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シャクナゲ

 近隣の人家の軒先にシャクナゲが咲いている。ツツジ科の花らしくそのような形の花をつけるが、固まって天を向いて咲く様は一層華やかさを感じさせる。ちょうど今頃が見頃だ。

 「夏の思い出」という歌曲の中で黄昏の形容として使われているのは有名であり、私も花の名を聞くとまずこの歌の歌詞が思い浮かぶ。シャクナゲにもいろいろな色があるが、尾瀬を彩ったのはどんな色だったのだろう。

 調べてみるとシャクナゲには害毒成分があるらしく見た目とは違う。あやまって体内に取り込むと命に関わることもあるらしい。園芸種などでも毒性は消えていないそうだから気をつけたい。美しいものには棘がある。本当の棘はないが毒というトゲがあるということである。

万緑

 電車から見える坂道の桜の街路樹の花はすっかり終わってしまったが、若葉が次々に芽生えてくる様は、また美しいものがある。桜だけではなく、いろいろな緑が輝く季節となった。

万緑は往古の詩人や歌人によって表現されてきた。強い生命力を感じるからだろう。命の力は万物の根源だ。かつては意識することがなかったがいまはいちいち気になる。生きることにはエネルギーがいる。

楠葉

 公園を歩いていたら紅葉した楠の葉がたくさん落ちていた。夏に向かう今の季節に紅葉があるのは驚きだ。楠は常緑樹だが、初夏に若葉が出る。そのとき古い葉は落ちるのだが、これが紅葉するのだ。

 つややかな葉が赤く色づくさまは美しい。葉によって色づき方が様々であるのもいい。一葉持って帰って保存したいと思うのだが、一枚選ぶとなると決めきらずいつもそう思うだけになる。

 このところ暖かい陽気が続いているので楠葉の世代交代は一層進むのだろう。落葉の方に思い入れをしてしまうのはなぜだろう。

燕の営巣

 数日前、燕の囀りを聞いた。姿は発見できなかったが、恐らく電線の上などにいたのだろう。今朝、それと同じ個体かどうかは分からないが駅の入り口の屋根裏に営巣しているのを見た。早業だ。

 このところ初夏と言うには高すぎる気温の日が続き、今日も夏日になるらしい。燕もせかされているのだろうか。野生動物なのに人間の直ぐ側に巣を作り、我々が手を出さないことを信じているかのようだ。確かにこの間合いはカラスには無理だ。

 おそらく瞬く間に成長し、空をかけめぐることになるはずだ。ツバメが来るとなぜか安心する。

まもなくハナミズキの季節

 実家に向かう道を夜歩いていたら、桜の花が散り急いでいるのを見つけた。路面のアスファルトに多くの花びらがはりついていた。桜の季節は終焉に向かっている。そして街路樹を見上げるとハナミズキが少しずつ花芽を大きくし、一部は開き始めていた。

 その通りは数キロにわたってハナミズキが街路樹として植えられ、もう少し経つと一斉に開花して美しい風景になる。あちらこちらに似たようなところがありここだけではないのだが、個人的にはなかなかの名所ではないかと考えている。

 満開になるのにはまだ間がある。楽しみにしていたい。

季節の変わり目

 朝晩は肌寒いが日中はコートがいらない。明日からコートはやめようと考えている。毎年のことだが、この頃は体調がおかしくなりやすい。身体のギアチェンジがうまくいかないのだろう。悪くするとエンストを起こす。

 季節の変わり目はいろいろな意味で用心がいる。

雨のち夏

 朝から雨が降っている。一部では大雨になるという。この雨は菜種梅雨に当たるものらしく、それが明けると季節が進むらしい。一旦気温は下がるがそれ以降は最高気温が20℃以上になる日が続くらしい。

 ここ数年、夏の訪れが早いが今年もそうなのだろうか。身体をならすのが今の課題だ。

こぶし

 実家の近くの街路樹のこぶしが見頃であった。

こぶし

 春の花として有名だが、まず花だけ咲くので白が際立つ。足元にはもうとうが立ってしまった多くの土筆が並んでいた。季節の息吹を感じることは大切だと再認識した。

 今年の桜は開花がここ数年と比べると遅かった。その分、ここに来て一気に咲いたために美しさが増している。咲き方にもいろいろある。

 このあとは桜吹雪の季節になる。これもまたそれぞれだ。散り際に注目する美意識は引継がれていると思う。どう次の季節に繋いでいくのか。今年も桜に学ぶことにする。

黄砂に霞む

 昨日ベイブリッジを走ったとき、横浜の街は黄砂に霞んでいた。風景全体にフィルターがかかったようだった。恐らく私の身体にも黄砂の粉が付着し、一部は体内に取り込まれたはずだ。

 そのせいだろうか。今日はアレルギー鼻炎の症状が酷い。フェキソフェナジンも点鼻薬も効かない。くしゃみと鼻水の処理とで精一杯である。ここまでの苦戦は久し振りだ。

 スギ花粉と黄砂のミックスがよろしくないのだろう。耐性がないことを痛感した私としては、負けても被害は最小限にしたい。もし勝つことができるならば。