投稿者: Mitsuhiro

英語のアナウンス

 東京の私鉄やJRの車内アナウンスに英語を混ぜることが多くなりました。予め録音したものではなく、車掌が肉声でアナウンスするようになったのです。

 東京オリンピック効果の一つなのでしょう。話しているのは定型に乗っ取ったものだけですが、それでも大きな前進です。国際観光都市を目指すといいながら外国人には難しい言葉の障壁を抱えたままの現実が変わりつつあります。中国語や韓国語もそれができると利益が上がると知りわたるならば、学習者は増えます。

 車掌が英語を使うようになれば若い世代の学習上のハードルは一気に下がることになるでしょう。一時期のことに終わらないことを期待したいと思います。

韓国語が聞こえない

大阪に旅行に来ています。観光地はどこでも外国人にたくさん出会いますがこれまで韓国語は一度も耳にしていません。

政治的な対立が報じられている日韓関係ですが、日本国内では韓国を非難したり、それに関する運動はありません。一部の人がネット上に過激な書き込みをしていますが、匿名の壁の中でしか発言できない輩ばかりです。

日本は元々辺境の島国であり、変化をもたらす外的要素に対して寛容です。韓国からもたらされた文物にも伝統的に敬意を払っています。ここ数年の指導者のミスコンダクトにとらわれ過ぎないようにしなければ損をするのは市民ばかりということになります。

市民間の交流が途絶えることのないよう祈るばかりです。

青春18きっぷ

 かつては1万円で5日間普通列車に一日中乗車できた青春18きっぷは今でもあるようです。ただし消費税導入後はその時々の値段に値上がりしていったようですが。

 この切符は日付が変わるまで乗り続けられるということなので、私も東京と関西を往復する際に使ったことがあります。朝出ると普通を乗り継いで目的地に行くことができました。

 最近はJRの多くの地方路線が第3セクター化されてしまった影響で、かつてのような一筆書き旅行は難しくいろいろな工夫や例外措置利用などの知識が必要になっているとか。

 いまでもそういうたびをしてみたいと思うのですが、時間とそれよりも体力とがない現況を悔やむしかありません。

交流は別次元で

 韓国が日韓軍事情報包括保護協定を破棄した報道は極東の軍事情勢に詳しい人たちの間では相当な衝撃であったようです。まるで韓国が別陣営に組してしまったかのように考える人もいるようですが、ここは冷静に処すべきです。日韓の国民のうち冷静になれるのは日本の方です。

 韓国では慰安婦問題や徴用工への補償をめぐって日本への責任追及をする動きがあったところに、日本が半導体素材などを輸出規制したことに端を発して、一気に反日の機運が高まりました。日本製品の不買運動や日本への旅行自粛なども起きています。親日家を非国民的に扱う歴史的な経緯をもっている韓国においては、このような時流においては付和雷同する国民運動が起きているといえます。そのようにふるまわないといけないという同調圧力も強く働いているように察します。また、韓国政府も反日運動を政権支持に利用しているかのような様子もうかがえます。韓国の国民がこの対立に冷静に対処するのはかなり難しい状況にあることを推し量るべきでしょう。

 日本ではいわゆる嫌韓の人々がネットなどに次々に書き込みをしていますが、実はリアルな政治集会や抗議運動はほとんど報じられていません。きわめて過激な小さな団体が何かをしているのかもしれませんが、社会を動かすほどの組織的な韓国への抗議運動は行われていないのです。韓国の製品や、テレビドラマ、タレントなどの文化的なコンテンツに関する拒否の動きもありません。むしろ若者はそれらを好んで使っていることはほとんど変わりがありません。

 NHKを含めて韓国のドラマは多くの放送局で放映されています。またK-popの話題は絶えることはなく、韓国料理の店もにぎわっています。嫌韓の人よりもはるかに多い韓国文化愛好者がいることは紛れもない事実です。私たちは政治家たちの手練手管に便乗する必要はありません。よいものはよいと認め合うことを続けていかなくてはならないでしょう。

 政治的な、というより両国政権の対立として映る今回の混迷を国民は冷静にとらえるべきです。本当に利するのはだれか、喧嘩の野次馬をしているうちに自分自身の立場を悪くしていかないか。メタな認識をすることがいま最も必要なことだと思うのです。

それに見えてくる

 古代遺跡の人物塑像などを見ていると何とも稚拙なと感じることがあります。そしてそれが造形技術や空間把握の未熟に原因があると勝手に考えます。これを当時の人々はどのように捉えていたのでしょうか。

 古拙と感じるのはあくまで現代人の感覚であると想像されます。私たちは写真や3Dプリンターで現実のコピーを造ることができます。その視点から人間にすら見えない古代の美人像を見ても幼稚にしか見えません。これは恐らく現代人も将来同じ評価を数十年後の未来人から受ける可能性を示唆しています。

 例えば土偶ならば、どんなに精巧に作ったとしても土の塊であることには変わりません。それに美女なり勇者なり、豊饒な大地や広大な宇宙を感じるのは人間の想像力によるものです。古代の人々は我々から見れば稚拙に見えるものを、現実と重ね合わせる想像力を持っていたのです。

 その時代の人々のものの考え方に寄り添って考えることが、古いものを見るときには必要です。すると見えない何かが見えてくるはずなのです。

関係性

 私たちが何かを分節化する際に、もっとも働くのは関係性の把握です。これが何であるのかを知るためには、これが他のものとどのように違うのか、他との関係はどのようになっているのかを知ることが必要と感じます。新しいものの発見はそれがいかに斬新なものでも既存のものとの関係性で把握されるのです。

関係が分からない場合、もの自体を把握できないということもあります。目に見えたものは何でも存在するのではなく、存在を認められたものだけが存在出来るのです。

IR以外の施設を

 横浜市の林文子市長はIR(Integrated Resort)の誘致に積極であるというニュースがありました。この施設にはカジノが含まれ、そこに多くの収益性を見込んでいると考えられます。

 カジノの持つギャンブル性が依存症を一定数の人にもたらすことは世界の先例が示すとおりであり、それによる治安の悪化や地域のイメージの低下も不可避であるといえます。それよりも少子高齢化で税収が減少する一方の市政に益するという判断なのでしょう。私はこの判断には基本的に賛成できません。

 横浜にはカジノがなくても人を呼べる資源がたくさんあります。その活用を考える方を優先すべきです。複数の観光資源を有機的につなげることや、そこに集まる人が楽しめ、お金を払うにふさわしい観光産業を創設することの方にまず注力するべきなのではないでしょうか。

 カジノのないIRならば人は呼べないのでしょうか。また収益は上がらないのでしょうか。その点の懸賞をすべきです。道を誤ると取り返しがつかない方向に進んでしまうような気がしてなりません。

発信重視

 ネットに浸っていると情報の洪水の中で何かが麻痺してしまいます。画面に表示された情報に接しているだけで自分が満たされているような錯覚をしてしまうのです。

 冷静に考えれば画面上に表示されたことはすべて他人にとっての出来事であり、私自身とは関係がないものです。関係を持つかどうかは自分の判断がはたらいた後で起こることであり、表示されただけでそれがまるで己の世界のことのように考えてしまうのは大いなる錯覚というものでしょう。

 このような状況に陥らないためにも、自らの言葉で世界を語る努力を私たちは怠ってはいけません。自分のつたない言葉で描ける世界は確かに少ない。でもそれを続けることで、自分という人間を世界の中に位置づけることができるのです。私が発信にこだわり続けるのはそういうことにあるのです。