通勤電車は寒くなった今週も窓を少し開けて走行している。さすがにかなり寒い。新型コロナウイルス感染予防はこの季節に新たな困難を抱えている。
寒い車内を難じることはできない。空気の循環、排気という大義名分は何ものにも変えがたい。不特定多数の利用者がいる公共機関では仕方がないことだ。リモートワークをする人がある程度いることもかつての満員状態にはならず、それが寒さの原因にもなっている。
どれも悪いことではないが、寒さゆえに体調を崩しては本末転倒だ。いかに防寒するかが、最近の課題となっている。
日々の思いを言葉にして
投稿者: Mitsuhiro
通勤電車は寒くなった今週も窓を少し開けて走行している。さすがにかなり寒い。新型コロナウイルス感染予防はこの季節に新たな困難を抱えている。
寒い車内を難じることはできない。空気の循環、排気という大義名分は何ものにも変えがたい。不特定多数の利用者がいる公共機関では仕方がないことだ。リモートワークをする人がある程度いることもかつての満員状態にはならず、それが寒さの原因にもなっている。
どれも悪いことではないが、寒さゆえに体調を崩しては本末転倒だ。いかに防寒するかが、最近の課題となっている。
グーグルのサービスに自分の移動記録を蓄積してくれるものがある。これまでどこに行ったのかを登録した端末の位置をもとに記録する。
もし、自分が歩いたことがある道を色づけしていくとしたら、その濃淡に自分の生活圏のようなものがわかるだろう。そして、その狭さに驚くかもしれない。ごく限られた空間を、面というより線で移動し、世界を見てきたかのような気持ちになっている。
歩いてきた道は大切な人生だが、そこから踏み出すことも大切なのではないかと考えるこの頃だ。
今冬最初の寒波が来たようだ。東京は乾燥した晴天だが冷え込みが厳しくなった。これからはマフラーを忘れると後悔することになりそうだ。
日本海側は雪が降っているようだ。この季節の山脈を挟んでの天候の違いは劇的だ。同じ国かと思うくらい別の景色になる。かつて富山に住んでいた頃は冬の暗さに驚いたものだが、いまとなっては雨や雪のもたらす潤いが懐かしい。
一面にに降り積もる雪の風景を心象として乾いて冷たい関東の空でしばらくは生きていかなくてはならない。
平日に遊園地に行ってみた。予想通り空いていたがそれでもかなりの人が訪れていた。都心に近い遊園地ということで平日でも集客できるのだろう。
ささやかな冬の支度として、マフラーと手袋を用意することにした。東京の冬は晴れて乾燥することが多い。めったに雪は降らないが、北風が強くかえって寒く感じるものだ。
ここまでやや暖かい日が続いていたこともあり、警戒の気持ちが緩んでいる。コロナウィルスは収まらないしインフルエンザの脅威もある。ゆっくり休みたいがそれもできない。苦しい毎日をいかに生きるのか。
今年は最後までいろいろ試される1年だ。
自分の未来のあり方を考えるといまはあまりいい気分になれない。それは年齢的な要因もあるだろうが、様々な不安要素が感じられるからだ。
冷静に考えれば不安が存在しないわけはない。次に何が起こるか、それがどのような影響を及ぼすのかは誰も知らない。分からないことはもうどうしようもない。何とかしようと思うから悩みは大きくなるのだ。
理論的にはそうであっても現実の地平に立てばそんなにうまくいくはずもない。それがいまの実情だ。
ここ数日、強い風が吹いていないせいで紅葉が長持ちをしてる。近くの街には銀杏並木があり、黄色に色づいた葉が落葉前の美を見せている。鮮やかで印象的だ。
おそらく、数日で冬型気圧配置が完成し乾いた寒風が風景を別のものにしてしまうに違いない。今見る風景は今しか見られない。その感動は写真や動画には残せないはずだ。
せめてわずかな時間、この風景に向き合ってみよう。
イギリスでコロナウイルスのワクチン接種が始まった。緊急事態ゆえの措置と考えるが、異例の早さという。様々なリスクがあるにも関わらず、実施に踏み切ったのは切迫した状況があるからだろう。今朝は早くもアレルギー症状が出た報道があった。世界中で情報を共有するしかない。
逆行していた季節がまた前進を始めたようだ。これから寒くなる毎日に耐えなければならない。やるべきことは多く迷うこともおおい。
都会にある水族館に行ってみた。平日だから人は少なかったが、その分水生動物と向き合ってきた。実に不思議な時を過ごすことができた。
どうして魚はこんなにも種類が多いのか。そしてそれぞれに実に特徴的な形をしているのか。様々な色彩があるのはなぜなのか。そういうことが水槽ごとに気になって仕方がなかった。人生という単位では計り知れないくらいの長い年月をかけて、それぞれの生き物はそれぞれの形になった。それぞれの色彩も、それぞれの大きさもすべて長い歳月をかけて今にたどり着いたのだ。人間ごときがそれを描写しようとしても所詮は部分を描いたに過ぎない。おそらく非常に長い年月の意味づけが難しいほどの繰り返しと、突然起きた環境の変化と、その他予測不可能な何らかの変化を超えていまに至っているのだ。
水族館に行くことは楽しみでもあるが、ある意味不可解な質問を無限に繰り返される空間でもある。質問に答えられないことを、私は認めなくてはならない。知識主義の現代人の根底を覆される。だから水族館は面白い。そして刺激的で危険な場所でもある。