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おせち料理の意味

 最近はいろいろなところにおせち料理の予約の広告がある。贅沢な具材をふんだんに用いて数万円という価格で予約を受け付けている。すでに受注終了というシールが貼られたものもある。私などはどうしてここまで投資しなくてはならないのかと考えてしまうが、価値観はさまざまあってよい。

 おせちの原点は節日の供物にあるのだと考える。季節の節目に神に季節の収穫物を備えることで、神に満足してもらい、次の年の豊年を予祝する。神はここまでやってくれたのだから来年もという気持ちになると古人は考え他のだろう。だから、あくまで神饌であって、人はそのお下がりをいただくのに過ぎなかったはずだ。

 それがいつのまにか人間がその贅を尽くすためのものと考えられるようになる。信仰の枠から外れれば、限りなくその内容は形式化し、高級食材を使う方がよいとされていく。神様を忘れ、自分が神であるかのように振る舞うが、神である資格は経済力に裏打ちされたものだ。変動の激しい基準である。私のようにいつまで経っても神様になれない人もいるが、神になったり、落ちぶれたり、その繰り返しをしている人もいるはずだ。

 おせち料理を食べるとき、一瞬でも自分の信じる神もしくは尊敬すべき人やモノを思い浮かべるといいのかもしれない。するとその重みがその味を荘厳なものに変えてくれるはずだ。¥ではない単位の幸福が得られるかもしれない。

警官のネクタイ

 警官のネクタイ着用を自由化する県警が増えているようだ。至極当然だと思う。ネクタイで威儀を糺す必要はない。昨今の異常な暑さの中では業務自体に悪影響を及ぼすだろう。

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 それよりも場合によっては格闘しなくてはならない人にとって、首を縛るアイテムは危険だ。もし付けるとしても、強く引けば外れるような工夫がなされるべきだ。私は日々ネクタイをして通勤しているが、有事の際はどうすればいいかと思うことがある。

 職業に相応しい衣服はあっていい。制服にはそれなりの役割がある。ただ、それが業務に適したものなのかは時に応じて見直した方がいいと思う。

女性首相誕生へ

 高市早苗氏が自民党総裁に選出された。時期総理に指名されることは確実であり、憲政初の女性首相が誕生しそうだ。少し遅すぎたがようやく性別による偏重が解消されるきっかけが生まれたことになる。内閣にも少なくとも4名以上の女性大臣を指定してほしい。議員でなくてもいい。能力のある人がいればだが。

 ただ、状況は容易なものではない。少数与党となっていることは変わらず、野党との協力が必要となる。高市氏は右派の考え方を信条としており、靖国神社参拝問題はその象徴的な事実だ。連携できる政党は限られるし、韓国や中国との関係も考慮しなくてはならない。融和を標榜する石破政権は進歩は少なかったかもしれないが大きな損失はなかった。自身の信条に固執するあまり国益を損することのないようにお考えいただきたい。

 保守層の一部が新総裁の誕生を歓迎していることは確実であり、これを機に社会が活性化すればよいが、理念ばかりをふりかざし現実から乖離した政策を展開すれば、分断を生むだけだ。大いなる期待と不安を持たざるを得ない。

老人の概念の変化

 敬老の日であったが、実はもう人ごとではない。律令制では数えで60歳以上を老と呼んでいる。今より平均寿命がはるかに低かった時代においてはこの歳まで生きられた人は限られていたはずだ。

 現代は衛生環境、医療などの進歩で60歳は労働人口に含まれる。一部の業種では定年の年齢とされるが、実態に合わないので見直しが必要とされている。

 100歳以上の人口がまもなく10万人に達するという。65歳以上の人口は3619万人で全人口の29.4%に達する。対して昨年の日本での出生数は686,061人であったというから少子高齢化が急激に進展することは避けられない。古代において老人の区分となっていた人々が扶養される側にならず、できる限り自立して生活できる仕組みを着実に作らなくてはならない。

 老害などと年配者を非難しているだけでは埒があかない。そういう自分も必ず老いるのだから。歳に応じて何ができるのかを各自が具体的に示していかなくてはならない。少なくとも70までは自己開拓できる社会にしなくてはこの国の未来はなさそうだ。

四拍手

 ハーンの「日本の面影」を読んでいる。日本の前近代的な伝統に興味を持った彼は、西洋文化に営業される前の民俗に注目しており、この著書にも様々な当時の習慣が描かれている。その中で、神社に参拝する人たちが柏手を4つ打つということが書かれていた。

 聞き間違ったのではないかと考えた。神社参拝の作法は二礼二拍手一礼と多くの日本人は考えている。拍手のことを柏手というのだ。その常識とは異なっている。

 でも、ハーンが暮らしたのは現在の島根県松江であり、この地域の参拝方法では現在でも四拍手なのだそうだ。ハーンはそれを描写していたのである。出雲大社では大祭のときは八拍手をし、それ以外は四拍手とするという。出雲大社が独自の信仰形態を持っていたことは古事記の伝承にも、他との違いが感じられることと関連するかのようで興味深い。

 西洋文化とは異質で当時の日本の知識人たちからは旧弊のように考えられていた日本の民俗文化に、どうしてここまで深い関心をハーンが持ったのかは興味深い。

ケイトウ

鶏頭、鶏冠とも表記されるケイトウは秋の季語ではあるが、実は5月から10月にかけて長い花期をもつ。今は暦の上では秋であるが、連日35度以上の真夏日が続いている。にもかかわらず近隣の花屋にはケイトウの鉢植えが並んでいる。店頭に置かれた鉢には強い日差しが当たることもあるようだが、特に問題はなさそうだ。

 この植物の原産地はアジアもしくはアフリカの熱帯と考えられ、本来暑さには強いようだ。そのため夏の園芸種としても歓迎されており、しかも秋まで楽しめるのだからよい。逆に寒さには弱いので冬越しはできず、あくまで一年草の扱いである。

万葉集には「カラアイ」として登場する。「韓藍」ということだろう。すでに園芸植物になっていたようで、山上憶良の歌に、

 我がやどに韓藍蒔き生ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かんとぞ思ふ

 がある。カラアイには恋人の存在の寓意があるといわれているが、やど(邸前の庭)にカラアイを播種することがあったことをこの歌は教えてくれる。この花の鮮やかさは恋人の面影に比するにふさわしかったのかもしれない。

 同じ万葉集の、

 恋ふる日の日長くしあれば我が園のからあいの花色出でにけり

 ここも園芸種とみられるケイトウだ。そしての花の色合いは恋の歌にふさわしかったのだろう。

 鶏頭の十四五本もありぬべし

 という正岡子規の句は賛否両論ある。子規がこれを作ったのは1900年のことであり、早逝した俳句創始者ともいえる人物がこの世を去る2年前の作だ。写生の論を主張した子規にとって十四五本という曖昧さや「ぬべし」という推量表現が観念的だと考えられる理由になっている。でも、この作品の感動の中心は鶏頭そのものにあり、それが複数ある。手指にも足りないほど多くということで、鶏頭のもつエネルギーのようなものに圧倒されていることをいうのだろう。子規の人生と絡めてしまうと余計に痛切な意味を感じるが、それを入れなくともいい句である。

 鶏頭は古来から人の心を揺さぶる力を持っていた植物である。

落語の思い出

 落語は昔から好きだった。高校生の頃は寄席に行くことはできないので、NHKやTBSのラジオで放送されていた落語の番組をよく聞いた。それが始めであったせいか、いまでも音声のみで落語を味わうことが多い。

 大学生になって時間ができた私は、TBSの公開録音の応募にはがきを出して赤坂の放送局によく聞きに行った。その後は国立劇場の寄席に行き、新宿末広亭にも行った。その当時はほとんどが年配の客ばかりであったが、私のような学生風情も時折混じっていた。

 私が好きだったのがいわゆる古典落語だったこともあり、同じものを何度も聞くことが多かった。結末を知っていてもそこに至るまで展開が噺家によって違いがあり、その差異を楽しむのが面白かった。寄席の雰囲気も話の内容にかなり影響することも感じられた。

 落語は単純な所作がついても、ほとんどは話芸である。噺家が繰り出す話をじっくりと聞き、心の中で味わうということが、何よりも大事だ。様々な娯楽がある中で、落語の果たす役割は年々減退しているのかもしれないが、話だけで観客に喜怒哀楽の感情を引き起こすという話芸の理想を体現していることを称えたい。

送り火

 盆の送り火の日である。京都の五山の送り火は有名だが、先祖を死者の国に送り返すための行事は全国にある。新暦月遅れの場合は今日だが、旧暦の場合7月16日は新暦の9月8日にあたり、まだ先だ。先祖を送る行事はとても大切だったらしく、いろいろな形がある。

 日本の祖霊は歓待すべき対象と考えられる一方で祭りの終わりとともに帰還してもらわなくてはならない存在でもあった。祖霊がいる間は日常の生活はできないのだから、帰っていただかなくては困るのである。そこで盛大な見送り行事が行わる。送り火の巨大化もそうだが、あるいは祭りの際に使った祭器等を片付けることや、場合によっては破壊することを強調した儀礼もあるという。盂蘭盆会のみならず、神や祖先神を招来したときはその終わりにはっきりとした終了のための行動をする事例を見たことがある。

 ハレの日が終わり、再びケの日に戻るためにはそれなりのけじめが必要なのだろう。これは今日の私の生活にも言えるのかもしれない。生活の局面を変える時には何か大きなことを、目に見える形でしておかなくてはならないのだろう。毎日がお祭りのようになっているのが現代人の生活だが、一度冷静に戻るために浮ついた精神はどこかにお帰りいただく必要がある。

価値観は変わり果てる

 終戦の日のことを考えると、社会的な価値観は実に移ろいやすいということを考えさせられる。戦争をしていたころの日本の上層部はなんと愚かなのかと思い、庶民はそれに躍らせれて悲惨な毎日を過ごしていたというのが単純化した社会観であるが、本当はそんなに単純なものではない。日本が戦争をしなくてはならないと真剣に考えていた人たちにはそれが間違っていたとしてもそれなりの正義があり、それを支える世論というものがあったことを考えなくてはならない。

 戦前の日本が現在からみて異常であるのと同じように、おそらく80年後の日本に住む人々にとって21世紀前半の日本の社会は極めて奇妙に映るかもしれない。多くの人々を犠牲にした戦前の日本指導者を批判するのと同様に、現代社会の様々な問題を指摘して、自分たちの世代になぜこんなにも厄介なものを残したのかと不満に思うのかもしれない。

 毎日の生活にあくせくしているうちに、その問題点とか課題とかを見失い。大切なことを忘れてしまう。歴史から学べとはよく聞く話だが、何をどう学ぶのか分からないうちに時間が過ぎてしまう。その繰り返しが続いているのである。同世代の人々もすでにいろいろなことが分からなくなっている。我々の子孫も同じ繰り返しをしていくのだろうか。表層的な価値観は時代とともに変わり果てる。それを俯瞰するために必要なのはもっと深いところにある視点である。

参院選その後

 参院選は予想通り与党の敗北に終わった。自民党が両院において少数与党になるのは初めてらしく、新たな歴史の幕開きとなりそうだ。

 新しい考え方が実現するのは大いに歓迎だが、野党側の党利主義がどこまで実行されるのかが懸念される。必要なのは国民の福祉であり、党の利益ではない。少数党の乱立は利点も欠点もある。欠点が強調されると政治的な衰退を齎す。戦国時代なら亡国の予兆だ。

 現在の日本は今すぐその事態には至らない。ただ、油断すれば何も決まらず何もできない国になり得ない。政党の構成は変わってもしたたかに生き抜く日本風だけは維持してほしいと祈るのである。