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立志の作家

 田山花袋というと暴露型の文学のシンボルのように考えられがちです。私も深く研究した訳ではありません。ただ、間違いなく言えるのは花袋はかなり意図的にこの作品を上梓し、人生自体を小説化しようとしていたということです。

 花袋は上京後に知り合った柳田国男や国木田独歩のような人々に影響を受け、欧州の自然主義文学の作品化を考えるようになったらしい。故郷を離れて文士として身を立てるために必死であったようです。その中でたどりついたのが『蒲団』の世界だったのでしょう。人には言えない心の弱点を暴露することはそれまでの日本文学が題材とし得なかったものであり、開拓者としてのリスクもあったはずです。変人扱いで終わってしまう可能性もあり得ました。

 花袋を評価してくれたのはまずは上京後交友関係にあった仲間たちであり、さらにその影響下にあった人々だったのです。結果として日本の自然主義文学の方向性を決める作品という評価を得ることができました。自己の人生を世に晒すことになっても文士として生きていきたいという野望がこの作品にはあったことになります。

 高校生の頃に読んで何がいいのかさっぱり分からなかった小説ですが、もう一度読み直したくなっています。

虚学は実学

 文学なんてやって何になる。絵を観るだけで道楽な人生を送るのは脱落者だ。そんなことが普通に言われていた時代に私は育ちましたが、いまそれは変わりつつあるのかもしれません。

 知識や技能などは実用にこそ重きを置くものであり、生産性のない教養は不要であるとの言をいくつもの見てきました。そういう人たちが行き詰まり、停滞しています。その習慣上新たなイノベーションに活路を見出そうとするものの、そういうことは容易には起きません。結果として失望の毎日を過ごすことになります。

 今日、エリートと呼ばれる人が芸術や文学に可能性を模索し始めているのはその反動ではないかと考えられます。行き詰ったら古典に変える、個々人の価値観を見つめなおすというのはこれまでも起きてきた思想史的な教訓です。現代人もまたそのことを思い出さなくてはならない事態になっているということでしょう。

 虚学と貶められていた学問が実は非常に必要であったという事実を私たちは確認する必要があります。どんなこともバランスが必要であり、一部が先鋭化すると必ずその軋みは弊害となってしまうということなのでしょう。