのところ距離を置くことができている。しかし、グローバル社会においてはこの戦争がもたらす経済的な問題がすでに市場におよび、ロシアやそれに近い中国の隣国である我が国はいつまでもオブザーバーではいられなくなっている。

 軍事的な側面に関しての関与は絶対に避けるべきだろう。この際、日本の科学力を示すべきだという考えを持つ人もいるようだが百害しかない。軍事的協力は東アジアの平和のためには危険性しか生まない。戦地の情報は研究に値するが直接関与することは頑強に避けるべきと信じる。

 民間支援は今できることだ。使い捨てカイロの提供は話題になったが、被災地での緊急物資のアイデアは戦地でも活用できるはずだ。政府が行ったソーラー・ランタンの提供のための支援はその一策としては評価したい。

 短期的には達成できないが、長年切望しているのが平和に関する専門家を養成する高等専門機関の設立である。なぜ戦争が起きるのか、起きた場合はそれをどのように解決すればいいのかを学問的、実践的に行う専門家を養成する大学なり大学院を日本に作るべきである。個人の研究室としてはすでにいくつかあるが、国際舞台に人材を送り出す段階にはないようだ。「けんか」のおさめ方の専門家を養成することこそ今の日本の立ち位置にふさわしいのではないだろうか。戦車連合に加わる方法以外の日本のやり方を示すべきだ。

売り声

 近隣の商店街に印象的な売り声で衆目を集めている人がいる。よく通る声と独特の言い回し、声の強弱と間が原因らしい。何がいいのかは分からないが、確かに人を惹きつける売り声は存在する。

 思うに声の大きさや質だけの問題ではない。客との間合いを読んで絶妙なタイミングで声をかけるのがいいようなのだ。これは経験から獲得されるのもなのだろう。

 どんなことにも達人の技がある。それに気づくことは難しく、真似ることはさらに困難だ。しかし、せめてアンテナを張って技を見逃さないようにしたい。