元日の今日、各地の神社では初詣の長い列ができた。日本人は宗教に関心が薄いというが、まったく当たらない。一神教的な物差しには当てはまらないが、極めて信心深い。教理に対しての信仰というより、救いに対しての素朴な思いが強いのだ。
初詣の良いところは待たされても殆どの人は文句を言わないこと。割り込みはないが、たとえあってもそれほど目くじらを立てる人がいないことだ。いつもより寛容になっている人が多いのはこの日のよいことだ。
初詣に何を願うのか。私の場合は結局は世界平和なのだと思う。それはいまやっていることが不可抗力で無駄にならない環境を維持したいということなのだ。戦争はそれをぶち壊す。そして、誰も責任を取らない。そうならなければ、悪あがきを続ける価値が残される。私はその環境だけは維持したい。
初詣だけではなく時々、社寺に訪れることは意味があるのかもしれない。自分の現在地を時に客観視するためにも、自分以上の視点を持つ機会を持つことには意味がある。

