贅沢とは何かを考えるとき、金をかける方面で考えると際限がない。世間はとてつもない財産家がいて、その人と比べると惨めになる。
しかし、例えば好きなことに没頭して他のことを忘れることができる時間を持てたなら、それは贅沢の範疇に入るだろう。別にどこかに行かなくても、何かを買わなくてもそう思えるのならば立派な贅沢だ。
そういう心の豊かさを持たなくてはならないとつくづく思う。
日々の思いを言葉にして
投稿者: Mitsuhiro
贅沢とは何かを考えるとき、金をかける方面で考えると際限がない。世間はとてつもない財産家がいて、その人と比べると惨めになる。
しかし、例えば好きなことに没頭して他のことを忘れることができる時間を持てたなら、それは贅沢の範疇に入るだろう。別にどこかに行かなくても、何かを買わなくてもそう思えるのならば立派な贅沢だ。
そういう心の豊かさを持たなくてはならないとつくづく思う。
駅に向かう途中の道端に置かれている素焼きの鉢が割れていた。さては誰かのいたずらか。それとも自転車か何かが衝突したのかと思った。だが、どうも違うらしい。
割れた破片は外部からの圧力ではなく内側からのエネルギーのベクトルを表していた。鉢は自ら割れたのである。皮を剥いたときのように広がったかけらがそれを示していた。よく見ると、底面にもたくさんの根がはみ出している。どうやらこの根が鉢の側面に圧力をかけた結果なのだと納得した。
植物の力は実は強大だ。整備しないままの舗装道路が、雑草の繁茂によって亀裂ができている風景は田舎に行くと当たり前にある。田舎の話ではない。都心でも手入れを怠ればたちまち植物に侵食されるという、
生き物の力を実感する風景であった。
現在走っているガソリン車のポディをそのまま使って電気自動車にしてしまう企業が注目されているらしい。中にはいわゆるクラシックカーのEV化もなされるようで興味深い。
松本零士の漫画に銀河鉄道999がある。見た目は蒸気機関車が牽引する客車だが、銀河を越えて遥かな旅をするハイテク列車だ。見た目はレトロだが実は最先端技術が搭載されているというものは今後の一つの流れになるかもしれない。新しいものは機能的だが、それゆえに味わいがない。レトロなラッピングをすることで親しみやすく使えるものができるかもしれない。
ものの話ばかりしたが人間にもそういう人がいても面白い。見た目は老けているのだが実は最新のスキルを持っている。そういう人だ。私はそれを目指したいが中身がやはり追いつかない。ラッピングの方はすでによくできているのだが。
昨夜は強い風雨が通り過ぎた。先日に続いて深夜の暴風だ。雷鳴こそなかったものの、安眠を破る音が響き続けた。
今朝はうっかり折り畳みで出かけたが風強く役に立たない。骨組みごとめくり上げるので、まさに破れ傘の趣きである。
年末にかけてやるべきことは多い。その焦燥をかきたててくださいように天気の方も演出するようだ。
宝くじには当たったことがない。正確には一万円ならあるが、それもかなり前のことだ。今年も年末の宝くじの宣伝がしきりだがどうしよう。
くじの当選確率は恐ろしく低い。2階からコインを貯金箱の平たい穴に入れるようなものだ。まずは当たらない。しかし、万一当たれば支払額によりはるかに多い見返りがある。ハイリスクにしてハイリターンの典型だ。これはあくまでおまけとして考えるべきだ。当たるかもしれないと夢見ることが楽しい。本当に当たってしまうとかえって人生が狂ってしまうかもしれない。
それよりも地道にやるのがよい。ただ最近はノーリスクではノーリターンどころか損失が出る。リスクをとってもやるべきことはやろう。そう考えて時間と学習に投資することにした。成果はあるのか。ないかもしれないが、宝くじよりは手応えがあるとは言えるかもしれない。
何でもネットで手に入る時代に実演者が価値を見出すことはどこにあるのか。それはやはりライブの醍醐味以外にはないだろう。
情報はたとえばYoutubeのような動画サイトでいつでもどこでも取り出すことができる。それが数年前のことであろうと全く問題はない。しかし、情報が取り出せるのと、そこに説得力を見いだせるのかということの間には距離がある。やはり我々は時空を共有したものに価値を見出すし、そうでないものはステレオタイプ的な価値観念のなかで図式化されたものの見方をしてしまう。
正しいか否かと言う前に、時空を共有できているのかということが判断の材料になっているのは確かだろう。時間や空間の制約を乗り越えた情報はなにか干からびていて、どんなに正しいとしても味がないような気がしてならない。それが個人的な判断を求める場面では劣勢になることもある。すべてを機械の判断に任せることはできない。少なくとも今の世代にとっては。
失敗があったとしても我々は目の前のパフォーマーに敬意を払うべきだ。時間と空間を共有する演者と巡り会えた幸せを噛みしめるべきだと思う。
気温差があるせいなのか少し体調を崩してしまった。発熱や風邪症状ではなく、感染症ではなさそうだ。単に疲労しているのだ。
身体が冬のモードへと切り替わるとき、これまでもこのような症状になってきた。天候同様、私の中にも嵐の通過する日があるようだ。
冬は決して嫌いな季節ではない。引き締まるような感覚がいい。高村光太郎の詩を思い出す
やるべきことはやっておかなければならないと最近痛感する。もう少し上達してからやろうなどと考えているとなかなかできない。まさに拙速を貴ぶのである。
私の場合、物事に取りかかるのが遅い。慎重といえばそのとおりだが、代りに得られることも限定的だ。後回しにしてよかったこともたくさんある。ただ、最近、自分の心身や気力が下降していることを感じている。やるなら少しでも条件がいい今がいいと考えるようになった。
能力、才能の拙い身でできることは限られている。でも、できることはまだたくさんあるはずだ。それを一つずつ実現していこう。
関東地方てほこのところやや大きな地震が続いている。今日は未明と早朝に山梨県付近を震源とする地震が相継いだ。私は専門家ではないので以下述べることに全く信憑性はない。
この地域を震源とする地震は年間を通して頻繁に発生しており、特別ではない。複数の地盤がぶつかり合う場所の近くであり、緊張が起きやすい場所なのだ。だからこれがすぐに大地震の前兆であるとか、富士や箱根の噴火に繋がるものではないと思う。
ただ、長期的な観点ではこの地域に限らず、大きな地震が起きる可能性はどこにでもある。その時の備えをどのようにするのかは考えておくべきだ。
個人的にはものの所有を少しずつ減らしていく必要があると感じている。私は捨てられない気質でなんでもとってあるが、そろそろ見切りをつけることにしたい。本当に残しておきたいもの以外は、処分するか寄付することにしよう。地震などの天災はそういうことを考えさせるきっかけなのかもしれない。
とある外食業界で支払い時の顔認証システム導入の報道があった。今のところ希望者が企業の認証システムに自分の顔を登録し、商品の支払いに顔認証を選択するとクレジットカードやバーコード提示をしなくても決済まで可能ということだ。未来社会構想に近づいた感がある。
顔がマイナンバーなどと結びつけられ、それが金融機関に提供されるようになると、方方で顔認証決済がなされるかもしれない。顔パス時代になる。レジ係はいらなくなるか、客を気分よくしてくれるウルトラ会計担当しか残らなくなる。あとは梱包を手早く美しく安全にやるサッカーが必要だ。それも機械に乗っ取られる可能性がある。
顔バスが実現するためには個人情報保護が問題だ。しかし、この流れではプライバシーの問題は後まわしになる気がする。