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まずはカネを回そう

 いろいろなものが値上がりする中で外食産業は苦しい経営をしているという。原材料費の高騰は特に深刻でそのまま価格転嫁できないのも問題だ。日本の外食は為替レートの問題以前に安価であると言われている。しかし、質的な低下もできないので、結局は人件費の節約などになり、満足できるサービスができなくなっている。レストランでしばしば遭遇する下膳後回しの光景はその象徴だ。

 こうした状況を打開するには、国民の収入を上げることが第一でカネを回さなくてはならない。どうもこの誰でも分かることを、思いきってやってみる経済界の動きが欠けているように思える。じり貧になる前にやるべきことがある。

値上げの10月

 今日から生活用品や郵便料金等が値上がりする。困ったことに必需品が多い。それに見合った賃上げが必要だが追いついていない。

 首相が変わってどのような政策が展開されるのだろう。世間ではリベラル寄りの思想で増税がなされるとの観測がある。ただ、自民党としてできることは限られており、現状維持が基調になるはずだ。慌てて株を売った個人投資家は見事に術中にはまった。

 現状維持ならばこの低成長もしくは停滞を切り抜けなくてはならない。まずはほどほどに金を回すことは大事だ。デフレは貧乏意識と富裕層の海外逃避にある。いい意味での愛国心を期待するしかない。国内の経済が潤えば彼らにこそ利益がもたらされる。目先の利益にとらわれず、同胞の幸福に投資をする人が増えてほしい。羨ましいが我慢することはない。それが未来の一層の利益を齎す。

 持たざる者にもやるべきことがある。好きなことには金を使うこと。そして他者の幸福に繋がることをなんでもいいからやることだろう。今のところ庶民にできることは少ない。ただ従前の振る舞いは日本人の国民性には向いているから達成可能だろう。

 値上げの10月はこれで最終回ではない。政府と財界には利他的な精神をそれぞれのポリシーに付け加えていただきたい。日本という国が世界の範例となることを切望している。

 

米の品薄状態は消費者由来か

 米が店頭で品薄状態になっている。1人1つという張り紙もあった。複数のメディアが報じるところによると、米の在庫は十分にあるが、通常の流通では間に合わなくなっているということらしい。つまり過剰な購入という現象が現れている。

 今夏も異常な猛暑が続き、台風や記録的豪雨の頻発、さらには日向灘での海底地震から発した南海トラフ地震の注意情報もあって非常時への対応が呼びかけられている。食料確保として米が注目されるのは意味がある。

 ただ、必要以上の備蓄は流通の混乱をもたらす。やはり、計画的な購入と消費が必要なのだろう。米などは調理が可能かといった視点でも考えておかなければならないだろう。

注文出版

 書籍の流通において新しい方法が広まりつつある。PODと呼ばれるもので、注文を受けて印刷し製本して販売するというものだ。プリント・オン・デマンドの略で、不良在庫を出さないため結果としてコスト安になるのだという。

 絶版になった本はなかなか手に入らない。それらをもちろん電子書籍化して再販する方法もあるが、やはり紙面で読みたいというものも多い。特に古典的な作品は電子書籍としてよりも紙面として読みたい。自由に書き込んだり、メモを付けたりしたいものである。こういう場合にPODは役に立つ。

 昔からお世話になっている平凡社の「東洋文庫」でもこのPODサービスが始まるそうだ。古書店では何倍もの値がついていたり、そもそも入手困難な作品も多いので注文すれば手に入るというこのサービスは有益である。ただし、本の仕上がりはおそらくソフトカバーになりオリジナルとはかなり異なるものだろう。こういうこだわりがある人は古書店巡りを続けなくてはならない。

 いろいろな形で書籍が展開されていくことは大切だ。書籍流通の場面で販売会社が大きな役割を占めている日本の出版界にとっては大きな革命にもなるだろうが、良書にアクセスできる手段となるならば大いに注目をしていきたいと思う。

新札まだ見ません

 新札が発行されて何日か経ったがいまだに実物を見ていない。職場でも見たのは一人だけだ。今後、こんな話は忘れ去られてしまうのだろうが、新札への切り替えは暫く時間がかかる。

 ましていまはキャッシュレスの時代だ。スマホのバーコードを見せるだけで大抵の買い物ができてしまう。そういえば福沢先生を買い物で使った最後の時はいつだったのか思い出せない。

 紙幣の歴史については教養課程の経済学の時間で学んだ知識がアップデートされていない。要するに石でも葉っぱでも何でもいい。流通しさえすればそれが通貨なのだ。紙幣は現状では究極の物理的通貨であるのに過ぎない。

 とはいえ、なぜ渋沢栄一なのか、津田梅子や北里柴三郎はいかなる人なのか。天皇ではなぜいけないのかなどと考えることでこの国の文化と歴史を考えることはできる。

 通貨に政府と国民が何を見いだそうとするのか。紙幣はそのシンボルとしてはとても興味深い。

政権交代

 英仏ともに政治の流れが変わろうとしている。何がそうさせているのかといえば、現状に対する不満以外にない。

 フランスは変わるときは極端に変わる。オリンピックの直前というタイミングでの野党の大躍進は驚きだが、それだけ現政権に対する不満は大きいのかもしれない。今回行われているのはフランスの下院、国民議会の選挙である。フランスは2段階に分けて選挙を行っている。1人区の小選挙区制をとり、1回目の選挙で得票率の50%以上かつ、有権者の25%以上の得票をした候補者がいない場合は、有権者の12.5パーセント以上の得票率を得た候補による決選投票を行うというものである。フランスの選挙勢力は与党の中道派、それに左派、右派と3分されるそうで、1回目の選挙で躍進した右派が2回目の選挙で勝利を続けると、議会での安定多数を確保することになるそうだ。慌てた中道と左派は候補者の一本化を図り、右派の勝利を阻止しようとしている。これまでこの方法で右派の進出を阻止してきたが、今回はそう簡単にはいかないようだ。

 第1回目の選挙で躍進した極右勢力は、もともと国民戦線といっていた政党で、民族主義、反移民主義を標榜していた。その政党名からもうかがえるように過激な思想であり、現状に不満をもつ国民の一定数の指示を受けてきた。結党した父の後を受けた娘のマリーヌ・ル・ペンが党首になると、現実路線に変更しそれまでの反ユダヤ主義や民族主義のトーンを下げ、中小企業の保護を打ち出すなどの穏健な路線に進んでいる。ただし、移民に関しては否定的で人数の制限や社会保障の厳格化などを標榜している。また欧州連合との関係も距離をとるべきだという考え方のようだ。フランスも停滞する経済や、失業率などに不満を持つ人は多く、その受け口になっているようなのだ。

 決選投票次第であるが、マクロン大統領が今後厳しい政権運営を課せられることは間違いがなく、国際情勢に大きな影響力をもつ同国が今後には注目しなくてなるまい。

 イギリスは議院内閣制のため、今回の選挙で労働党が大勝利したことで政権交代が起きた。しばらく続いた保守党政権から14年ぶりに政権を奪取している。イギリスは前政権でプレグジットを国民投票で行ったが、EUからの離脱は決して英国に利をもたらしていないようだ。輸入のコストがかかるようになったことや、人手不足を原因とする景気の後退が続出した。次期首相になるはずのスターマー氏はおそらく欧州連合との協調を進めるだろう。日本との関係はその結果、少し低下する可能性もある。また移民政策に関しても見直しがあるのかもしれない。

 移民を拒否して国民を守ろうとする動きと、世界的な人間の動きに連動して国家を保とうとする国家が隣接していることは実に不思議なことである。ただ、両国に言えるのは現状に対する不満と次期政権に対する期待であることは変わりない。

 日本ではおかしな都知事選挙が行われている。経済の停滞は欧州の比ではないのにこの国の選挙はなんと的外れなのか。これを幸せというのか。愚かというのか。何があっても政権交代は起こらない、起こっても長続きしないこの国の政治の力の弱さを物語っている気がしてならない。

物足りない豊かさ

 逆説的だが少々物足りない方が豊かさを感じられるということはある。必要以上に満たされているとそれを幸福とは考えられず、むしろ害悪のように感じられる。私たちは少し物足りない方が幸福感を覚えるものらしい。

 物足りない状態に魅力を感じるというのは、そこに想像が働く余地が残されていることを意味する。そこでは無限の可能性が輝いている。こんなこともできるのかという驚きと達成感が得られるのに対して、習慣化し、無批判に繰り返しているものには私たちは冷淡であり、印象すら残らない。

 物足りないことに魅力を感じる文化は実は日本では一般的なものである。侘び寂の価値観などはその例であろう。モノやサービスに満たされた現代人があえて物足りないものに身を任せるのは大切な体験である。

日本への投資

 日本がアメリカの巨大IT産業の投資対象になっている。マイクロソフトの巨額投資は日本経済の支援を表向きの理由としているが、高齢化の進む社会の中でAIを使った様々なサービスがまず日本で普及発展すると見込み、先行投資することでシェアを獲得することが目的らしい。社長がメディア取材にそのように回答していた。

 すでに直面している人手不足の問題は人工知能の支援を受けて切り抜けなくてはならないと考えられている。雇用を守らなくてはならない地域では職を奪う敵になるが、人手が足りないのを救うのだとなれば社会に益なるものという大義名分が成り立つ。

投資はありがたいが、この中に日本人がどれだけ参加するかが鍵となる。結局、自分たちで何とかしなくては投資が終わればそれまでということになる。この国でしか生まれない発想やシステムをどれだけ出せるのか。もらったチャンスを利用して、それを乗り越える気概が必要だ。

察することの大切さ

 察すること行間を読むことは大切な能力だ。空気を読むというとちょっとニュアンスが変わり、同調圧力のもとに自分の考えを曲げて忖度することを第一にするといった意味になる。ただ、場面や状況に応じて自らの言動を調節するのはやはり大切な人間の知恵であろう。

 こういうことを無意味だとしてなんでも杓子定規に考え、効率化とか可視化とか魅力的な言葉を使っていかにもそれが優れているかのように説く向きがある。これが主流になりつつある。成功者と言われる人の中にそんなことを言う人がいるからだろうか。しかし、これはかなり危うい考え方になる。

 効率がいいとか分かりやすいといったことは結局自分の属する共同体の中でのことであり、それを離れてしまうと非効率もしくは害悪になることある。近代科学が推し進めてきたことを考えればいい。豊かで便利な生活を追求した結果が公害の発生に繋がり、気候変動もその影響ではないかという意見が大勢を占めている。つまり、近代の人間は自分の身の回りだけを考え、循環するエコシステムに思いが至らなかった。地球全体の仕組みを考えるのは相当な想像力がいる。今日の東京の豊かな生活が、太平洋の島嶼国家を滅亡の危機に至らしめているなどと、高度成長期の日本人は空想すらできなかった。

 自然保護のことに話が集中したがそれだけではない。日本の経済が閉塞状況にある原因の一つが国内産業の不振だ。私たちは安価なものを求めて外国産のものを日常的に使っている。国産のほうが品質がよいなどといいながら、結局安価な方に手を出す。日本のものは売れないから、企業も設備投資がしにくくなり、最後の牙城とも言える高品質、高機能という要素も怪しくなっていく。これも自分の購買行動が結果的にどのような結果をもたらすのかを想像することができないことによるものだ。結果として給与は上がらず、安価な外国産のものしか買えなくなる。高いけれど品質やデザインのよい国産品があるのなら、それを選び価格の分だけ使い続ける方が実は個人としても国としても経済的なのかもしれない。

 そんなことは分かっているんだという人は多い。でもそれが行動に移らないのはなぜだろう。やはり私たちは察する能力、想像する能力を疎かにしているのではないだろうか。そしてそれを涵養するのは日常的な人間関係を豊かにすることであり、文学を始めとする芸術の分野にもっと注目することなのかもしれない。

職業差別

 職業による差別的な発言をして辞職に追い込まれた知事がいる。報道されたコメントが事実だとすれば市民の代表たる資格はないとしか言えない。度々軽口をたたいては謝罪してきたというから、本人の気質の問題なのかもしれない。

 ただ、変な人の許しがたい行動と片付けてしまうと、労働に対する考え方は変わらない。差別された業種は農業、酪農家、製造業に相当する。これらの職業は人手不足の危機に瀕している。それは労働の対価が低いことにも原因がある。そして彼らがいなくなるとこの国は回らなくなる。

 経済的支援や人材育成のためにやらなくてはならないことがある。それをせずに悪口を言った人を責めるだけは解決はしない。