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豪雪

 ニュースによると北陸ではかなり雪が降っているらしい。積雪のためにさまざまな障害が起きつつあるというから心配だ。

 除雪にはいろいろな危険も伴うので十分に注意していただきたい。特に人力で行う場合は要注意である。無理のないようにしていただきたいと思うばかりだ。関東は乾燥した晴天、毎年思うのだが、この差の激しさは日本の特徴ではあるが、何とかならないものか。

冬日真冬日

 気象関係者の使う用語である冬日、真冬日について調べてみた。思えば夏日、真夏日についてはかなり理解できたつもりでいるが、その反対については曖昧だった。

 まず冬日というのは最低気温が氷点下になった日のことをいうそうだ。最低気温は明け方になることが多いものだが、その時に気温がマイナスになっていれば冬日ということになる。これは結構ありそうだ。ちなみに明日の居住地の最低気温の予報はマイナス1℃なので冬日ということになる。

 真冬日は最高気温が氷点下ということで、東京では過去4回しかないとのことだ。恐らく今後もしばらく発生しないと思われる。真夏日は最近頻繁に起きているが、対極の方はめったなことでは起こらない。

 現在、日本は強烈な寒波に覆われており、日本海側では雪害が発生しつつある。東京は乾燥した季節風が吹き荒れ、体調を崩す人が多い。実は私も怪しい。冬来たりなば、春遠からじ。まもなく立春である。今日は凍えているが次を待とう。

 冬日の後には花咲く季節があること知っているのは私にとっては大変な救いなのである。

低温予報

 予報によれば関東は21日くらいから著しい低温傾向になるという。日本海側ではその前日くらいから雪になり、所によってはかなりの積雪もあるかもしれないという。この時期にはよくあることだが、問題はその程度である。生活に支障が起きるほどの天災にならないことを祈る。

 北陸に住んでいた頃は、この時期は結構スリリングだった。道路には融雪装置が付いているので、よほどのことがない限り大丈夫なのだが、問題は車庫から公道までのアプローチである。距離は大してないのだが、降り出すと除雪してもすぐにまた雪が塞いでしまう。私のような雪国ネイティブでない者にとって、手の抜きどころが分からず、無駄な力仕事が重なって疲労してしまうのである。

 関東に転居してこの苦労はなくなったが、代わりに異常な乾燥と他人からのウイルス感染の可能性の多さに常に曝されている。どうも体力が逓減しつつある現状において、少しの油断もできない。冬は嫌いな季節ではないが、緊張感を要求されることにおいては他季とは違う。

寒波

 このところ大変な冷え込みでどうやら強烈な寒波が来ているようだ。差し込むような寒さが体力を奪うのが実感できる。こういう寒さは慣れると耐性がつくのだろうが今はそれがない。ありがたいことにいまのところ流感にはかかっていないが油断はならない。ましていい歳なのだから、無理はしない方がいいのだろう。

 ただ、私の場合、少し寒いほうが勇気が出る。というかやぶれかぶれの力が出やすい。高村光太郎の詩ではないが、冬を餌食にするような気概でいたい。

北陸は雪らしい

 北陸は雪らしい。関東のローカル放送では天気予報の範囲が少なくとも二通りある。多くは関東の一都六県を範囲とし、時間によっては山梨、長野、新潟を含めた関東甲信越に拡大される。ただ、映し出される雨雲の分布や降雨降雪予報の地図には富山県も入ることが多いので、コメントはないがだいたいの天気は分かるのである。

 今日は季節風が強く、さらにはこの季節に多い日本海寒帯気団収束帯も発生する可能性もあるという。そうなるとまとまった雪になりやすい。年末の大雪に注意しなくてはならない。

 かつて北陸に住んでいたとき、当時は長岡や後に越後湯沢で新幹線から在来線に乗り換えた。群馬の山を越えた辺りから雪景色となり、越後湯沢駅からはスキーをする人の姿が見えたものだった。関東は乾いた青空で、川端康成でなくともその激変に感情を揺り動かれる。日本の脊梁が冬の空をいかに隔てているのかを痛感するのだ。

 関東にいると雪景色に憧れ、北陸では曇天続きの冬空に鬱々としたこともあった。どちらにも素晴らしい魅力があるとともに耐えがたい痛みもある。どちらかに住むと見えたものが、移住してしばらくすると分からなくなってしまうのだ。

 天気予報で彼の地の映像が偶然映し出されたときに、にわかに過去の感触が噴出する。しかし有効期限はすぐ切れて、日常生活がそれをかき消してしまうのだ。このごろの季節はこの差異を思い出すことが多い。

マフラー

 マフラーを今シーズン初めてつけた。朝晩は結構冷えるので万が一の対策である。マフラーの巻き方にはいろいろあるが、なぜか首に巻いた残りを背中に回し、羽のように垂らしておくやり方を印象的に覚えている。

 それは恐らく昭和のトレンディドラマのヒロインが巻いていたやり方が私の世代で流行していたことによるのだろう。スカーフの真知子巻きではないが、メディアが流行らせたスタイルがあったのかもしれない。

 これからは最低気温が一桁で、氷点下になることもある。マフラーが活躍することになる。

寒さの実感

 寒波到来を予感するような曇天の一日だった。夜には大粒の雨が降った。北陸ならば雪になりそうな気配だ。関東は種々の条件が揃わないと雪にはならない。

 明日の予想最高気温は10℃だという。本格的な冬の陽気を感じ始める気候になるだろう。この気温はもっと寒い季節になれば、小春日和のような感覚で捉えられるはずだ。でも少なくとも今の時点では少し脅威を伴った寒さである。

 体感はいつでも相対的なもので、暑いとか寒いとかはその前の数日との体感差に過ぎない。ゆっくり寒くなるのと、急激に冷え込むのとでは同じ気温でも印象は全く異なるのだ。

 明日は急激な変化となりそうできっと凍えるように感じることだろう。でも、そんな日が続くと今度は最高気温が二桁あることが特別のことのように感じられるようになるはずだ。

寒波の前の静けさ

 明明後日くらいから寒波が関東にも流れ込むらしい。マフラーや手袋がいる段階に入る。でも今日はかなり暖かい。というよりこの程度の寒冷に順化してしまったようだ。ここから冬へ向けてのギアチェンジが要る。

 気象の常として、寒波の前には一時的な快適な期間がある。あたかも悲劇の始まる前の緩和のシーンのような感覚である。北陸に住んでいた頃はそれを痛切に感じたが、この列島に住まう以上は程度の差こそあれ、似たようなものだ。小春日和の後に猛烈な寒波が来るのかもしれない。

 私たちは暖房器具を持つ建物を有し、防寒の具も幾つか身につけている。昔の人たちはさぞ大変だっただろう。そのことを思えば、今の生活の安楽を喜ぶべきなのかもしれない。

もう終わりですか

 霜月も今日で終わり。あまりにあっけない。もちろんこの月にもいろいろなことがあり、得ることも失うことも多かった。それにしても痩せ細った秋のように、この月はあっという間に終わってしまう。

 明日からは十二月ということは年末ということになる。私の生活体系においては単なる通過点に過ぎない。でも、やはり年が変わることには特別な感情が伴うものである。

 残り1か月で何ができるのか。そういう考え方をしなくてはならない。私の基本的な考え方として、残された時間で何ができるのかという期限付きの思考がある。だから、あっけなく過ぎていく時間に対しては少し敏感にならざるを得ない。

おせち料理の意味

 最近はいろいろなところにおせち料理の予約の広告がある。贅沢な具材をふんだんに用いて数万円という価格で予約を受け付けている。すでに受注終了というシールが貼られたものもある。私などはどうしてここまで投資しなくてはならないのかと考えてしまうが、価値観はさまざまあってよい。

 おせちの原点は節日の供物にあるのだと考える。季節の節目に神に季節の収穫物を備えることで、神に満足してもらい、次の年の豊年を予祝する。神はここまでやってくれたのだから来年もという気持ちになると古人は考え他のだろう。だから、あくまで神饌であって、人はそのお下がりをいただくのに過ぎなかったはずだ。

 それがいつのまにか人間がその贅を尽くすためのものと考えられるようになる。信仰の枠から外れれば、限りなくその内容は形式化し、高級食材を使う方がよいとされていく。神様を忘れ、自分が神であるかのように振る舞うが、神である資格は経済力に裏打ちされたものだ。変動の激しい基準である。私のようにいつまで経っても神様になれない人もいるが、神になったり、落ちぶれたり、その繰り返しをしている人もいるはずだ。

 おせち料理を食べるとき、一瞬でも自分の信じる神もしくは尊敬すべき人やモノを思い浮かべるといいのかもしれない。するとその重みがその味を荘厳なものに変えてくれるはずだ。¥ではない単位の幸福が得られるかもしれない。