関東地方には直接の影響はなかった今回の台風ですが、その置き土産として異常高温が今日明日にもたらされるとの予報が出ています。
日本の北に位置する台風に向かって南風が吹き込むことからこの現象が起きるようです。すでに北陸地方では山越えの乾燥した風が高温をもたらしています。フェーン現象を風炎と当て字したのは中々の才知でした。
関東の場合は海上から受けた湿気を含んだ風が直接吹き付けるために、蒸し暑さをもたらします。温度変化以上に注意したいのはこの点にあります。
日々の思いを言葉にして
投稿者: Mitsuhiro
関東地方には直接の影響はなかった今回の台風ですが、その置き土産として異常高温が今日明日にもたらされるとの予報が出ています。
日本の北に位置する台風に向かって南風が吹き込むことからこの現象が起きるようです。すでに北陸地方では山越えの乾燥した風が高温をもたらしています。フェーン現象を風炎と当て字したのは中々の才知でした。
関東の場合は海上から受けた湿気を含んだ風が直接吹き付けるために、蒸し暑さをもたらします。温度変化以上に注意したいのはこの点にあります。
私たちは現状に基づいてものごとを判断します。それは当然のことであり、だれしも今の状態の把握や分析から何か別の次元のことを考えることになります。ただこの際気をつけなくてはならないのは、現状はこれまでずっとそうであった不動点ではないということです。
他国のことを批判する際に、日本は高潔であるかのように述べる人がいますが、日本もかつて同じことをしていたという事実を知らないのなら問題です。現代日本の常識と言われているものは実はかなり短い期間で出来上がったものであり、それが昔からずっとそうであったかのように論じるのは間違いです。
現状もまた常に動いていることを前提に、これからのことも現状だけにとらわれず時には歴史を学びあるいは現状分析を動的にとらえて未来の予測をするべきでしょう。現状は決して工場ではない。諸行無常は私たちの精神的根底にある世界観と考えられますのでこういう考え方をするのは得意であると思います。
第二次世界大戦の事実上の終戦の記念日です。74年目というのです。わたしの生きた時間より長い歳月の流れの中で日本は大きく変わりました。
戦争の犠牲者は日本人だけではなく、敵として戦った人や戦場で巻き添えになった第三国の人々や日本の占領下で苦しんだ人々など多様な在り方があります。その個々の記憶が風化したり変化したりしたものがあり複雑です。
戦争の犠牲者という面だけではなく、当事者としてこの問題をどのように捉えることが出来るのか。それが年々困難さを増しているような気がしてなりません。
人間の悲劇というものは己の姿を俯瞰して見られないことにあると最近つくづく思うのです。
私たちは自分の経験と知識の中で生きています。それは誰でも同じことです。自分以外の誰かになることはできないし、どんなに想像の翼を広げても自分の見た風景以外のものを実感として捕らえることはできません。だから、自分の経験こそが世界のすべてであるかのようにふるまい、それが間違いと分かってもどうしようもないのです。
哲学者は俯瞰することを常としています。人間は…という大ぶろしきを敷くことが哲学では大切なのです。でも、私たちは結局自分の見たものしか見られないし、聞いたことしか聞けない。それ以外のものを知覚することすらできないのです。メタな認知をすることが大切だと知識人はいいますが、そもそもそれができるならば苦労はない。私たちは自分の経験のバイアスの中で世界をとらえるしかないのです。
だから、私たちの考え方は根本的に独りよがりで利己的です。それを自覚することは大切だとつくづく思うのです。ネット社会は検索という便利な手段を提供してくれました。その陰で情報の一つ一つは結局、個人の経験が生み出した見解であるということが忘れ去られようとしているのです。
もう一度根本に立ち戻るならば、自分の考えはあくまでも自分の正義の産物であり、それは必ずしも他の人に当てはまるとは限らないのであるということです。鳥ではない私たちは自分の姿を見下ろすことはできません。それが様々な悲劇をもたらしていると考えたのです。
ものごとの流れが一つに纏まり過ぎるようになったときに危機を覚えてしまいます。多様性を認める社会こそ持続可能だと思うのです。
過去の歴史や生物の在り方を鑑みると、環境に適応した集団なり種族は繁栄しますが、環境の変化が起きると対応できずに一気に絶滅に向かいます。あっけないくらい脆く崩れるのです。
そうした事態を避けるためには、多様性に対する寛容さが欠かせません。気に食わないこと、嫌なことでも排除はしないのが賢い生き残り戦術なのです。最近の世情はこの寛容さが失われているのではないかと心配になります。
台風の情報の中に移動速度がありますが、「停滞」と「ゆっくり」という数字以外の情報がでるとはたと思考が止まります。「停滞」とは全く動かないことなのか、そもそも全く移動がないということはあり得るのか、「ゆっくり」とは何を基準にしているのかといった疑問です。
気象庁の用語解説によると、「停滞」とは速度が時速5ノット(約9キロメートル)以下で進路が安定していない場合に用い、進路が一定している時は「ゆっくり」と表現するといいます。時速9キロだとしても、1日では216キロも進んでしまうことになります。216キロは東京から静岡県の西部辺りまでの距離であり「ゆっくり」でもずいぶん進むことが分かるのです。
これから大きな台風が近づいてくると予報されています。速度についても関心をもっていかなくてはならないと感じています。
国民の祝日の中でも最も新しい2016年制定の山の日ですが、この日の祝日についてその意味を答えられる人は少ないでしょう。私も実はよく分かっていません。

なんでも、お盆休みと連続させるために12日に設定したものの日航機墜落事故の日でもあるから祝日とするにはふさわしくないとしてその前日にしたのだとか。山のひがこの日であることの根拠はあまりないということになります。
日本は山岳が多く国土の大半がそれに由来した森林であることを鑑みれば、山に感謝することも必要でしょう。また、日本の豊かな降水量をもたらし、保水や浄水を行うのは山のおかげです。
祝日を祝日として祝うためにはそれなりの根拠を説明できなくてはなりません。山の日にどのような説明をしていくかは私たちの課題の一つと言えるのかもしれません。
人前で話す仕事をしているというのに私は声が枯れやすく、聞き取りにくい発声になってしまいます。いろいろなメンテナンスが必要な年齢に達しているのですが、特に声の維持は大きな課題です。
休みに入り授業がない日が続くと声がどんどん出なくなります。大切なのは大きな声を出し続けることのようです。にもかかわらず私自身は本来話すことが好きではなく、用がなければ一日中話さなくても構わないというたちです。それでますます声が出なくなるという訳です。
声を意識的に出すには何をすればいいのか。家族と話すくらいでは声は出ないので、誰もいない所で発生練習でもするか。でもそんな所どこにあるのだろう。などと思うのです。一つの答えとして一人で自動車を運転するとき声を出すということです。ただ熱中し過ぎると安全運転ができなくなるかもしれません。
声を維持することは意外にも難しく、でもやらなくてはならない私の課題なのです。
韓国で日本製品の不買運動が起きているようですが、完全な不買という行動は無理なようです。日本の製品や部品が使われているものは多く、それらを排除すると社会生活自体が成り立たないのです。
この事実は日本でも同じです。電子機器の多くを韓国に依存している現実を認識する必要があります。アメリカ企業の多くも韓国製半導体を使用しており、国際依存が高いのはどこの国も同じなのです。
ならばなぜ自国ですべてを生産しないのかと考えるのですが、ハイレベルの製品を作れる能力をつけることや、それにかかるコストを考えると国際競争に勝てないからでしょう。日本自体の産業構造がそのようになっています。
貿易立国が通商において不自由をもたらす政策は、自国の根本を揺るがす失策です。移民で発展を遂げてきたアメリカが移民を排斥するようになったのにも通うのですが、自国の立ち位置を見失うと大問題になります。
不買運動が無理なこと、輸出入制限が国家の根幹を揺るがすことなどを市民レベルで確認しておく必要があります。
自分の余命を考えるとき、生命の終焉まではまだ間があるかもしれないと思うのですが、いわゆる健康寿命の終わるときは意外と近いのではないかと思うことがあります。日本の2000年度の男性の健康寿命は69.9歳です。平均寿命は77.8歳ですから、その差は7.9年であり、その間介護や闘病が求められることになるわけです。
自分や親のことを考えるとそれぞれの寿命に近づいていることが実感できます。平均というのはあくまで全体の中の数字であり、個々人で条件は違います。ただ、健康寿命が尽きた後の命が必ず存在するという事実は何人とも避けようがありません。できればその差を極力短くしたいとは誰もが考えることでしょう。
今できるのは健康寿命をできるだけ長くすること。健康を保つための何らかの努力を少しずつ続けることしかありません。それが自分のためであり、社会に貢献することでもあるわけですから。