月: 2022年8月

そこにあるものを最大限に生かす

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私たちにはより良いものを使いたいという願望がある。便利な機能がついているものはそれを使いたい。それは自然なことだ。しかし、その便利という考えを熟慮する必要がある。それは本当に必要なのか。便利なように見えて実は不便なのではないか。

例えば新しい家電を購入するときに、様々な高機能付きの製品を選びたくなる。1万円高くてもその方がいい。店員もそれを勧めるし、情報誌にもそのように書いてある。数年使えば1万円の投資は回収できると考える。しかし、もしその機能を全く使わずにその製品を使い続けるのだとしたら無駄になる。

 こういう論法は今までにもいろいろな人から聞いた。なるほどそういうこともある。ただ、大切な問題は少し違うところにあるのではないか。高機能が保証されていればそれだけ安心感はあるし、可能性という満足感を購入したとすれば使わなくても投資価値があったともいえる。無駄とは言えない。

 問題はその高機能性に甘んじて、自分で工夫することを怠ってしまうことにあるのではないかと考える。機能がなければその分、自分で工夫をしなくてはならない。生産性が下がるかもしれないが、その中で何ができるかを考える。結果として別のやり方が生まれ、下がると考えれていた生産性はかえって向上する可能性もある。こういう努力をしなくなることの方が技術依存の問題点だと考える。

 今ある条件のなかで何ができるのかを考えることが大切であり、それが結局は既成の状況を超越するためのきっかけになる。与えられた幸福よりも自らそれを模索し獲得することの方が意味があるはずだ。

携帯キーボード

 スマートフォンでほとんどの記事は書いているのだが、やはりキーボードがあると効率が全く違う。文字をたくさん入力するときはやはり物理的なキーボードが欲しい。私が小型パソコンを持ち歩くのはそのためでもある。ただいかんせん重い。軽量のPCもいくらでもあるがそういうものは値もはるものだ。私はその一つの解決策としてキーボードだけを携帯して、Bluetoothでスマートフォンに接続している。

 私が使っているのはLogicoolのK380というものでもともとはタブレットの入力用として用意したものだ。しかし、そのタブレットが骨董品となってキーボードの方は使わなくなっていた。それをスマートフォン用の入力機器として使ってみたら非常に便利であることが分かった。

 このキーボードは電池で駆動し、3つのBluetoothを受信できる。キーバードの配列も標準的であり、Windows,iOS、androidのどれにも対応できるようにキーが作られている。重さは423グラムであり、私が普段持ち歩いているポーチに入る。これがあればスマートフォンに入力するのが非常に楽になる。

 キーが丸いのは特徴的だが特に打ちにくいということはない。打鍵音がほとんどないので周囲が静かなところでも気にならないのもいい。キーボードだけを持ち歩いてあとはスマホというスタイルでもいいと感じている。4000円弱でスマホをPC化するという言い方は大げさだが私の使用レベルではこれで十分な仕事ができる。

何を学ぶか

 37年前の今日、羽田空港から伊丹空港へ向かった日航機123便が群馬県多野郡上野村の高天原山の山中に墜落した。墜落後に御巣鷹の尾根と名付けられた場所である。死者520名は現在まで単独機事故の死者数として最大の犠牲者だ。生存者はわずかに4名。悲惨な事故だった。

 この事故の原因は墜落の7年前に伊丹空港で起こした尻もち事故のあとの修理が不完全であったことであると推定されている。後部にある圧力隔壁が破損したことで、垂直尾翼と油圧系統が破損し、事故発生から墜落までの迷走飛行したという。不安定な迷走飛行中で書かれた乗客の遺書が見つかったことは当時の大きなニュースであった。いま考えても痛ましい。歌手の坂本九さんが乗客の一人であった。

この事故の原因は先述したように修理が不完全だったことにある。ただ、修理後もかなりの時間飛行しており、その間には軽微な不具合しかなかったという。結果的にこれが事故を引き起こしてしまった。少しずつ壊れていく現象を感知することは技術的に可能であったのかどうかは素人には分からない。ただ、事例から学ばなくてはならないことはある。犠牲者の鎮魂ができるとしたら、それしかない。

 まずは技術を過信してはならないということだろう。航空機のようなハイテクでなくても身近なものであっても同様のことが言える。修理のあとのモニタリングをしっかりとしなくてはならなかった。何かが起きたときに様々な可能性を考える必要があるということだ。

 もう一つは非常時の振る舞いをしっかりと考えておくことだ。もちろん、同じ状況に立ったものでなければわからないことがある。理屈をこねても現場でなくては分からないことがあるのは確かだ。でもその前にいくらでもシミュレーションを重ねておくことはやはり大切だろう。

 墜落の直前まで操縦士は最大限の努力をしていたことはフライトレコーダーなどの記録に残っている。最後に何をするかが人間にとっては大切だ。大いに尊敬する。ただ、そのような事態になる前になにができるのか。この事故は今でもその意味を私たちに問いかけてくる。

突き抜ければ

サボテンの魅力は?

 龍膽寺雄という作家のエッセイを読んだ。シャボテン(サボテンのことをこの作家はこういう)の愛好家で自分でもマニアだという。偏狂家ということである。ただこの偏狂も突き抜ければ芸術となることが分かった。

 戦中を生きた彼は焼夷弾攻撃を受けてもシャボテンへの愛情を失うことなく、焦土と化した街にでかけ、シャボテンを買い求めに行った話などもあった。劣悪な環境に耐えて生きるこの植物に、心情的な魅力を感じているようであった。その奇妙な形態がいいとか、稀に咲く美しい花がいいとかいう次元を超えているようなのだ。

 この人に限らず、一見理解しがたい偏愛を見せる人がいる。それも突き抜ければ人間愛というか、世界を俯瞰する哲学のようなものの見方ができるのかもしれない。そういう趣味ならば持っていたい気がする。

台風接近

大人しくして

 台風が接近している。今回は台風そのものの規模はさほど大きなものではない。ただ、台風が運んでくる雨が災害をもたらすかもしれないと言われている。

 今朝はすでに薄い曇天であり、やや強い風が吹き始めている。時折雨も降って路面を濡らしているが、強風がすぐに乾かしてしまうようだ。お盆の休みを楽しみにしている人も多いはずなので、できるだけ大人しく通り過ぎてほしいと思う。

 8月は年間でもっとも台風が上陸しやすい月だという。最近のように真夏の日々がいつまでも続く気候になると、過去の統計は参考にならなくなるのかもしれない。

登山の意味

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 そこに山があるから。イギリスの登山家ジョージ・マロリーのエベレスト登山に向けた情熱を述べた名言だ。彼が最終的にエベレスト山頂付近で亡くなっていることもこの名言に価値を与えることになってしまった。エベレストのような特別な人しかたどり着けない山ではなくても、人は山に登りたがる。それはなぜだろう。

 高いところへのあこがれは多くの人が共通して持つものだ。高所恐怖症の人は別にみえる。これは考えてみれば高所を特別に感じるからこその感覚であり、あこがれの表現方法が反対の絶対値に振れているのだともいえる。高い場所は日常を超越することであり、そこに快感がある。確かに山は多くの場合それを満たしてくれる。

 しかし、もう一つ大きな要素がある。山頂は限られた面積しかない。その地を占めるということに意味があるのだろう。特別な空間に身を置くことで、確かに自分が生きているという実感が持てる。山でなくてもいいが、人間にとって山頂は特別で限定された空間という意味では象徴的である。高いところならばどこでもいいかといえばそうでもない。山は少なくても人間の一生を単位に考えればほぼ不動の存在である。地質学的には山も動き、海底が山頂になることもあるというがそれは実感からは程遠い。

 エベレストは誰にとっても世界最高峰であり、富士山は日本最高峰だ。万人に共有できる特別な地は、実はそれほど多くはない。マリアナ海溝は世界最深と言われているが、超高性能の潜水艦でようやくたどり着けるかどうかだ。エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地だが、それらの信者以外にとっては面倒な歴史を持った場所に過ぎない。万人が認める特別な場所はやはり山頂だろう。特別な場所を踏むことに登山の意味があるのかもしれない。

 古代のことを研究すると山は聖地でもある。山岳信仰はいろいろなところにあるし、多くの民族に共通する。特別な場所は信仰の場所になり、宗教の対象となる。信仰の具合によっては入山禁止になるか、もしくは山頂に立つことを神に求められるようになる。これも登山する要因の一つだろう。

 さきほど生きていることの確認のために山に登るという可能性を述べたが、生きていることを感じる方法はいろいろある。その一つが死との接点に立ち、彼岸に渡らないことである。死の危険を冒しながらも、生き続けることによって生命を実感することができる。いわゆる冒険である。これができるのも登山の意味なのかもしれない。本当の高山では実際に遭難死する人が後を絶たない。しかし、低山であっても日常とは異なる世界を歩くことは一種の冒険であり、生の実感を獲得できる機会になる。

 登山には憧れるし、遭難者のニュースに接すると悲しくもなると同時にどうしてわざわざ命の危険を冒したのかと思うことがある。今回考えたのはそのいくつかの可能性に過ぎない。そこにあるから登るというだけでは説明できない何かがあるのだろう。

制約も

このブログはたいていスマートフォンで書いています。今日は違いますが。
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 おかげさまでブログを書き続けられている。WordPressを始める前から数えると今日で約13年皆勤していることになる。何事にも飽きやすい私が、これだけ続くとは思っていなかった。それなのに読んでくださる方が増えないのもおかしいけれども。

 今日から短い夏休みに入った。いつも思うのだが、ブログを書こうと思っても休みになると進まなくなる。なぜかと言えばいくらでも時間があると思うからだろう。普段は通勤電車の10分程度で文章を書く。最近はレンタル写真やアフィリエイト広告をつけたりすることも多いので文章作成にかかる時間はもっと少ない。話題を決めて一気に書く。結果として内容は薄いがとにかく継続だけはできている。

 ところが休みになると何を書こうかと悩み、ネット検索など始めると全く進まなくなる。いつでも書けると思うといつまでも書けない。電車の中ではたいていはカバンを抱え、混雑する電車に他人の迷惑ならないように身を縮めて立って片手でスマートフォンで入力する。目的の駅はすぐに着くので雑念は捨てなくてはならない。この時のスマホはネットにつながってはいるがネットは見ないただの入力用ディバイスである。だからとにかくでっち上げられる。拙速を尊ぶのである。

 制約をかけて物事を考えることも時には必要である。もちろんいつもそうであってはならない。熟考熟慮する時間があってこそ、でっち上げもできるのだから。この考え方を生かして速読と早書きの時間を意図的に持つようにしたらいい。

林間都市

中央林間と聞けばこのはずだけれど

 東急田園都市線の終点、小田急江ノ島線の停車駅に中央林間がある。いまは住宅と商業施設が並ぶこのあたりによくある町だ。なぜ林間なのだろう。しかも中央の。

 ネットで検索するだけでもある程度の謎は解ける。戦前の小田急が線路敷設と宅地開発をセットにして行った都市開発計画であったのだ。阪急や東急の成功例をビジネスモデルとしたものだった。

 緩やかな丘陵に雑木林が並ぶ地域を開発し、現在の南林間駅あたりを拠点として入居者を募った。鉄道運賃の無償化などを折り込み、林間都市をなのってイメージアップしたのだという。当初の駅名は南林間都市駅だったという。ところが、当時としては都心部から遠すぎたことや、戦争の影響で計画は破綻し、駅名から都市が取れてしまったという。結果として林間という不思議な地名だけが残った。

 その後西進してきた東急が中央林間を終点にしたことで新たな局面を迎えた。中央林間から渋谷まで、さらには東京メトロ半蔵門線に始発駅として利用できる利点が生まれたのである。新宿にも一本で出られる。一度は頓挫した都市化がなされる。東急の田園都市計画の末端として。

最近できた新しい出口

 駅名が中央林間都市駅に戻ることはないだろうが、皮肉にもそう名乗っていたときより遥かに都市化しているのが現況だ。人口減少が進んだ未来にこの付近は都市でいられるのか。あるいはもとの林間に戻るのか。答えは誰にもわからない。

長崎忌

長崎は忘れない

 何度か書いたことがあるが長崎忌には個人的に思うところがある。

 1945年8月9日、原子爆弾を積んだ爆撃機は八幡を目指していた。製鉄所のあるこの地域はかねてから潰しておきたい場所であるあったはずだ。ところが目標地点の天候が悪く、投下に適さないと判断した。あるいは八幡製鉄所の工員たちが煙の出るものを燃やして妨害したのだともいう。

 結果的に第2目標であった長崎にB29は向かい、厚い雲間に見えた浦上の上空にプルトニウム爆弾が炸裂することになった。瞬時に多数の命が奪われ、長年に渡る後遺症を残す惨事になった。

 その日、子どもであった父は八幡で暮らしており、第1目標地点に投下されていたとしたら間違いなく犠牲になっていたはずだ。当然私も存在し得ない。いま生きていることが偶然の結果であると痛感するのだ。

 もちろん、あらゆる局面において人生は偶然の産物である。ただ、その運命を人間が変えてはなるまい。長崎でその日になくなった人の未来を奪う権利は誰にもなかったはずだ。

 長崎には何度も訪れている。そのたびにもし北九州がこの運命を背負うことになっていたらと考える。犠牲者に心から哀悼の意を表したい。

登戸のドラえもん

発車ベルもドラえもん

 地元の人には有名だが、小田急線登戸駅は駅名表示、壁面装飾、トイレのアイコンまでドラえもんの仕様になっている。我が国を代表するマンガのキャラクターがここでは大切にされている。

 ここがドラえもんカラーで満たされているのは作者の一人藤子・F・不二雄がこの地に住んだことに因む。藤子・F・不二雄ミュージアムはこの駅が最寄駅だ。

 ドラえもんの世界がこの川崎市多摩区を元にしているのかと言えば、それは違うかもしれない。藤子・F・不二雄こと藤本弘は富山県高岡市出身、もう一人の藤子不二雄である藤子不二雄Aこと安孫子素雄は富山県氷見市出身だ。土管のようなものが置かれた公園は富山の風景が下敷きになっているし、のび太もしずかちゃんも高岡弁で話していたのかもしれない。高岡市はドラえもんの故郷を自称する。

 川崎の藤子・F・不二雄は成功後の漫画家としての時代であり、のび太をかなり高いところから俯瞰されていたはずだ。作者たちの境遇が激変する中にあって、それでも未来の国の猫型ロボットは錆びつくことなく生き続けた。作者のお二人が既に鬼籍に入られたあとも輝きを失わない。

駅名看板も自動販売機も

 人生は短し芸術は長し。後人によってドラえもんはよりスタイルが洗練され、新しい設定を付与され、2次元の世界を飛び出した。いつか本当の自立型ロボットが完成したときそのどれかには必ずこの名がつけられるはずだ。新しいのか古いのか分からない絶妙な名前が。