投稿者: Mitsuhiro

笑いのもと

 漫才やコントをみると笑いながらもなぜおかしく感じるのかを考えることがあります。思うにそれは感情の温度差が提供されているからなのです。

 本当に上手い漫才師はオーバージェスチャーをすることなく観客を笑わせます。衣装も特別なものではない。なぜそこに笑いが生まれるのかといえば、話術の巧みさに他なりません。

 その話術で何を表現しているのかといえば、感情の変化を小刻みに揺さぶる演出です。観客を一方に惹きつけておいて、急に別方向に連れ出す。その先の意外性に人々の冷静さが失われるのです。その先がおかしなことであれば人々は笑います。もちろん恐怖も怒りも誘発することができるはずです。

 コメディアンはこうした感情のジェットコースターを短時間で作り出し、多くの聴衆を乗せることができる才能を持っていると言えそうです。

雨時々大雨

 太平洋を北上する台風と秋雨前線の相乗効果で関東は昨夜から雨が振り出し、今朝はかなり強く降っています。天気予報は雨時々大雨という徹底的な降雨予報です。そしてそれは外れそうもありません。

 雨が強い日は黒いジャケットとスラックスで出かけます。雨で濡れても分かりにくいというのが理由です。どうも今日はその努力が奏効しそうです。かつてはレインシューズも履きましたが、壊れてしまったのち買い直していません。

 雨が私たちにもたらしてくれる恩恵は計り知れないのですが、昨今の水害の甚大な被害を考えると恐怖も浮かびます。私たちは水に囲まれて生きているという事実を謙虚に受け止める必要があります。水辺で命をつなぐ生き物であるという自覚です。

 治水という歴史以前からの試みはいまだ完成されていません。この方面の知識の蓄積は大切です。降り続く雨に感じるものは実に多様で複雑なのです。

特化の弱点

 北陸新幹線が先の台風による洪水被害のために使えない車両が発生し、ダイヤが大幅に乱れています。新幹線は人的な輸送に関しては根幹となっており、それが不通になっていたり、本数が減ったりすることは地域社会にとって大きな打撃です。

 新幹線は路線ごとにある一定の条件のもとで設計されており、他の路線からの代替が効きにくいという問題があるそうです。北陸新幹線は長いトンネル走行や、勾配の大きな路線を走り、なおかつ風雪にも耐えられるように設計されているのです。単に形や色が違うだけにはとどまらないそれぞれの個性は魅力的ではありますが、このような非常事態には弱点を露呈してしまいます。

 汎用性と特殊性のバランスについてはいろいろな場面で問題になります。新幹線の例は一つの教訓としておくべきだと感じています。特殊性、個性に至ることで得られることは大きいですが、それだけではまずい。いわゆるつぶしのきく分野をしっかりと確保しておくことが必要なだと。

伝統文化

 昨日の即位の礼は日本の伝統文化を世界に示すものでした。政治的な意味はもちろんありますが、それ以上に文化の持つ意味を世界に発信する機会になったことに注目すべきです。

 文化は長い時間をかけて育まれ、少しずつ形を変えながらその本質に当たる部分を伝えていくものです。その意味を考えることは自分自身とは何かを考えることになり、他者を理解する礎になるものです。国の伝統文化だけではありません。私達が社会的生活をする生き物である以上、そして知的な生活を営む以上、様々な局面でそれぞれの水準の文化があり、それが人間らしさの保障となっているのです。

 新しいものを生み出すときにも文化は役に立ちます。新しいものと考えるものもその基準となるものを常に求めているのです。伝統文化はその柱であり、それがあるからこそイノベーションも可能なのです。

星空

 雨が上がって雲間から星が見えてきました。こんなにたくさんの星に囲まれてきたのかと改めて気がつきました。私たちはいつの間にか見えなくなったものに囲まれて過ごしています。それに気がつく夜空です。

出張

 これから出張です。後半は台風の接近が気になりますがなんとか無事に終わりたいものです。仕事の合間にこのブログを書くことにします。今朝はとりあえずここまで。

懐古にとどまらないで

 私にとっては懐かしく感じるものが最近いろいろな場面で現れています。例えば過去に流行した歌や、品物などが今風に形を変えて世の中に出回っているのです。

 この原因を日本の高齢化に求める見方は説得力があります。少子化で低年齢層が減少し、購買者が多いのは中高年という現実を踏まえると、新しいものを作り出すよりは懐古趣味に訴えた方が効果的だというのです。過去に成功したものを利用した方が成功率は高く、しかもボリュームゾーンに訴求するとなればいわゆるリバイバル路線は必然の道筋といえるでしょう。懐かしいものには愛着がわくし、新機軸に振り回されている現実からの逃避にもなります。

 ただ、単なる懐古趣味は何も生み出しません。生活の活力を生み出すのは温故知新的な発想です。過去の歴史なり伝統なり風習なりを尊重しながらも、新しく今の生活にあったものを常に探していくことが必要だと感じます。昔懐かしい何かを感じさせながら、実は最新の発想なり、技術が裏にある。底流にあるものは変わらないけれども実は常に新しいものに置き換えられている。これが日本の文化のありかたであり、忘れてはならない先人の知恵です。

 過去のもの見えながら実は全く新しいもの(こと)を作っていくことが私たちの今やるべきことと確信しています。

手に負える時間

 常に忙しく暮らしている私ですが、多忙の中にも何とかなるときとそうでないときとがあります。時間は平坦に存在している訳ではなさそうです。

 ルーティンワークはいくら多忙でもなんとか切り抜けてしまうことが多いものです。場合によっては多忙であることに麻痺していることもあります。私の場合は朝の一連の動きについてはやることが多いのにあまり印象に残りません。

 対して普段やらない仕事や突発的に起きたことなどは重圧となって心にのしかかります。あとから考えばさほど大変でもなかったことに、多いに緊張し打ちのめされます。そういうことに当たるときの多忙感は非常に大きなものです。

 私にとっては手に負える時間と負えない時間とがあることになります。手に負えない時間が精神的負担をもたらすのならば、その時間を飼いならすための方法を考える必要があります。色々な克服法があり、さまざまなアドバイスもありますが、根本的な解決はできません。むしろこの時間帯はうまくいかないことが多いものと割り切らなくてはならないと考えた方がよさそうです。そのあとに手に負える時間がくるはずですから。

 時間が人間とは無関係に存在するものとは最近は考えられなくなってきているのです。

ハードワーク

 快進撃を続けているラグビー日本代表がインタビューのたびに口にする猛練習や犠牲という言葉になぜか懐かしさを感じます。どこか古き良き時代の香りが漂うのです。

 練習の努力は必ず報われる。成功したスポーツ選手はしばしば口にします。最近ではプロゴルファーの渋野日向子選手が活躍の裏に人一倍の練習を続けていることが話題になっています。恐らく練習を続けられること自体が一つの才能であり、それが結果として表れるということなのでしょう。

 努力は報われるという美談は現代では様々な障害に阻まれます。なるべく小さな努力で大きな成果を出すこと、効率性や生産性に意識が向きすぎている風潮にあって、汗水流すことは決して賢明ではないと考えられてしまうからです。スポーツのように明確な目標が見えない社会生活においてはまず何をどうやればいいのかを考えているうちに結局何もしないということになってしまうことが多いものです。

 無駄になってもいい。後になれば無駄でなくなるかもしれないというより俯瞰した考え方が必要なのでしょう。目先の効率性ばかりを考えていては現状打破は起きない。ときにはただ走る、ただ筋肉を鍛える練習をし続けていてもいいのだと考えるのです。

オーボエ

 オーケストラの楽器の中でもっとも心惹かれるのはオーボエの音色です。天に届くかのような響きは心を浮き立てます。交響曲の中でもしばしば独奏の部分があり、とても印象的です。

オーボエのようなリード楽器は音程の調整が難しく、オーケストラのチューニングもこの楽器が優先されるようです。この繊細でかつ派手な音色はどこかでなじみのあるものです。昔は町にやってきたチャルメラや、雅楽で用いられる篳篥もリード楽器としては同じなのだそうです。世俗いずれに属するのか分からないのも魅力の一つです。

 個人的には少々辛いときにはオーボエの音色を幻聴することにしています。心の安定と勇気の涵養にこの音色は資するところ大なのです。