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ヨーヨーの名人

 子ども時代の思い出としてコカ・コーラが販促で展開していたヨーヨーをおまけにつけるキャンペーンがあった。福岡に転校したばかりの私はまだ友人が少なかった。コーラーの王冠の裏をめくり、あたりマークがあるとヨーヨーがもらえた。ヨーヨーはそれ以前からあったが、いろいろな技ができるのはこれしかないと信じていた。

これは当時はやったタイプではありません。

 ある日、ヨーヨーのチャンピオンが直々に演技をしてくれるという。記憶では学校の近くの広場だった。子供たちの人垣の中でチャンピオンのお兄さん(だったと思う)がいろいろな技を見せてくれた。「犬の散歩」という空回りしたヨーヨーを地面近くで滑らせながら犬に見立てる技は、手品を見ているような気がした。

 まんまと商略に乗っ取られた子供たちは(含む私)はコーラを飲み続け、ある日「あたり」を手にした。それで名人のようにやってみたがうまくいかない。私には向いていなかった。ヨーヨーを通してできた友人たちの中にはあの空回りができるようになったものもいた。それができれば様々な技が展開できたはずだが、なぜがそれ以上は進まなかった。

 いまの子供たちに同じ遊びを紹介しても喜んでもらえるだろうか。テレビゲームよりはできることは少ないが、できたときに達成感はビデオゲームには及ばないものがある。ただ、周囲に配慮しなくては少々危険であり、家具を壊して怒られないようにしなければならないが。

高齢者補助

 自分が馬齢を重ねたせいで分かることは、この世のシステムは当然ながら健常者がコントロールできるように作られているということである。逆に言えば何らかの障害を持つと途端にやりにくくなる。この後、高齢化を邁進する日本社会では様々な技術的な補助が生まれるはずだ。ただ、それが使えるくらいまでは体力なり、身体機能を維持しなくてはならないということを痛感している。

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 いつも書いているがコンピュータ入力はいつまでもできると思っていた。ところが、意外にも文字や鍵盤の小ささや配色によってはかなり見づらく、思ったようにできないことが増えている。ならば音声入力があるという異なる。最近の音声入力はかなり精度が高いので使ってみると大いに助かる。しかし、これも活舌が怪しくなると使えない。健常な大人が使うことを前提に設計されているものはそのままでは使えなくなる可能性が高いのだ。

 これについては今後、より高齢者に配慮したインターフェースがうまれることを期待するしかない。おそらく需要はいくらでもあるので実現化される日は近いだろう。社会の高齢化を補う手段は国家的な死活問題でもある。

 ハードで的な話ばかりになったが、より大切なのはセカンドライフの多様化を踏まえた社会を用意することに相違ない。体力的能力的(もしくはそのいずれか)が衰えていない人材は今後多数存在する(している)はずだ。彼らの活躍の場を与え、扶養者ではなく、社会への貢献者になっていただく方法を考えるべきだ。私自身もその仲間入りをすることになるが、これは今の若者にも当てはまる。将来の自分が歳をとっても社会に貢献できる場を作っていかなくてはならない。そのために最低限の生活保障、余裕のある人への就職奨励、雇用機会の創出などやるべきことは多い。

 若い世代の仕事を補助するような仕事が理想だ。何があるのか考え続けたい。

歩行禁止に

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 エスカレーターを歩行禁止にすることに関してはかなり前から多くの方が期待してきた。駅のホームを昇降するエスカレーターの場合、ほとんどが片側に人が立ち、開いた側を歩いて昇る、中には駆け上る人がいる。日本では東京付近と大阪付近ではその立つ側が異なり、一種の地域文化とでもいえるような様態をもっている。でも、そもそもエスカレーターは歩かない乗り物ではなかったのか。

 かくいう私もそうだが、エスカレーターの待機側(立って乗れる側)が満員で、歩行側(とでも呼んでおく)に押しだされたとき、不文律として意図に反しても歩き上ることをしている人は多い。こっちに並んだら歩かなくてはならないものという決まりなどどこにもないのにそうしてしまっている。仮に立ち止まったりすると、本気で非難する人もいるという。先日、エスカレーターは歩くべきではないと指摘した人にけがを負わせてそのまま逃げた実に残念な人が逮捕された。ここまでの悪人は少ないにしても、エスカレーターで立ち止まりでもしたら、激怒する「勘違い」な人はいくらでもいる。

 ならば条例で歩行禁止にしてしまえと考えたのが埼玉県だ。「埼玉県エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例」と命名された条例は、利用者には「立ち止まった状態でエスカレーターを利用しなければならない。」と設置者には「利用者に対し、立ち止まった状態でエスカレーターを利用すべきことを周知しなければならない。」としている。ただし罰則に関する規定はない。努力目標に近い。

 法的な実効性はさほど高くはないが、エスカレーターは歩行すべきものではないという考えを周知させる役割は大きい。名古屋市でも来年の制定を目指しているという。罰則はないといっても、エスカレーター上でトラブルが起きたとき、時に相手がけがをしたときは賠償の対象になりやすくなった。精神的な被害に関しても認められるようになるのかもしれない。今までとは意識の改革がいる。

 考えてみれば、右なり左によって立てというのは無理があった。障害があってどちらかの脇にしか寄れない場合や、そもそも体調によっては重心が不安定で、隣をかすられるだけでも危険を感じる場合などがある。私も膝を痛めたとき、俊敏な動きができず、脇を通り過ぎる人にぶつかられて不快に思ったことがある。おそらく逆のことをしてしまった時もあったかもしれない。

 忙しくても走らない。公共の場所では他人を巻き込む危険性がある行動はしないということを考えていかなくてはならない。これには各エレベーターわきに注意喚起や動画を表示することや、企業の協力を得て啓蒙活動を徹底的に行うしかない。

タイヤ交換の思い出

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 雪国に住んでいたころ、11月の終わりにスタッドレスタイヤへの交換をした。ある年は暖冬といわれていたのに甘えて、12月までそのままにしていたところ、急にまとまった降雪の予報があり慌てて換えたこともある。現在の私の生活の中にはないものだ。

 雪国の方は知っているが、スタッドレスタイヤの交換自体は誰でもできる。タイヤを止めているねじを少し緩めてから、ジャッキで上げて、ねじを完全に回してタイヤを外し、新しいタイヤをはめてねじを仮止め、ジャッキを下げて着地したら、またねじをしっかり締める。これを4回繰り返す。最初にやったときはおそらく2時間近くかかったが、数年後には30分程度でできるようになった。ただとても面倒だ。寒い中での単純作業でやる気が湧かない。

 ガソリンスタンドなどに持ち込めば4本で5000円~8000円くらいで取り換えてくれていたようだ。私は利用したことがないが、ものすごく早くできるらしい。なにしろ車体ごともちあげて4本のタイヤを同時に交換する。ねじを回すのも、てこの原理でようやく回すようなちゃちなものではなく、電動であっという間に回しきるらしい。このことを聞いて私も頼もうと何度か思ったが、浮いた金でおいしいものでもと思って結局自分でやっていた。これを冬前と春前に行う。10000円以上の節約だと思って、かえって余計に買い物をしてしまった気もする。

 東京に来てタイヤを交換することはなくなった。ウォッシャー液を足すときくらいしかボンネットを開けることもない。雪国の生活はいろいろ困難もあったが、付属する思い出のなかには生活感のしみついた懐かしいものが多い。

ギアチェンジ

 今朝の天気は明らかに冬の様相だ。重い曇天に町が覆われている。マイナーの音楽が流れそうな雰囲気だ。季節がここで大きくギアチェンジしたことが感じられる。体調が思わしくない。倦怠感などはないが、多少気になる。今日は大人しく過ごして切り抜けよう。

気圧の関係

 気圧が急低下しているせいなのか。軽い頭痛に悩まされている。コロナ禍のあとはちょっとした熱にも神経質になりやすい。今のところ熱はなく、形容し難い不快感以外には症状はない。しばらくは無理をしないで過ごそう。いわゆる気象痛ならば少し待てばいい。焦りは禁物だ。

霜月尽

 今日で11月が終わる。行事が少なくやるべきことを地道にこなす月と考えていたが実際はそうたやすくはない。いつものように要領悪く、毎日を慌ただしく過ごしてしまった。

 比較的暖かい日が多かった。郊外の散歩にも何度か行った。いくつかの美術館を見学した。その都度感動し、これを明日に活かそうと考えた。いかせているのかは分からない。成果は速効か遅効かは後にならないと決められない。

 健康状態は維持できた。周囲にウイルス罹患者が少しずつ出ている。しかし、今のところ何とか切り抜けられているのは幸運というしかない。流行病はいつかは罹る。被害を最小限にすることを考えるべきだ。

 明日からは年末。やるべきことはさらに増える。状況対応型の自分に喝を入れなくてはなるまい。

木枯らし

 昼過ぎからかなり強い風が吹き始めた。雨も降り冬の訪れを予感するような天候になった。夜になっても風はやまず。むしろ強くなっている。紅葉した葉を吹き飛ばす北風になるのはまもなくだ。

 今朝は通勤の道にカラスがたくさんいて餌を求めてかなり緊迫した様子がうかがえた。鳥には天候の異変がわかるのだろうか。これから食べ物を確保するのが難しくなることを見越しているかのような動きだった。やはり野生を生き抜く動物には特殊な能力が備わっているらしい。

 私といえば特にこれといった対策もない。少々ののどの痛みを感じるのを気にしながらも結局はよく寝ることくらいしか思いつかない。野生の勘が働かない以上、愚直に生きるしかあるまい。

秋の終わり

 今日も日中はかなり暖かった。上着一枚でコートはいらない。快適な一日だったと言える。でも、この快適さは長くは続かないらしい。

 師走に入ると気温が下がり、文字通りの冬になるという。息が白くなる季節だ。肌に差し込むような冷気、関東の場合はそれに乾燥も加わる。

 寒さのなかには懐かしい感覚もある。個人的には冬は嫌いではないが、それも限度がある。寒さの中の失敗は富山で嫌というほど積んできた。でもいい思い出もある。おそらくそのほうが多い。

 東京生活が長くなりすぎて冬の恐ろしさも楽しさも随分観念的になってしまった。光太郎の詩でも口づさんで冬に備えよう。楽しみでもあり、恐ろしくもある。

買い物かご

 幼いころ、買い物に行く人は自分の入れ物を持って行っていた。買い物かごと呼ばれた編み籠はいまのプラスチック製のレジ籠とはずいぶん趣が違った。スーパーのような何でもそろった店ではなく、いくつもの小売店を歩きながら買うスタイルだった。買い物かごは形を変えていまエコバッグと呼ばれている。

 昭和のスタイルでは籠に入れる商品は新聞紙などにくるんで入れることが多かった。肉や魚はさすがにビニール袋が使われたが、それも今より透明度の低いものだった。その他は新聞紙か紙製の袋であった。我が家ではその袋をごみ袋などに転用して使っていたことを思い出す。

 スーパーマーケットができて、レジ袋というビニール袋が普及するともう買い物かごを持ち歩くことがなくなった。手ぶらで買い物に行けるのは便利だ。専業主婦が少なくなって、職場の帰りに買い物をする機会も増えたこともあり、買い物かごはほぼ絶滅した。コンビニエンスストアができるようになると、自宅から袋を持っていくことはむしろおかしなこととなり、疑いの対象にすらなった。

 それが環境問題でレジ袋の削減が提唱されると、再び家庭から袋を持参する形が復活した。最初は従来のレジ袋を再利用していたが、使っていくうちに劣化して破れ始めると、少し強めのいわゆるエコバッグを使う人が増えてきた。折りたたむことができるので会社帰りにも使える。私もカバンにいつも一つは入れている。

 ところがこうしたバッグの多くは底にあたる部分の面積が小さく、弁当などを入れると地面に垂直に入らない。歩くうちに傾いてしまう。こぼれることもあって不快だ。そこで最近はもう少し大きく丈夫な袋を持参することが増えている。こうなるともう昭和の買い物かごに近づいている気がする。生活のスタイルはもしかしたら形を変えながら繰り返されていくのかもしれない。