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陰謀

 コロナウイルスが人工的に拡散されたという陰謀説は根拠がありません。誰かのせいにしなければ収まらない気持ちの表れです。

 はたしてこの厄介なウイルスを誰が巻き起こしたのか。この答えは誰にも分かりません。起源をたどることほど困難なことはありません。それでは収まりがつかないという気持ちが陰謀論を作り出します。結果は出ているのですから原因を作るのは簡単です。ないのは確たる証拠だけです。単なる噂ですが、多くの人々が苦しめられていることの犯人を決めるのは負の喜びに繋がります。

 陰謀論に苦しめられる人がいるということを私たちは知らなくてはなりません。苦しみがさらなる苦しみを引き起こす悪循環の片棒を担いではならないのです。

辻占

 偶然通りかかった道すがら、二人のご婦人の話し声が聞こえました。いわく、いまは日本が変わるチャンスだと。

 コロナウイルス感染予防による外出自粛は法的効力は弱いものの、国民の間にはかなり浸透しているようです。同調性の強い国民性は今回は奏功しているように感じます。ヨーロッパやアメリカの死者の数の多さを見せつけられるとそうせざるを得ませんが。

働き方改革という言葉が昨年は何度も繰り返されていました。労働時間を切り詰めても生産性を落とさないという無理難題に苦しめられていました。それがこのステイホームの状況でより難度の高い課題を突きつけられることになっています。その答えはいまだ見つからないものの労働時間短縮はもしかしたら可能ではないのかという予測ができるようになりました。

 そう考えるならば奥様方のおしゃべりはそれほど的を外してはいない。むしろこの機運を高めていく必要を感じています。ピンチはチャンス。制約は飛躍のための屈伸です。

学校が嫌いな人たち

 コロナウイルス感染予防のための自宅待機推奨がなされる中で、学校閉鎖が続いています。この事態で学力低下を懸念する人がいる一方で、むしろこの事態を歓迎している人もいます。

 日本の学校には一定数の不登校もしくはそれに類する人がいます。その原因は一律ではないために単純に語ることはできません。そのなかに集団生活への不適合が原因という生徒がかなり多く含まれていることは確かです。彼らはクラスに溶け込めず、自らの居場所を作り出せないために学校に行くことができません。彼らの中には学力的には問題がなく、学ぶ機会さえ与えられるならば好成績を上げることが期待できる生徒もいます。

 現在はいわば全員が不登校の状況にあります。生徒は分断され、不要な同調圧力に悩まされることはありません。時間の制約もなく、狭い空間に動きを制限されることもない。こういう状況の方が能力を発揮できる人はかなりいるはずです。学校閉鎖がかえってチャンスになったということになります。

 私は教員としてこの状況を大いに反省し、考え方を変えていかなくてはならないと感じています。学校には学力とともに社会性を涵養する役割もあります。異質なものに対する寛容性や思いやりの気持ちを育てる役割もあります。学力だけならばもしかしたらパソコンを使った遠隔授業でもある程度ならばできる。しかし、それならば学校はもはやいらないのではないか。学校ができるのは何なのか。それを考え直す機会を与えられているのではないかと痛感しているのです。

市街放送

 外出を控えてください。そういう内容の放送が定期的に聞こえてきます。市役所が防災放送を利用して注意喚起を促しています。都会ではビルなどの障害があるため、スピーカーがあちらこちらに設置され、時間差をおいて放送されるために同じことが何度も流れているのが聞こえます。

 放送は緊急事態宣言が発令されているので不要不急の外出を控えるようにという内容で、すでによく周知されているものと同じです。ただ、一部の観光地などでの人手が減っていないことを踏まえて、各自治体がさらなる勧告として行っているものと考えられます。

 日本では間もなく大型連休期間を迎えますが、このままであるとせっかくのレジャーもほとんどできません。毎日が停滞しているなかでどのように気分を高めていくのか、どうやって体力や気力を維持するのかは大きな課題となっています。パソコンやスマートフォンの画面の情報ではもう収まりがつかない。生の経験が必要になっているのです。

 例えば、入場制限をかけながら施設利用をみとめるとか、屋外施設に関しては指導員のもとで利用させるとかそういった手法も必要になるのではないかと考えています。このままさらに非常事態が長引くようであると想定外のトラブルが起きる可能性もあります。そのための対策を考えていかなくてはならないでしょう。

精神の安定

 ステイホームの政策ほ一定の効果は発揮できているように感じられます。爆発的な死者の増加は今のところはなく、医療崩壊は最低限に抑えられています。とはいえ、感染者数の増加は指数関数的であり、一部の病院ではトリアージを行わざるを得ない状況にあることも事実です。

 もっと恐ろしいのは分断生活で失うのものがある可能性があることです。集団の団結力、協調性といった日本人のある意味最後の財産とも呼べるものが失われれば大損失と言えるでしょう。恐怖心やそこから発せられる憎悪や異種知り捨てが起きることも不安要因です。小さな疑いが不寛容な人間そして社会を作り出していきます。

 ウイルス感染対策とともにいま大切なのは精神面の安定です。文化的な活動も止められている現在、何が支えになるのかを考えていかなくてはならないと感じています。

高くてもよいものを

 海外依存度の高い我が国の経済の弱点が顕在化しています。必要なものが自国で生産できないことからくるハンディは深刻です。

コロナウイルス流行によって産業が停滞するなかで、生活必需品も供給不足になる可能性があります。マスクなど医療品は海外依存度が特に高いようでこれが現今の混乱を招いています。

 この原因の一つに日本の企業が生産拠点を海外に移したことが挙げられます。人件費などのコスト削減を目的としたものでした。この動きは技術の流出に繋がり、ついには日本製品より安くてよいものを作るきっかけを与えてしまったことになります。

 安いものを買えることは消費者としては嬉しいことなのですが、これが国内産業を圧迫し、脱落させることに繋がっていることはなかなか実感できません。示されるのは少し品質が良さそうだけれども高価な品物です。私たちはこれをあえて選ばなくてはならない段階にあります。

 自分の共同体を守るためにあえて近くのものを買う。これがどれだけできるのかが将来を決めます。

少々の異変でも

 今朝は少し遅く出勤することにしました。非常事態という大義名分がありますが、残念ながら完全に自宅勤務は難しい。

 実は少々頭痛があります。しかし私の場合、これはウイルス騒ぎ以前からのことなのでいわば持病というべきものです。気圧の変化が激しいときなどに起こりやすく、低気圧の接近を身体が予知しているのかもしれません。ただ、こうしたわずかな異変にも敏感になってしまうのが昨今の状況です。

 完全にテレワークに移行する日も遠くないかもしれません。そのためにいまできることをやっておかなくてはなりません。

運動不足

 最近の問題点として慢性的な運動不足による体調不良があります。授業で数時間黒板の前に立ち、声をはるだけでも幾分かの運動になっていたのですが、いまはそれがありません。

 いまさら、気づいたことに筋肉の衰えは意外にもはやく起きます。座ってばかりいると背筋が落ちやすく、その結果立っていることが辛くなります。そういう悪循環が状況をさらに悪化させます。

 東京は今日にも非常事態宣言が出るようです。非常事態が予告されて出るとというのは形容矛盾です。どうも、政治的意味合いが強いものらしく、切迫した言葉としては響きません。軽症者が多い病といって油断するな、感染者を隔離していたら病床がなくなる。まずは己の身を慎ましくして人に迷惑をかけるな、ということを「民主主義的」に表現するとこうなるということなのでしょう。

 日常生活が営めないことから起きる心身の不調を保全することは、私だけではなく昨今の緊急課題なのです。

ロックダウンが正しいのか

 日本の各都市にはロックダウンは出されていません。世界の主要都市が法的に外出禁止を促しているのに対して日本はまだ各人の自主性に任されています。ただ、今日は日曜日ですがほとんどの大型商業施設やエンターテインメント業界、プロスポーツの試合は中止されています。一方で生活必需品を販売するスーパーやコンビニは開業しています。また個人商店や小規模経営のレストランなどは開店しています。よって食料のライフラインに異常はありません。公園に行くと人々はマスクをつけて歩いています。

 日本のこうした方法について批判も出ているようです。今回の新型肺炎はステルスの性格があるようで、多くの感染者には無症状か軽症で済み、それが重症化する要素を持っている人に感染すると悲劇が生じるというのです。これはこのウイルスの病理的な現実であり、尊重しなければならない情報でしょう。感染地域に住む若者が自身の身体には何の異変もないのに、里帰りした先で高齢者に感染させて結果的に重症者を出してしまうということが現に起きています。

 ロックダウンという強制的な方法は短期的な施策としては有効なのかもしれません。ただ、これを続けていくことは不可能です。経済活動が止まれば弱者から痛みを受けていきます。社会保障をするといっても即効性があるとは限りません。私は甘いかもしれませんが、社会活動を継続する方向を模索するべきだと考えています。そのためには今回のウイルスに対して脆弱な条件を抱えている人を保護することが必要になってきます。そのため、年齢や既往歴などに応じて保障の度合いを変えていくことが必要です。こういった方々は一概には言えないものの、経済的に不利な状況にあると考えられますので積極的な援助によって社会から非難していたける仕組みを作るべきではないでしょうか。

 ただ、これは差別などの人権問題を多分に誘発する問題になりそうです。期限を決めた緊急措置であることを周知させて行うべきでしょう。またもっとこの病魔に対する情報を国民が共有する必要があります。私はロックダウンはできて3週間程度ではないかと勝手に考えています。次の手を考えるべきです。

協力

 昨今の状況でもっとも懸念されるのは組織の機能不全です。指示系統が整っているときにはうまく動く組織でも、非常事態では立ち行かなくなるということがあるかもしれません。

 そこで必要となるのはあらゆるケースでのシミュレーションをしておくことです。例えばリーダーが動けなくなった場合は、誰が指揮を取るのかを決めておくことです。でも、現在のような予測不可能な事態になったときは、次の手、その次の手では対応しきれない。

 大事なのはすべてのメンバーの危機管理能力をあげることしかありません。上司に求められるのはメンバーからの提言を尊重する風土を培っておくことなのでしょう。そして失敗したときはその人のせいにはせず、組織として受け止めることです。