連日真夏日で一体梅雨はどこに行ったのかと思う。それほど柔ではないと思っていた我が老体もあちこちに不具合が出ている。それをいかに他人に悟られず、平気を装うか。この点の技術も蓄えている。
梅雨寒なる季語を懐かしく思うこの頃だ。予報を見るとしばらくは高音傾向である。来週は雨が降るようだが、気温が下がらなければ不快指数が上がるだけだ。
とにかくいまは耐えること。暑熱順化にかけるしかない。
日々の思いを言葉にして
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新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって生じた変化にどのように適応しましたか ?
私はコロナウイルス対策に恐らく2回蝕まれた。1度目は病院でコロナウイルスは陰性と診断されたがそのときのほうが症状は重かった。2度目は明らかに感染したと思われるものだ。当時流行語になっていたエッセンシャルワーカーの一員である私は、自宅勤務などの選択はできず、ソーシャルディスタンシングも実現不可能だったから、当然の結果だった。
病状としてはかなり厳しい数日間と隔離処置対象となった数日間で、体力よりも精神の方が侵食された気がする。コロナウイルスの真の破壊力は社会との隔絶の理由を無批判で実効化してしまうことだった。
周囲の仲間たちが交代で病魔に犯される状況で、私が得たのは現状を深く考えず、最終的な利益を考えることだったのかも知れない。何歩か後退することは仕方がない。最終的に少しでも前進できたならそれでよいのだという割り切りだ。パンデミックには抗いがたいが、波を乗り越えた後に生存できていればそれでよく、できれば数ミリでも前進していれば成功だと割り切ることができたことかもしれない。
完璧主義な人には理解し難いであろうが、緊急時に現状維持はすでに勝利である。場合によっては少々の後退でも勝利の範疇に入る。そういう考えを持てたのがコロナ禍で得た教訓なのかもしれない。
先日の新聞によれば今季のスギ花粉の飛散は例年よりかなり多いらしい。いわゆる花粉症の私にとっては脅威そのものだ。
フェキソフェナジンなどの対策薬を服用するようになってかなり楽になったことは確かである。眠気の副作用も以前の薬と比べるとはるかに少ない。でも、うららかな陽気に気兼ねなく外出ができないのはかなり残念だ。
聞くところによると、花粉症を自覚する人の数は年々増えているらしい。今までは大丈夫だったのに、ある時から急に激しい症状が出たという話をほうぼうから聞く。どうも花粉に対する耐性には限度があるらしい。
花粉症に日本人がかかりやすいのは遺伝的特性という人もいる。植林計画の誤りという人もいる。花粉が出にくい品種改良がなされそれに置き換えつつあるとも聞く。何とかなればいいと思うが、私の命のスパンには間に合いそうもない。
コロナ禍を経てマスクをつけることに抵抗感がなくなったことは事実だ。朝晩はマスクをして電車に乗ることになる。面倒だが仕方ない。