投稿者: Mitsuhiro

銀杏黄葉

 青葉台駅前にある銀杏並木が黄葉しています。間もなく落葉が始まることでしょう。このところ日較差が激しい毎日です。植物も戸惑っているに違いない。まして、かよわき人間をや。

時間の平面化

 手帳を更新する季節になりました。かつては歴史手帳を愛用し、その後産能の手帳を使うようになっていた私ですが、いまはただのリングノートと、ネット上のグーグルカレンダーとを利用しています。どのような形であれ、私がやろうとしているのは形なきものの可視化です。

 時間の流れを可視化するのは手帳の大きな役割といえます。実は切れ目なく流れていくだけの時間に切れ目を入れ、価値を見出していくのは人間の叡智です。それを実際に紙面に記号化していくのが手帳の役割といえます。

 丸印や矢印には時間に価値を与える意味が込められています。略図を付けたり色づけすることでその意味は一層顕著になります。複雑な現実を極力単純にするのが手帳の役割であり、その中で整理がなされる訳です。手帳をつける理由は時間の平面化という変換にあるわけです。

 ただ、手帳を書くという行為自体が時間の流れの中で行われるために、その行為自体がエントロピーの増大に晒されてしまう。単純化が目的だったことを忘れて次々につけたしを始めてしまうのです。手帳をつけることは常に時間軸から抜け出そうとする行為なのかもしれません。

記述式もやめるならば

 来年度実施の大学共通テストは、英語の外部試験の中止に加えて国数の記述入試もやめることを検討しているという報道があります。記述試験には出題形式や採点方法などに多くの疑問がありましたが、これもやめるとなれば新入試はあまり意味のない改革になってしまいそうです。

 ただ少し気になるのはすでに走り出している学習指導要領の改訂にともなって国語分野では文学作品の学習が軽んじられる可能性が高いことがあります。共通テストの国語問題のサンプルでも契約書や図表などを参照しながら解く実用的文章と称するテキストが問題文となっており、国語能力の育成とは程遠い内容になっていました。記述式をやめ、問題が実用性の高いテキストを読む問題になるならば、ますますこの国の国語教育は衰退に向かうような気がしてなりません。

 共通テストの国語は基礎的論理思考能力を試す問題と位置付け、問題をもっと簡潔にしてしまうのも手であると私は考えます。国語の問題を全国の受験生に均等に出そうと思うと無理がある。ここでは一定水準の文章が読めて、理解ができるかだけを問えばよいのです。記述試験のような判定が困難なものは二次試験に回すべきでしょう。

 記述式をやめるならばせめて国公立大学の二次試験は思い切った改革をするべきです。面接や論述試験の度合いを高めて、学部ごとに自分たちがとりたい生徒の学力を測っていくべきでしょう。大学学部によってどのような記述力が必要なのかは違うはず。それをそれぞれの学部の判断で「主観的」に選べばいいのです。全国一斉テストの役割と個別試験の役割はこのはっきりと分けた上で、2次試験を重視する方法をとっていくべきだと私は考えます。

 朝、扉を開けると雨が降っているようでした。路面が濡れ始めています。ただ周囲に響く音がいつもとは違う。どこか硬質で細かい音が響いていました。

 それが霙と霰の中間に当たるようなものであることにはその後すぐに気づきました。傘をさして歩き出すと、その上にもいつもとは違う感触があります。

 その後、ネットニュースで横浜で初雪が観測されたとのことを知りました。今日は最高気温が一桁止まりになるとか。師走に入ってやはり急速に季節は進んだようです。

 関東の冬は乾いた晴天が大半ですが、やはりこういう日の方が季節を実感できます。

瀬戸際

 このところ急に寒さが増し、風邪をひいている人が増えてきました。体調が悪くなる兆しを感じながらなんとか押しもどしているのがいまの実状です。

 風邪や発熱の出る前兆は確かにあるはずなのに、なかなかそれを意識下におくことができません。瀬戸際で回復することもあるので区別することが難しいのが覚えられない原因なのかもしれません。最近はバイタルデータを記録する腕時計などの機械も普及しており、数字で体調を知る方法もあります。ただ、それにしてもいつも健康に意識を向けているのは難しく、やはりかつての轍を踏むことになるのです。

 もっとももしこれから数時間後に体調を崩す可能性が60%を越えましたなどとアラームを発してくれる機械を身につけるのには賛成できません。何もできなくなってしまいそうですから。

説明できること

 何が正解なのかは分からないけれども、それが正しいであろうと他者のほとんどに説得できることが大切になっていると考えます。

 決まった答えはないというと、何でも答えになるかのように受け取られ、ならば考える必要はないとまで考えてしまう。しかし、答えはないのではなくてやはりあるのです。それが何であるのかいまのところは決められないというだけです。

 決まった答えがない問いに対しては、自分がこれこそは正解だと考える答えを考え、それに同意してくれる人を増やすことができるのかが肝要となります。そのスキルこそこれからの社会で必要な能力です。

 読解力の低下がピサの試験で明らかになりましたが、人に自説を説得する能力は読解力と表裏の関係にあります。危機感をもって教育にあたる必要を感じています。

夏休みまで待てるか

教員の長時間労働を法的に容認するかのような法案が国会で可決しました。超過勤務を認める代わりに、夏休みなどの閑散期にまとめて代休を取得できるようにするというものです。あまり教育現場に詳しくない方が考えられたのでしょう。

 閑散期的なものとして思い浮かぶのが夏休みなどの長期休暇です。授業がないので教員は暇なように感じる方もいらっしゃいますが、教職員は夏にいろいろな仕事をしています。部活顧問であれば、練習の監督、指導、試合やコンクールへの引率、合宿あれば二十四時間労働になります。研修は自主的なものが多いのですが、教育としての技能を高める大切な機会です。

 法案の問題点として休みをまとめて取れば事態が解決するかのように考えていることがあります。総体的に労働時間の問題が解決されたとしても運用していくうちに必ず問題が発生します。果たして長期休暇まで休まなくてもよいのか。私たちは日々の過労に耐えられるのかということです。

 実際にはほとんど存在しない閑散期と、非現実的な休みだめ策は、現場の実状から著しく乖離しています。教育のことを考えるならば、教科教育担当者と、生活指導担当者、教育経営担当者を分業してそれぞれの技能を高めるとともに労働時間を限定することの方がうまくいく気がします。

メンテナンス

 様々なテクノロジーが発展する状況の中で、改めてインフラとセキュリティの問題が気になります。

 駅に設置が進むホームドアは転落事故を防ぐための大切な装置であり、東京のような混雑が激しい地域では必須のものと考えます。ただ、多くが後付けのため、エネルギーを伝えるケーブル類が露出しており、経年劣化や人為的損傷を受けやすい状況にあります。装置のメンテナンスも継続していかなくてはなりません。

 他にもさまざまなテクノロジーが普及する中で持続可能性がより一層注意されなくてはならないと感じられることが多数あります。道路や橋脚の劣化が大きな事故に繋がった事例は国内外に多数あります。今度は新たなインフラがやがてまきおこすかもしれない災禍の可能性を常に考えておかなくてはならないでしょう。

 便利なものを使い続けるのにはそれなりの努力が欠かせないのです。

愛国心もしくは愛国民心

 所得格差が広まる中で改めて必要になってくるのが愛国心だと考えます。正しく言えば愛国民心とでもいうべきものかもしれません。

 所得格差は国民の中に分断をもたらし、幸福感を下げ治安維持にも関係を及ぼします。資本主義社会の中で所得に差がつくのは必然ですが、それが大きく、かつ固定化すればもはや民主主義が維持できなくなるはずです。崩壊の前兆を感じる前に手をうたなくてはなりません。

 富裕層にこれ以上の課税をすると資産の国外移動が起きるから、広く薄く課税した方がよいという意見があります。一理ありますが、納税能力に差があることを知りながら、平等に課税するというのは実は平等ではないことは明らかです。

 たとえばあり得ないことですが、私が巨万の富を得たとして、累進税の最大限度の課税をされたならば、やはりいい気にはならないでしょう。自分で稼いだ金なのにと思うかもしれません。ただそこで考え方を変える必要があります。その富の出所が他者であるということを知らなくてはならないのです。

 財産が自分の才覚だけで得られたものという錯覚は誰にもおきます。それを抑えるのはやはり広い意味での教育の力なのではないでしょうか。自分たちが暮らす国の仕組みを理解し、その中で生かされている事実を知るべきなのです。学校のみならず、社会全体が健全な愛国心を持っていることが資本主義社会の条件だと考えます。

師走始まる

 今年も最後の月に入りました。最近、身の回りにいろいろな変化があって体調が今ひとつなのですが、やるべきことを少しでもやっていくしかありません。師走はある意味、総括の期間であり振り返り、前を向く時期です。私なりにやっていくつもりです。