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インボイスなら廃業します

 いつもお世話になっている赤帽の運転手の方とお話をする機会があった。世間話を早々に切り上げて彼からはインボイス制度への不安と不満が漏れてきた。どうもこの制度はベテラン運転手の皆さんにはかなり具合の悪い制度らしい。

 インボイス制度はこれまで課税の対象になっていなかった一定額以下の売り上げ所得の業者に対してあった課税の特例を廃止する方向に向かわせるための制度らしい。所得税の申告の必要のなかった小規模企業、個人経営者などにも課税の記録を求めるものである。下請け的な発注がなされていた場合、所得に関する税金は結果として大企業が肩代わりしていたことになるが、これが許されなくなった。個人経営者にとっては複雑な税務管理を強いられることになる。

 知り合いの赤帽運転手によれば、税金の計算などを管理するアプリケーションソフトなどがあるようだが、これについていけないらしい。高齢のドライバーはこれが原因で廃業することを決めたという。その方はこれまで税率が変化してもいつも計算しやすいピッタリ価格で通してきた。そのために実入りは減ってきていたが、今回はどうするか分からない。もしかしたら、外税価格にしなくてはいけないかもしれない。でも、それは自分の主義に合わないからもしかしたらもう止めるかもしれないなどとおっしゃっていた。

 この制度は運用に関しては様々な問題点が指摘されている。まじめで良心的な労働者の気概をそぐようなことだけはしてほしくはない。

地産地消の再構築を

 福島第一原発の処理水の海洋放出をめぐって中国が日本の水産物の全面禁輸に乗り出したことがニュースになっている。日本側としては放出した処理水の放射性物質が極めて希薄なものであり、健康への懸念がないということを繰り返し説明するしかあるまい。こうした高度な科学的知見に関しては一般人にとってはブラックボックスになっている。海外の人にはもちろんだが、まず日本人に事実説明を行うべきだろう。

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 中国の対日環境については政府の意向が大きくかかわっている。おそらく核汚染が世界的な大問題であるということを繰り返し報じているに違いない。為政者がそのようなことをするのは国内の政策が行き詰っているとき、国民の関心を他にそらすための常套手段である。一般人としては言われたことを信じるほかはない。科学的な情報に関するリテラシーがなければいわれるがままである。それは程度の差こそあれ日本も変わらない。中国の場合はとにかく格差が激しいため、世界的な科学者もいれば何も知らない庶民も多い。それが日本の何倍もいる。情報統制がどれほどなされているのかは分からないが、とにかく説明を試みるほかあるまい。

海産物の中国への輸出が消滅することは大きな痛手になるが、実は日本にとっては大きなチャンスでもある。この際、日本国内で消費できる販路を確立し地産地消を実現しておく必要がある。日本人がまず海産物を消費できるようにすれば、世界的にも食の安全を保障できるし、何よりも食料や肥料などの生産サイクルを堅固なものにできるのである。今回の国際問題はその契機として活用するべきだろう。

賃金上げろ

 最低賃金が1000円超えすることがニュースになっている。遅すぎるというのが率直な感想だ。いまは経済を回すときなのにそれができていない。経済の失策を関係者は認めるべきだ。

 2020年の時点の資料を見ても、OECD加盟国の中の最低ランクであり、実態と賃金がリンクしていない。ここは各企業が人材確保のために投資をするときなのだ。恐らく経営者には勇気がいるだろうがここで人材をどれだけ確保できるかで命運は決まるのだろう。

 給料を上げれば物価も上がるが、先に収入増をすることが何よりも大事だ。いまはそれが反対になっている。これではますます消費を控えるようになり、不景気を促進してしまう。この現実を長々と続けているのがいまの日本だ。

 まず賃金を上げなくては何も始まらない。行政はまずこのための施策を優先してほしい。

1字の商標

 Twitterの商標がXとなることで様々な話題が生じている。イーロン・マスク氏の独善ではないかという批判を含むものが多い。それとともにXというよく使われる一文字が商標登録できるのかという問題がある。

 Twitterの日本法人Twitter Japanは早速問題に直面した。そのままXにや置き換えることは利権上難しい。今のところJapanだけの表記になっているそうだ。アメリカの国内でもこの商標は多数あるはずだ。それらをどう処理するのだろう。

 日本の場合、商標法の中で「極めて簡単で、かつ、ありふれた標章のみからならなる商標」は認められないと規定されており、商標審査基準では上記の認められない例としてローマ字については「1字又は2字」であったり、「ローマ字2字を「ー」で連結したもの」、さらに仮名文字については「1字」「ローマ字の1字の音を表示したもの」「ローマ字の2字の音を表示したものと認識されるもののうち、そのローマ字が商品又は役務の記号又は符号として一般的に使用されるもの」が挙げられている。このまま適用すれば、「X」も「エックス」も認められないことになる。

 名前というものはそれを名づけた人の思いや願いがある。それが商売と絡むとき様々な制約が出てくる。今回のX問題はそれらを考えさせられるきっかけとなっている。

日本は先進国

 日本はすでに先進国ではないという論調に出会うことがある。今後ますます増えていくだろう。一人あたりのGNPが多くの非先進国に抜かれているいま、経済の物差しではすでに先進国とはいえまい。

 ただ、この話で注意しなくてはならないのは、もはや〜ではないという考え方だ。これはかつてはそうだったがいまでは違うというニュアンスがある。日本は世界有数の先進国だったのにその立場を失い落ちぶれたという。

 この感覚は実は世代によって異なるのかもしれない。果して先進国の仲間入りなどしたことがあったのか。そう考える世代もいる。経済成長に成功したがそれ以外はどうだろう。そもそも先進国というのは欧米の一部の存在感のある国のことであり、極東の日本はそれとは異なる。いろいろな事情でサミットには呼んでもらえるが明らかに違うのではないか。

 先進国の定義は実は曖昧であり、相対的なものに過ぎない。この国を国際社会の中で価値あるものに保つことこそ大切だ。

日本製端末は

 富士通の携帯電話関連事業が事実上終焉したというニュースがあった。残念だが、日本企業の考え方と携帯端末との相性はよくない。それが具現化してしまった。

 携帯電話のような機械音痴を含めた誰でも使う機械は、それを踏まえたインターフェースを作らなくてはならない。日本企業にはその発想はできなかった。極めて高性能だが素人では使いこなせない。それが日本製の特徴だった。

 高性能を維持するためにはある程度の収益がいるが、グローバル化によって競争力が激化すると、性能は劣るがとりあえずよく使える外国製品が選ばれ、日本製は資金源を奪われていった。高機能だが使いにくい機器から、そこそこ高機能で他の国の機器に劣るところもあるが、使いにくく価格が高いという位置づけになってしまったのだ。

 携帯電話に限って言えば結局ソニーだけになってしまったと言える。シャープは台湾企業のバックアップを受けて延命しているが、最近の報道では旗色がよくない。この2社をあえて日本製スマートフォンメーカーと呼ぶならば、かなり寂しい。

 富士通や京セラにもう一度この業界に戻って欲しいというのが私の勝手な願望だが、道のりは厳しい。端末を作ることは今の日本の経済風土では魅力的ではないようだ。

 考えてほしいのは日本語環境に適したインターフェースの構築だ。今のスマートフォンはつまるところ英語ベースの仕組みでできており、使用者がそれを学んだ上で操作している。しかしこれは実は大きな損失なのだ。思ったことをすぐに形にできるシステムを作ることが日本語環境の急務である。

 日本語環境の市場は世界的にみれば大きなものであり、なおかつ他言語の技術者にとってみれば障壁が大きい。ならば日本企業の独壇場になることは必定と言える。また、特定の言語文化への対応のノウハウはきっと他国にも応用できるはずだ。人間が機械に合わせるのではなく、機械の方が文化的要素を盛り込んで動く時代は必ず来るはずだ。

 ハードの開発で遅れを取った分をソフトのイノベーションで取り戻そう。そのためにはエンジニアの皆さんには国語をもっと学んでほしい。あるいは日本語の様々な使い手と交流を持っていままでにはない使い勝手を創作していただきたい。

お土産倶楽部

 部活動もいろいろあるが、地方の学校にぜひ作ってほしいのが新作民芸品を創作するクラブだ。その地域を表し、なおかつ可愛らしかったり、有益だったりして買い求めたくなる。そういうお土産を創作するクラブだ。

 最終目標として採算が確保できることを前提にしたい。そのためには地域の歴史や経済、流通などの現状を把握する必要がある。地元の商店主や観光行政の責任者にアドバイザーになってもらい、実益が得られる部活動にすべきだ。中学生や、高校生が向いている。

 地域を活性化するのは若い世代だろう。アイデアは彼らが生み出す。大人たちはその実現のためのサポートをすればいい。うまく行けば地域として大きな恩恵がもたらされる可能性もある。田舎であることは不利ではないということを地域として証すべきだ。

未来のインターフェース

 若い世代には信じられないだろうが、ある年代から視力が著しく低下する。次に聴力が来るのだろう。この境地は経験しないとわからないものがある。脳の回転も残念ながら鈍る。これを放置すると認知症になるのだろう。

 これを支援するシステムを完成すれば、大いに社会貢献できるだろう。場合によっては、格別の商機にもなる。だから言いたい。若者よ年寄の言葉を聞け、そこにチャンスが転がっていると。

 これからは高齢化社会になる。高齢者を引退させてはならない。それは若い世代にも不幸をもたらす。そのためには高齢者用のインターフェースを考えるべきだ。爺ちゃん婆ちゃんに現役の消費者になってもらえれば若者たちの活躍の場が確保できる。

 そして実はこの現象は世界のあちこちで起こる。その時にノウハウを輸出すれば次世代のGAFAも夢ではない。日本の若者に期待している。

東急100周年

 東急グループが100周年を迎えた。沿線に住む者として、公共交通機関や流通の提供に感謝したい。子どもの頃と学生時代、そして現在と中断期間はいくつかあるが長い間お世話になっている。

 子どもの頃も今も田園都市線の沿線に住んでいる。いまは田園を感じさせる風景は限られているが、かつては雑木林や田畑が車窓からいくつもみえた。そこに緑色の先頭が丸みを帯びた電車が時折り走った。ステンレスの車両に置き換わりつつあったが緑が来るとなぜか嬉しかった。今より狭くうるさい。そして機械油の匂いがしたように思う。この旧型車両は急速に消えてしまった。いまは博物館にしかない。

 子どもの頃はストライキがよくあった。恐らく中学生か高校生のお兄さんが線路に入って遊んでいるのをみたことがある。ストライキとは何か何のためにするのかをほとんど理解していなかったが、テレビニュースが大騒ぎするのとお兄さんたちの謎の行動が脳裏に焼き付いている。

 しばらく東京を離れて、また戻って来たとき、中学生と高校生では東急電車との縁が切れた。ただプラネタリウムのあった文化会館やその屋上の遊戯施設、小さなステージで河合奈保子のキャンペーンに参加したこと。東横店での買い物などグループのお世話になることがあった。

 大学生になって東横線で通学するようになり、その後就職して関東を離れると再び東急との縁がなくなり、十数年ぶりに帰った生活圏が東急沿線だった。何かと縁があったということだ。

 関東の私鉄は私たちの生活に欠かせない。文字通りのライフラインである。これからも安全な運行を続けていただきたい。

合格した皆さんへ

 大学に合格した皆さんに申し上げたい。その合格は決して自分の能力だけで勝ち取ったものではない。学習が出来る環境を用意してくれた家族や周囲の人々に感謝すべきなのだ。

 嫌な言い方をすれば貴方よりずっと有能で有望なひとは必ずいるはずだ。彼らの中には学習しようにもそのような環境に恵まれなかったひとが少なからずいる。もし彼らが条件を勝ち取っていたら、貴方よりもっと素晴らしい何かを成し遂げる人が登場したかもしれないのだ。そのことを忘れないでほしい。

 貴方がたの中には将来的エリートとしての人生を歩む人もいるかもしれない。大学でさらに学び何かをすればの話だが。エリートになった時に考えて欲しい。限られた人しかエリートに慣れない国家と、才能ある人がチャンスを生かせる国家のどちらがいいだろうか。自分さえ幸せならばそれで構わないと考える特権階級ばかりいる状態と、自らも切磋琢磨しなければ後生をおそれることになる社会のどちらが健全なのか。

 自分だけよければいいと考えるエリートがやがて社会を壊す。そんな予感がする。すでに多くの兆候がある。決して間違ってはならない。大学に合格した人ならば分かるだろう。多くの栄華を極めた王族や国家、企業の衰退の原因を。