If you had a freeway billboard, what would it say?
高速道路は油断すれば事故を起こす。起こしてしまえば致死率は高い。大抵の場合は何もないが、もしもの一回ですべてが終わることにもなる。大切なのは明日もまた同じように生きられることだろう。日本のような天災の多い国民は深層心理でこう願っている。
日々の思いを言葉にして
投稿者: Mitsuhiro
元旦から天災人災が相次ぎ、波乱の幕開けとなった。ただ、暦の上では正月であることには変わりない。正月気分は元日の地震で吹き飛んだ。でも、正月扱いはいつまでなのかは気になる。
ちなみに古典作品を読んでいると、旧暦の1月は月末まで正月と表記されている。元日と人日の節句が宮中の大行事だが、その他にも様々な祭事があるのが1月の特徴である。
関東では7日までを松の内と考える地域が多い。そこまでは注連縄を飾り晴れの時間であることを示す。これが11日とか15日までとかの地域もある。
今年の場合、5日までを祝日扱いにしているところが多い。6日は土曜だから土日の料金体系になる。結果的に8日まで休日の扱いとなるというわけである。
正月を祝うことは他の祭日イベントに比べると伝統的かつ保守的だ。大晦日の夜に渋谷で騒ごうなどとは思わない。そこが土着の祭日とそうでないものの差なのだろうか。
能登半島地震に関して人工地震ではないかというエセ情報がソーシャルメディアに出ている。東日本大震災でも似たようなデマが流れたが、どうも科学的根拠が全く欠けた虚言のようだ。現在の人類の技術ではマグニチュード6以上の地震を起こすことは不可能だ。まして広範囲に地震を起こすことなどできない。
科学者はこのことを説明してほしい。恐らくバカバカしすぎて何も言えないのだろうが、人々の不安に漬け込む妄言を摘み取るためには専門家が説得するしかない。何をやっても権力の陰謀などと言ってデマゴーグは流れ続けるだろうが、それが嘘だといえる人がその都度指摘することは必要だ。
宇宙戦艦ヤマトはガミラス星のマグマに波動砲を撃って地殻変動を起こした。日本沈没のリメイク版で草彅剛演じるヒーローは海底火山にメガトン爆弾を透過して、列島沈没に歯止めをかけた。彼らの発想はこのレベルなのだろう。その素直な感情は人心の扇動ではなく、他に活かしてほしいものだ。
教養としての中等教育はやはり必要だ。人間が現在の技術でだけだけの地震が起こせるのかを教えなくてはならない。また、どんな有名なメディアに乗った情報でも嘘が溢れていることも教えるべきだろう。
NHKの山内泉アナウンサーの津波警報発令時のアナウンスについて考えてみた。東日本大震災の教訓を活かし、津波警報発令時はアナウンスのトーンを変え、生命の危機が切迫していることを伝えるようにしたことは知っていた。そのマニュアルに従ったものであったといえる。
ただ、そうは言っても実際にできるかどうかは別問題だ。感情的になりすぎて伝えるべきことを伝えられなければ意味がない。アナウンサーとしては冷静に事態を受け止めながら、音声では緊張感を出して叫ぶように話さなくてはならない。プロの技を見せてもらった。
大震災を経験していてもすぐに油断は発生してしまう。それが人間の恐ろしいところだ。津波の可能性が少しでもあれば避難するのは知っていてもそれができない。その心理を知って報道することが必要なのだ。
NHKについて批判的な人も多いが緊急時に公共放送がなかったらどうなるのかを考えると恐ろしい予想しかできない。
元日から大きな天災が起きてしまった。能登半島地震と命名された地震は最大震度7であり、震源地付近はかなりの被害が出ているらしい。また浅い地震であったためか津波も発生し、現時点でも警報が出たままだ。
私は富山に親戚や友人を多く持ち、その方々の安否が気遣われる。通常、あまり地震がない地域のため精神的な動揺がないか心配だ。まだ余震が続く気配があり油断ならない。関東に住む私から言えるのは、少し不安でも数日を過ごせばなんとかなる。心配し過ぎてはならないということだ。
ただこの時期に停電や断水が起きるのは北陸にとってはかなり辛い。まずは防災のための様々な豆知識を提供すべきだろう。詳しい方はソーシャルメディアに載せてほしい。私が知っているのは、スマホや懐中電灯の光を水の入ったペットボトルを通すと乱反射して明るく感じるというくらいだ。ロウソクは危険だから止めたほうがいい。余震はいつ来るのか分からない。風呂に水を張り、捨てないでおくことも、東日本大震災でやったことだ。停電時に水道が使えなくなりトイレが流せなくなったときに備えたものだった。
ラジオは心強い情報源だ。それを動かすための電池はあるだろうか。
海岸付近に家のあった知人が心配だ。報じられている津波の程度なら大丈夫かと思うが、数十センチの津波でも人の自由は簡単に奪われるのが津波の威力だ。絶対に海や川を見に行かないでほしい。釣り好きの知人が海に誘われていないか不安でならない。
読売新聞の発表した今年の主なニュースをみると、逮捕、トラブル、失敗、不正という記事が多い。これは事件を報道する新聞である以上仕方がないことだろう。それにしても政治家の逮捕や罷免は多すぎる。また東京オリンピック組織員会の談合、電力会社のカルテル、ビッグモーターやダイハツなどの企業の不正疑惑などいろいろ問題が多すぎた。
信頼を裏切られるのはつらい。マイナンバーカードのトラブルの連続はデジタル社会の脆弱性を露呈した。ジャニーズ事務所の性加害問題はアイドルに対する夢を打ち砕く大問題だった。
いいこともあった。何よりも新型コロナの5類以降は非常事態からの脱却の糸口になった。社会を覆った不安のもとが取り除かれたのは大きい。いいことなのか分からないが東証で株価が33年ぶりに33,000円台になった。日本の経済に関しては不安要素の方が大きいが、それでもコロナ禍を脱して次に進む気配は見えてきた。
スポーツは目覚ましいニュースが多かった。何年ぶりの優勝というのがニュースになった。WBCは大谷翔平らの活躍によって14年ぶりに優勝した。阪神は38年ぶりに日本一になった。優勝間隔の長さならば慶應義塾高校の107年ぶりの優勝というのが突出していた。
そうだ。何よりも印象的なのにすっかり慣れてしまったために忘れていたが今夏の平均最高気温が史上最高だったことも今年の印象的な出来事だったといえる。
以上は前置きで、今日は自分のブログの復習だ。各月の記事の中から自分なりに一記事選んでみた。中にはほとんどアクセスがなかった記事もあるが、私としては思いを込めたので再投稿する機会を無理やり設けたというわけである。
1月の記事では「異次元」という言葉を批判した記事をあげたい。岸田首相が連発する刺激は強いが実態のない政策のキャッチフレーズに疑問を呈したのであった。少子化対策に対して使われた異次元とは結局何だったのだろうか。
今年は生成型AIが大きく普及した。職場にもChatGPTが導入され、事務的文書はそれで書いてもいいというような指導があった。しかし、このシステムには大きな弱点もある。それを「短歌を教える」という記事で書いてみた。このテーマはその後も何度も書き直している。
スポーツ観戦の仕方もコロナ時代が明けて過去のものが戻ってきた。WBCでのスタジアムの在り方はそれを実感させるものであった。ただ、日本の野球の応援方法にはこの際グレードアップした方がいいのではないかという意見を書いたのが「応援の仕方」だった。
コロナの5類以降を間近にして世間ではリモートワークを段階的にやめていこうという動きが出ていた。もっとも私のような仕事はかなり早くからリモートとは無縁になっていた。数年間、避けられていた密集のシンボルである満員電車が戻ってきた。当初はその状態に圧倒されている新入社員らしき人を多く見かけたので書いたのが「満員電車の乗り方」というおせっかいな記事である。
教員不足が問題化してたびたび報道された。これは10年以上前から予測されていたことであり、はっきり言って行政のミスである。形ばかりで関係業者にとっても迷惑に過ぎなかった免許更新制度の失敗を今ほとんど指摘する人がいないのはなぜだろう。
生成型AIはマイクロソフトやグーグルという大企業の競争の道具に取り込まれている。いまやEdgeを立ち上げるだけでチャットがいろいろ答えてくれるようになっている。ますます考えなくなっていく人類に未来はあるのだろうか。そんなことを「副操縦士」に書いてみた。
朝のドラマの影響ではないが、植物に関心をもったのも今年の一面である。道端や公園にたくさん生えているナスによく似た花をつける「ワルナスビ」だが、命名は牧野富太郎であった。この植物は相当なワルらしい。
デジタル機器が学校に普及して教育が進んだかといえばそうでもない。特に深刻なのが文字を書く機会を奪ったことだと考えている。その端的な現象が漢字能力の低下である。それを「見るだけ学習の落とし穴」で書いてみた。
とにかく暑く長い夏だった。おそらく将来は四季ではなく二季になるのではとさえ思ってしまった。パソコンの画面下にでる今日は史上最高気温になるといった文字にうんざりしていたときに書いた記事である。
インボイスという一見合理的だが、実態にはあっていない税制の改革に疑問を持った。たまたまその直接の影響を受ける方とのお話ができたので書いた記事である。私もいまはサラリーマンであるがこの後のことを考えると他人ごとではない。
世の中は過剰な音楽と光に満ちている。感覚過敏な人に配慮したある商業施設の配慮にいたく共感してこんな記事を書いてみた。いまも時々そう思う。そのBGMいるのか。明るすぎないか。
実は世間には人知れず善行を積んでいる人もいる。ニュースにでるのは極端に悪いニュースか自分には手の届かないような偉業を達成した人のことばかりだが、身近に利他的な行動を誰にも誇らずに続けている人がいるのだ。自分もそうでありたいと思いながらいまだに全くできていない。
振り返ってみると、その都度言いたいことを書いてきたが実際に自分が何かを成し遂げたという記事がほとんどない。これがこれからの課題だ。もう人生の後半の後半に入った。体力が落ちないうちにやるべきことをやっておかなくてはならない。
以上、自分では力を入れて書いたがあまり読まれなかった記事を再投稿した。心ある方はリンクをたどっていただければ幸甚極まりない。それでは皆様よいお年を。あなたにとって来年はきっと素晴らしい年になります。
この一年はよくないことが数多くあった。運気とかそういうものがあるとしたら下降傾向が続いたと言える。辛い思いは持ち前のとぼけで切り抜けてきた。多くの信頼を失ったかもしれないが、それよりも日々を切りぬけることでやっとだったのだ。
よかったこととして、こうした谷底に耐性がついたことがある。滅多なことでは動揺しない。ずうずうしい粘りを獲得できた。これは大きな収穫だ。
下がるときがあれば次は上昇だ。来年はその登り竜にあやかりたい。まずは小さな改善と挑戦を積み重ねよう。こういう点に関しては予感はよく当たる。大きな成功は要らない。日々を明るく、人様に迷惑をかけず、僅かでもお役に立てるような一年にしよう。