月: 2023年7月

タカミネ

 Onceという映画を見たことがある。ダブリンの街角でという副題をつけて日本では公開されている映画だ。ストリートミュージシャンと移民系女性のラブストーリーだ。派手なアクションも、センセーショナルなシーンもない。ある意味純粋な恋の物語だ。

 映画版でミュージシャンの男が弾いているアコースティックギターのヘッドを見るとTakamineの文字がある。日本製ギターなのだ。しかもYAMAHAではなく。映画で見ればお分かりの通り、そのギターは大きな穴が開いており、損傷がはげしい。そのオンボロギターでラブストーリーが展開するところにこの映画の魅力がある。

 私もタカミネギターを持っており、もっとも大切にしている。オンボロになるまで弾き込んでいないのは残念だが。そろそろ出番をあたえてもいい。まだ指が動くか心配だ。

ひとりサマータイム

 信じがたいほどの暑い日が続いている。きょうももしからしたら猛暑日となりそうだ。スマホに表示される気温は朝5時というのに27℃ある。

 そこでサマータイムを個人的に導入することにした。1時間早く始動し、1時間早く寝る。この頃は4時になるともう明るいし、気温も高い。それでも昼間の猛暑に比べるとまだマシだ。寝苦しさもある。そこで早く起きて外に出ることにした。

 鉄道は5時台にならないと動かない。そこで、始発電車に間に合うように出て、終夜営業のカフェでモーニングを頼んで読書する。後は職場があくまで待つのだ。これで学習時間が確保できる。意外にいいアイディアではないか。しばらくはこうした毎日になりそうだ。

猛暑日確定

 まだ6時というのに26℃あるようだ。今日は猛暑日確定である。梅雨前線がやや北にあるためか、空は晴れ、強い陽射しがばらまかれている。

 猛暑日という言葉を聞いたときは極めて異常な気象現象と思った。それがかなり頻繁に起きることになり、熱中症が天災であると認識するようになっている。猛暑日の次の段階の名称も必要になるのではないか。考えるのも恐ろしい。

 幸い今日は屋外の仕事はない。外で働く方は十分に気をつけていただきたい。雇用者には特別な配慮を。長期的にみて人材を大切にする方が利益につながる。

戦争の残すもの

 「戦争は女の顔をしていない」というドキュメンタリー作品を読んでいる。第二次世界大戦においてナチスドイツと戦ったソ連の女性たちの戦争体験を聞き書きしたものである。かなり大部であるが、惹きつけるものが大きすぎて非常に印象的だ。

 ソ連軍には多数の女性兵士やその支援部隊がいた。あまりにも多くの犠牲者がでたソ連軍は女性の動員もせざるを得なかったのだ。ただ、この作品を読む限りかなりの女性は自ら志願して戦地に赴き、中には最前線で戦ったという人もいる。多くは死に、生き残った人たちもその心身が傷ついた。悲惨さは文章からは完全にわからないはずだが、それでも心に迫るものがある。

 女性たちを戦地に向かわせたのは家族を殺された憎しみもあるが、当時の指導者の国民の洗脳も大きい。国家のために戦うことを子供の頃から教えられ続ければ、兵士になるのは当たり前だ。このあたり我が国の歴史に共通するものがある。

 生き残った女性たちの証言は様々でそれが戦争の悲劇を多方面から証すのである。男以上に戦果を上げた兵、同僚の命を何人も救いながらも、同時に多くの死を看取った衛生兵、敵に辱めを受けても屈しなかったパルチザンもいれば、敵兵を憎みながらも怪我の治療をした人もいた。

 戦争はさまざまな悲劇を同時多発的に発生させ、憎しみの連鎖を巻き起こす。敵国だけではなく同胞の仲間からも排除されることもある。だから、やはり戦争は避けなくてはならないのだ。

 この作品の当事国であるロシアがいまも戦争をしていることは大きな皮肉というしかない。現在も多くの悲劇を生産し続けている国があることを傍観するしかないのだろうか。

面白さを伝えられていない

 最近の反省は学習の効率ばかりを追い求め、楽しさを伝えられていないことだ。今の世代には面白さや身近さが大切なのだと最近気づいてきた。方針転換を考えている。

 効率よく上手にやることに関しては最近の世代は非常に長けている。デジタルデバイスを駆使して瞬く間に終えてしまう。ただそれらの多くは作業であり、印象には残らない。過ぎていくだけなのだ。

 本当に残るスキルなり、知識の獲得には先に呼べた自分とのつながりを感じることが必要なのだろう。その表現の一つが面白いということであり、興味や関心を引くということなのだ。

 では、どうしたらそのような教え方ができるのだろうか。流行におもねるのではなく、何か大切な要素がある気がする。それを考えるのがこの夏の課題の一つだ。

梅雨明けの可能性も

 連日暑い日が続いている。雲の多い蒸し暑い天候は身体にこたえる。天気予報によれば来週は猛暑日になる可能性もあり、場合によっては梅雨明けになる可能性もあるらしい。

梅雨末期は大雨に警戒

 梅雨末期の大雨はこの時期にもっとも警戒しなくてはならないものである。過去も多くの被害をもたらしている。7月中旬が多かったと思うが、このところ前倒しになっている。いま西日本を中心に豪雨の地域があるらしい。これが、次第に東に及ぶ。

 周囲の人たちの体調が軒並み落ちている。中にはひどい咳をする人もいいる。コロナウイルスかその変形かもしれない。数年前と違って大騒ぎしないだけで、感染が広がっている可能性は大きい。でも、やや強めのインフルエンザといった感じなのでこれは通り過ぎるのをまたなくてはなるまい。

 天候の不順はいろいろな不都合をもたらす。それをいかにやり過ごすのかが肝要である。

趣味のうち

 利益にはならないがやりたいことはある。これを能率主義者は無駄という。でも、果たして無駄なのだろうか。効率を重視して己を捨てることよりも遥かに有益なのではないか。

 趣味の追求は大抵の場合、他人からは無駄にうつる。そんなことをして何になるのだと。なんにもならない。ただ楽しいだけなのだ。その楽しみが時々他人のためになることがある。それでいいのではないか。

 生産性の高い理想的なXさんになるより、駄目だが生きることが楽しい私になる方が遥かに幸せであり、世の中のために成るのではないか。最近よく聞く生産性第一主義の論者の大半が不幸そうなのは恐らくここに帰結するように思えてならない。

七夕の願い

 新暦の七夕である。梅雨の只中で天の川の邂逅は目撃できないはずだが、今年は異常気象もあつて可能かもしれない。日本ではこの日、短冊をつけた笹を飾る。その短冊に願い事を書くのが習慣になっている。

 日本の七夕行事は恐らく根が深い別系統の棚機つ女伝説や、本来夏越の祓に関係する禊や祓えの行事が集約されているものと思われる。短冊に願いを書くことは江戸時代以降らしい。

 願い事は元来、文字の上達など、学業や芸事の向上が願われていたらしい。だから、金持ちになれますようにとか、推しの誰々に会えるようにとかたのまれたとしても天帝は処理に困るだけだ。

 私は「いつまでも自分の頭で考えられますように」という願いを見えない短冊に書いて飾ることにする。もちろん認知症が発症することを少しでも遅らせたいということもある。それよりも何でも機械任せにして考えなくなっていることへの自戒を込めてこの願い事を掲げよう。

 叶えてくれるだろうか。

短期記憶低下

 残念ながら短期記憶の低下は著しい。何をしに来たのか思い出せないということがしばしばある。コンピューターのウインドウを閉じると、何をやっていたのか分からなくなる。これは一種の老化なのだろう。

 同僚の中にも同じ悩みを持つ者がいる。しかも、私より大分若いのにも関わらずだ。短期記憶は、かなり早い時期にピークを迎えるらしい。

 そこで私は常に小型ノートを持ち歩きメモ代わりにしている。これで一応補助になる。ところが困ったことにこのメモをしょっちゅうなくす。だから、私の鞄や机上はメモ帳だらけだ。でもないよりずっといい。

 大事なのは何でもメモすることだ。単語でも図でもいい。すぐに採る。私の頭のスキルを補うのは数百円のメモ帳とペンなのだ。ブログ記事のヒントも大抵これである。