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短冊

 スマートフォンを使うようになって、フリック入力にもすっかり慣れた。このスタイルは昔の人がみたら短冊を持っているかのように見えるのかも知れない。

 昔から短歌や俳句を作ってきた。いまでも思い出しては作り続けている。スマホに横書きのデジタル文字で歌や句を書くことは抵抗感が消えないが、いつでも書いてなくさずにいられることは便利だ。

 俳句のブログは実はそこそこアクセス数がある。きっと時代が変わっても、共通する情緒があるのだろう。

登場人物

 小説や演劇などのストーリー性のある作品において、すべての登場人物にはその存在意義があるということを教えている。教員である私にとって伝えなくてはならないことの上位にある事実だ。

 主役脇役あるいは端役という言い方があり、確かに小説、演劇などの創作において登場人物のもたらすメッセージに濃淡があるのは事実だ。だが、作品全体の構成から考えるとすべての登場人物には役割がある。その役を果たすことによって作品が作られていく。

 創作者はそれぞれの人物に託して世界を形成する。こういうことは実際に作者になったり、役者となって演じてみると納得できる。そういう機会を与えることも大切だ。

翻訳の営み

 日本近代文学館で開催中の翻訳に関する展示を観てきた。翻訳は文学のみならず異文化摂取の具体的な営為として大変興味深い。

 古代以来、日本は海外の文献を翻訳してきた。漢文の訓読はその中で培われた手法であり、結果的に日本語自体を変える大きな影響をもたらした。ただ私たちが翻訳というときに想起するのは、近代以降の特に欧米から伝わった書籍の日本語訳のことだ。漢字を介さないこと、基礎となる文化の差が大きいことなど、漢文とは遥かに異なる障碍を乗り越える必要があった。

 例えばベルヌの「八十日間世界一周」は漢文訓読のような訳文がつけられていた。係結びもある古文体だ。まずまだ日本語が発展途上で翻訳の方法も決まりがない中で訳をつけるのはまさに冒険のようなものであったろう。

 様々な先駆者が海外の文書を和訳し、その精神性までも伝えられるようになって、海外文化を取り入れられるようになっていく。そんな過程を伺うことができた。

古典の発想

 複雑な時代を生きていると何が正解なのか分からなくなることが多い。というより常に正解が分からない世界に生きている。そんな私たちにとっては一つの指標がある。古典を読むことである。

 私にとっての古典は日本の古典文学作品である。大学時代にこれを専攻したこともあり、私にとってなじみ深い。万葉集の歌を読むとき、中世の説話を読むとき、そこには常に発見がある。未完成で粗削りなストーリーの中に可能性を感じる。国語の教員である私はそれを教材としてのみ扱うことに常に抵抗を感じている。まるで暗号解読のように古典を読む同僚たちの手際よさに感服しつつも、それは古典を呼んではいないだろうとも思う。そして彼らと同様に、しかも少々拙く読解のテクニックばかりを教えている自分の毎日を反省する。

 私はひそかに古典文学をなるべく自分にひきつけて読む意訳を最近続けている。学校では決して教えられない方法だが、日記やブログに書くのならいいだろう。その訳し方では決してテストで得点は取れない。大学にも合格できないが、少なくとも主体的に古典を読むというもっと大切なことはできるのではないか。いつかこのサイトにもそれを載せることができればなどと考えている。

神奈川近代文学館

 神奈川近代文学館を訪ねてみた。夏目漱石の肉筆原稿と絵画などの特集展示が主目的だった。そのほかにもいろいろ収穫があった。

 この文学館は神奈川県ゆかりの作家や、神奈川を舞台とした作品の展示のコーナーがある。東京に隣接し、文明開化の発祥地横浜のある神奈川県にちなむ作品は数多い。展示の種類には事欠かない。展示を観てその多彩さを改めて痛感した。神奈川は間違いなく近代文学の「聖地」である。

 文学の主たる展示物といえばやはり作家の直筆原稿である。ほとんどの作家が原稿用紙に万年筆で原稿を書いているのだが、中には毛筆で水茎の跡麗しいものや、流麗な草書体で書かれている原稿もある。一方でかなりの悪筆もあり、それぞれが個性と見えて面白い。そして何よりも推敲の跡が残っていることが興味深い。どのように作品が生まれたのか、その一端が分かるような気がする。

 現代の作家にも原稿用紙に作品を書く作家はいるが少数派になっている。コンピュータで作品を書く今の作家が文学館に何らかの資料を残すとすればどのようなものなのであろう。決定稿以前の制作過程を私たちが察するきっかけは残されているのだろうか。文学館に訪れるたびにいつも同じことを考えてしまう。

神奈川近代文学館

俳句でも

 俳句は有季定型の文学であり、情ではなく景を描くことによって、結果的に作者の感情を表現する文学です。ある景物にどのような感情を抱くかは民族性や地域性があり、それがこの文学のローカルな一面を作り出しています。

 俳句という言葉自体はグローバル化しており、haikuは世界語となっています。極めて短い形式の中で行なわれる文学表現という行為は民族を越えて広がっていることになります。

 俳句の楽しみ方の基本は句会ですが、この句会システムはデジタルとの親和性があります。無記名で提示された作品の中から気に入った作を選び、最後の披講で作者がわかるというのはとても分かりやすい。これをたとえばG-Suiteを通して生徒諸君との間でデジタル句会を行うことも可能かもしれません。

 俳句には吟行という楽しみもあるのですが、集まれない近づけないいまではせめてデジタルで句会でもなどと考えてしまうのです。

仲間と孤独

 文学作品を書き上げる上で必要なのは抜きんでた才能であることは確かです。誰もが名作を書けるわけではない。ただ、才能さえあればいいというものでもないようです。

 作家の人生を調べてみると必ず盟友ともいうべき存在がいます。同じ作家であったり、批評家や出版社の人物であったりと様々なのですが、密な交流をしている存在があるのです。ときに物的精神的支援者として、あるいはライバルとして彼らの存在は創作者に刺激を与えるのです。

すると作品は決して個人の産物ではなく、周囲の人物との関係の中で結実するものと言えそうです。この点を忘れると作品の生命力が損なわれることになるのでしょう。

交友

 調布市にある武者小路実篤記念館に行ってきました。住宅街の中に建つ小さな展示室は文学とは何かを考える素晴らしい空間でした。

 武者小路実篤といえは白樺派の穏やかな作風の小説家であることと、晩年に描いた野菜などの静物画とそこに付された人間味溢れる一言が有名です。この記念館を訪ねて知ったことは、彼が多くの人に支えられ、また支援していた人も多かったということです。残された書簡には友人からの助言や、編集者との交流など交友の中から作品が生まれていたことが伺えるものが多数ありました。

 文学作品が一人の卓越した能力によってのみ生み出されるのではなく、周囲の人たちとの相互作用によって醸成されるものであることが実感できる気がしました。

 実篤の生きた時代は価値観が激変していく難しいものであっただけに、かえって周囲の人々の支えが必要であったのかもしれません。

親譲り

 夏目漱石の『坊っちゃん』は親譲りの無鉄砲という性格の自己紹介から始まります。この主人公は自らのキャラクターを先天的要因で納得しているのです。このことをもう少し考えてみます。

 主人公は2階から飛び降りたり、周囲から扇動されてナイフで指を切ってみせたり、喧嘩をしたりと凡そマイナスの側面を並べ立てそれらを親譲りと総括しています。親に関しての描写では愛情不足の様が描かれており、歪んだ少年時代が描かれています。

 ただ、主人公は父親に関して必ずしも全否定の態度ではなく、むしろ否はあるがよいところもあるという把握をしているようです。明治時代の親子関係については別に考察する必要がありますが、好悪の感覚は単純ではありません。

 封建体制を生きた親に育てられる世代であった漱石は近世と近代の間でかなり分裂した思考をしていたのかもしれません。親譲りという一言に込められた意味も複雑で深いものがあるのかもしれないのです。

立志の作家

 田山花袋というと暴露型の文学のシンボルのように考えられがちです。私も深く研究した訳ではありません。ただ、間違いなく言えるのは花袋はかなり意図的にこの作品を上梓し、人生自体を小説化しようとしていたということです。

 花袋は上京後に知り合った柳田国男や国木田独歩のような人々に影響を受け、欧州の自然主義文学の作品化を考えるようになったらしい。故郷を離れて文士として身を立てるために必死であったようです。その中でたどりついたのが『蒲団』の世界だったのでしょう。人には言えない心の弱点を暴露することはそれまでの日本文学が題材とし得なかったものであり、開拓者としてのリスクもあったはずです。変人扱いで終わってしまう可能性もあり得ました。

 花袋を評価してくれたのはまずは上京後交友関係にあった仲間たちであり、さらにその影響下にあった人々だったのです。結果として日本の自然主義文学の方向性を決める作品という評価を得ることができました。自己の人生を世に晒すことになっても文士として生きていきたいという野望がこの作品にはあったことになります。

 高校生の頃に読んで何がいいのかさっぱり分からなかった小説ですが、もう一度読み直したくなっています。