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 先日、近隣の公園に梅の花を見に行った。降雪より前だったので穏やかな陽気だった。観梅客もそこそこ多く、いい雰囲気だった。鶯ではなく、メジロが飛来すると伝統的な風物が揃った。ウグイスよりもウグイス色なのはメジロなのだから。

 降り積もった雪の花を見たかった気もする。夜晴れて月でも出れば雪月花の完成だが、そんな役満は滅多にない。

降雪予報

 今日の降雪予報はかなり高いらしい。関東の雪予報は難しい。僅かな差で雨に変わり、そうでなければ積雪になる。

 積雪と言っても数cmに過ぎないのだが、この程度の雪でも東京を麻痺させるには十分なのだ。雪の備えのない街にとって降雪は脅威でしかない。雪国の人は呆れるというが、私のように両方の地域に長く暮らした者にとっては、どちらの言い分も分かってしまう。

 北陸に住んでいたとき、雷鳴とともに降りしきる雪に驚いた。みるみるうちに積雪が増え、すべてを埋めつくすかのように見えた雪を懐かしく思う。そんな経験を持っているのにもかかわらず、関東暮らしが長くなるとすっかり油断している。

 年に数回しかない降雪のときに、臆することなく乗り切れるのか。経験も大事だが、油断せず目の前の状況に対応することが必要だろう。

暖かくなると

 強烈な寒波が過ぎて今度はかなり暖かくなるという予報がでている。次の日曜日には20℃近くまで気温が上昇する。梅の花も一気に開くはずだ。

 開くのは風流な花だけではない。杉や檜の花粉飛散も始まる。対策薬をすでに服用し始めているが、今年は量が多いとのニュースもあり、戦々恐々としている。あるときまでは何ともないが限度を越えると急に症状が出るのが厄介だ。

 気温の急激な変化は体調にも影響を及ぼす。極寒の時期よりかえって風邪をひきやすくなるのは油断のためだろうか。春の到来は喜ぶべきだが、私にとっては克服しなくてはならないことがいくつもある。

初雪

 夜に車を走らせていたら、突然ゆっくりと落ちるものが降ってきた。それが今年の初雪だった。ほとんど晴天で雪など降ろうはずないと思っていたが確かに舞い落ちていた。

 数分のうちに止んで元の関東の冬に戻った。強烈な寒波のために雪雲の成れの果てが最後の役目を果たしたのかもしれない。そう考えてみると愛おしくも感じる。

 今回の寒波は1週間ほど居座るという。雪国の皆様には無理せず無事にお過ごしいただきたい。相対的にはそちらの方が豊かなことは知っている。雪下ろしの際に油断は禁物だ。

 関東に移り住んでもう20年以上も経つと雪の害も益も分からなくなる。ただ、降雪は試練ではあるが、それ以上に恩恵も大きい。

 東京で数分降った雪に心を乱している事自体がすでに変質してしまったということなのだろうか。少なくとも脊梁山脈の彼我に暮らした経験は、無駄にはならないと考えている。

寒波再来

 2日間の暖かすぎる日々が終わり、再び寒波がやってきた。今回も日本海側にはかなりの降雪をもたらしそうだという予報がある。関東は雪は降らないが乾燥した寒風が肌を刺すかのように吹き荒れる。

 気がつけば2月も後半になり、梅の咲くのもわずかだ。人の心も自然と浮き立ちやすい。それを戒めるかのような寒さだ。それはそれなりに意味があるのかもしれない。

 一年の中で2月がもつとも寒いのは日照時間の短さが遅れて気温に影響するからと学んだことがある。私としては春の暖かみを味わうためのアクセントと考えることにする。二月は逃げる、三月も間近だ。

強力な寒気

 強い寒気が日本列島を覆っており、北日本では記録的な積雪を観測している。帯広では24時間で124㎝の積雪があったという。北海道でも帯広は積雪が少ない場所であり、100㎝以上の積雪は55年ぶりという。ライブカメラで見る限り、北陸から東北にかけての日本海側は海岸近くはまだ積雪は少ないようだが、山間部はかなり積り始めている。

 関東は乾燥した天候になりやすいが、今日は雲がかかっている。脊梁山脈を越えて平野部まで雲のかけらが到達しているのだろうか。異常な乾燥が和らいだのはいいが、やはり寒さが気になる。そしてかつて日本海側の住民であった私にとって山の向こうの天気が心配でならないのである。

立春

 立春は名のみでとても寒い一日だった。ただこれが春の始まりであることは違いない。今シーズン最大の寒波が到来しているらしいが、寒さの後には春が来る。

 『万葉集』の最後の歌は天平宝字3年(751)1月1日、大伴家持が因幡国庁で歌った。

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけよごと

である。朔旦立春というめでたい年だったらしい。旧暦1月1日と立春が同日になることである。太陰太陽暦では月を基準とした暦日と、太陽の位置を基準とした節気とが併用されており、これが年によって変動するのだ。日本においては次は2038年であるという。13年後である。

 『万葉集』の巻末が立春の歌であることと、『古今和歌集』の巻頭歌が立春であることは偶然であろう。

年のうちに春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ

 在原元方の歌である。いわゆる年内立春を歌う。旧暦元旦より先に立春が来てしまったので、昨日までの日々をもう春になったから去年と言おうか、まだ元旦になっていないから今年と言おうかという歌でかなり理屈っぽい。背景には春が一年の始まりという観念がある。正岡子規はこれを酷評したが、当時の人からすれば理知的な作風はかなり評価が高ったはずだ。だからこそ記念すべき最初の勅撰和歌集の巻頭に据えられたのだろう。暦日の矛盾をテーマにした作品はほかにも多くある。

 立春に期待する気持ちは古代からあったようで、実は年間でも最も寒い時期であるのにも関わらず、来るべき春の気配を必死に感じ取ろうとしていたのだろう。私は古人ほどではないがやはり春に何かを求めてしまう気持ちはある。

ソーラー時計に不安な季節

 私の腕時計は太陽電池で動いている。スマートフォンと同期するいわゆるスマートウォッチでもある。ソーラー発電によるスマートウォッチはさほどない。機能は限られているが、バッテリー切れを気にせず使えるのはありがたい。

 ただソーラー腕時計を使うものにとって今は忍耐の季節でもある。日光を十分に当てられず、だんだんと充電量が減ってしまっているのだ。関東に住む私にとって日光は冬でも十分にある。ただ、上着や外套を着ると時計が袖の下に隠れてしまい。時計に光が届かないのである。私の時計は残りの電力が表示されるのだが、見るたびに情けない状態になっている。

 ソーラー電池用の発電ための電灯があるそうだが、本末転倒な機械には躊躇する。でも、上着が取れる季節までは時々袖をまくり上げて光を当てる日々が続きそうだ。

2月始まる

 明日はかなり寒くなるとの予報が出ている。東京の場合、もしかしたら雪が降るのではないかという予報もあるらしい。ただ、おそらく積雪はほとんどなく、雨かみぞれが降る可能性が高いとのことだ。

 冬至は12月下旬だが、年間で最も低温になるのは2月と聞く。あわただしく過ぎてしまう月が実は冬のピークを作る期間だ。これまで私も2月の寒さ、雪に驚かされたことが何度もある。ここ数年の猛暑は降雪を増やす条件であると聞く。2月に雪害が起きないことを心から祈る。

花粉飛散今年は悲惨

 先日の新聞によれば今季のスギ花粉の飛散は例年よりかなり多いらしい。いわゆる花粉症の私にとっては脅威そのものだ。

 フェキソフェナジンなどの対策薬を服用するようになってかなり楽になったことは確かである。眠気の副作用も以前の薬と比べるとはるかに少ない。でも、うららかな陽気に気兼ねなく外出ができないのはかなり残念だ。

 聞くところによると、花粉症を自覚する人の数は年々増えているらしい。今までは大丈夫だったのに、ある時から急に激しい症状が出たという話をほうぼうから聞く。どうも花粉に対する耐性には限度があるらしい。

 花粉症に日本人がかかりやすいのは遺伝的特性という人もいる。植林計画の誤りという人もいる。花粉が出にくい品種改良がなされそれに置き換えつつあるとも聞く。何とかなればいいと思うが、私の命のスパンには間に合いそうもない。

 コロナ禍を経てマスクをつけることに抵抗感がなくなったことは事実だ。朝晩はマスクをして電車に乗ることになる。面倒だが仕方ない。