知らなかった機能

 こんなこともできたのかと思う機能がスマホにはある。多機能過ぎて使いこなせていないということなのだ。最近色々と分かってきていちいち驚いている。

 例えば文書を写真で撮ってそれを補正してPDFファイルにするということは、iPhoneの純正アプリのメモに始めから付いていてアプリを付け足す必要がない。

 流れている音楽のタイトルやアーティストを知りたいときは、ミュージック検索機能がある。iPhoneでもAndroidにもある。メジャーな曲ならばほぼ間違えることはない。クラシック楽曲もほぼ言い当てていた。途中からでも検索可能なのがやはり機械ならではと思った。

 検索といえば画像検索は面白い。対象にカメラを向けて検索すると、それと似たものの商品がリストアップされ、ECへの誘導がある。価格表示もされる。この方の精度はいまひとつだ。というよりよく似ていても価格は多様であるというのが本当のところだろう。

 画像検索を人に向けると有名人なら名前を知ることができる。自分にカメラを向けたところ検索不能と出た。安い値段が表示されず一安心だ。

もっと簡単に

コンピュータを毎日使う日々が来ることは私が中学生の頃は想像できなかった。一部の科学者とか、特殊な職業の人だけが使うものであると考えていた。それが今は誰でも使う。おそらく一人一台では済まない。多くのコンピュータを使っている。

いわゆるパソコンというものはその中の代表だが、これに関してはいまだに操作が難しい。かつていちいちRUNなどと入力して始めていた頃に比べれば雲泥の差だが、それでもまだ難しいのだ。加えていま高齢者が使いこなせるパソコンがあるかといえばかなり難しい。自分が歳をとって分かったのだが、画面の文字の小ささだけでもう難しくなる。キーを叩くことも障害が出始めると難しくなる。音声認識もしわがれた声でどれほどできるのかが問題だ。

PC操作はいまはできても

コンピュータが人間の要求に答えられるようになるためには一段と開発が必要になるだろう。今はAIによる補完という考え方が主流になっている。衰えた認知力や記憶力、運動機能などをAIが予測して提供するというものだ。これにも様々な問題はあるが方向性としては間違っていない。杖か車椅子のような役割を果たすものを開発していく必要がある。

杖に例えたのは、あくまでも歩くのは人間であるということを言いたかったまでだ。車椅子の比喩もしかりである。あくまでも主体は人間でありそれを補助する道具としてコンピュータが活用されなくてはならない。

化けの皮

 これからは専門が一つという人よりも二つ以上の専門がある人が求められる。ある人が語っているのを聞き、最もだと思った。しかし、専門が二つというのは敷居が高い。

 でも、この専門という定義をどこに置くのかで話は変わってくるのかもしれない。資格があるというのは自分以外の認証であり客観性もある。ただ、自分が専門だと主張すれば専門になりうる分野もあるのではないか。ならば、多少大げさでもいいからこれもできると言ってしまうのも手ではないかと考えた。

 そういうはったりはすぐに化けの皮が剝がれる。しかし、はがれる前にその皮を自分のものにしてしまえば何とかなるのかもしれない。私の職業以外の専門は何だろう。まずは化けの皮を張る所から始めようと考えている。

換気注意

 オミクロン株のコロナウイルスが爆発的感染を広げている。職場でもその対応のために定期的な換気を実施している。ただ、少々問題がある。

 一年の中でも気温が最も低く乾燥しているこの時期に窓を開放することには別のリスクがある。身体を冷やすことによる免疫力低下はその最大懸念事項だ。

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 感染予防が目的であれば単なる換気だけではうまく行かないのではないか。具体的な方法を指南していただきたい。換気せよという注意喚起が果たしてどの程度有効で、どのようにすればいいのかを。

日常の美

 日常に隠れる芸術がある。大量生産された品物であっても、それが特別のもののように見えることがある。ある程度年季の入ったものは特にそうだ。

 思うにものは使ううちに周りの生活を身にまとうのだろう。その衣装が尊いもののとき、ものは輝きを増すのに違いない。

 日常の中にも確かに美は存在する。

火山灰

 大噴火の近辺がどのような状態になるのかをトンガからの報告が伝えている。救援物資を届けるための飛行機が着陸困難だというのだ。

 火山噴火のリスクは我が国の重要問題でもある。富士山が目覚めたときのリスクはすでに何十年も前から語られ続けており、シミュレーションは詳細に及ぶものがある。溶岩、火山弾の被害に加え、降灰の害は長期に渡って都市機能を不全にする。

 トンガの例はその参考になる。救援活動は人道的のみならず、我が国の復興段階での経験の獲得のためにも参加すべきではないか。

少し郊外に

 私の住んでいるところは急速に人口が増えている。人口減少の時代に逆行しているのは、都心へのアクセスがほどほどよいのと、鉄道会社のイメージ戦略が成功しているからだろう。私は脱出を考えている。

 確かに便利なのは助かる。ブランド品やそれに準じるお洒落なアイテムも容易に見つかる。ただ、それが本当に必要なのだろうか。もっと大切なのもはないのだろうか。

 通勤の束縛がなくなればいっそのこともっと郊外に移りたい。関東地方である必要もない。そこそこのインフラがあればいい。いまはそんなふうに考えるようになっている。

 そのためには準備と蓄財だ。そろそろ真剣に行動計画を立てることとしたい。

遠隔地由来の津波

 トンガ王国で起きた海底火山の大規模な噴火は、広範囲な地域に影響を及ぼしている。特に津波は想像以上に深刻なものであり、日本でも被害が出ている。

 15日におきたという海底火山の噴火は衛星画像からもはっきりとそれとわかる規模のもので、100年に一度もしくは1000年に一度の規模のものであると報じられている。この噴火の影響で日本でも気圧の変化が観察されたことから、相当な迫力を持つものであったとわかる。日本からトンガまでは約8000㎞離れており、同距離の場所としてはアラブ首長国連邦あたりでありかなり遠い国であるにも関わらず。

 今朝の報道によれば17日にも大規模な火山噴火があったとのこと。詳細は未詳ながらも再び津波の発生がないのかは確認しなくてはなるまい。トンガをはじめとする近隣諸国の人びとの生活が心配だ。さらに噴煙や会場に浮遊した噴出物の問題もさることながら、農業地帯であるオーストラリアやニュージーランドへの影響が懸念される。国際的な救援を考えるべきだろう。

 さて、標題の日本の津波に関しては15日23時55分に奄美大島で1m20㎝、岩手県久慈港では16日2時26分に1メートル10㎝の潮位上昇を観測したという。かなりの高さである。東日本大震災の津波で再確認したが、津波は通常の大波と違い、波面が全体的に持ち上がるため陸地がそのまま飲み込まれる。だから数センチでも被害が出ることが多い。報道によると北米でも同様の津波が観測されている。現時点での報道では噴火地点に近い場所よりも、遠隔地の方が津波の高さが高くなっていることもある。油断はできない。

 遠隔地で起きた地震により、津波が発生し被害が出た記録といえば1960年のチリ地震津波をあげる人は多い。私が生まれる前のことなので内閣府の公開している「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1960 チリ地震津波」を参考にしてみると、「昭和35年5月24日早朝来襲したチリ津波は、北海道から沖縄までの太平洋沿岸各地に被害を与えた。体感する地震がなく、気象庁の対応も遅れ、完全な不意打ちであった。南米沖で発生した遠地津波は、1586年以降19例もあったのだが、その認識が不足していた。」とのことで、地球の裏側で起きた地震がまさか大きな津波被害をもたらすとは考えていなかったというのだ。死者・行方不明者139名、負傷者872名が当時警察の発表の被害者数だが、この報告書によれば、返還前の沖縄の死者3名が含まれていないということである。

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 東北地方の太平洋側の住民は古来から何度も津波被害にあっており、他地域より備えはあったのにもかかわらず、体感なき地震による津波には対応できなかったことになる。また、インターネットのない時代、広報はマスメディアにたよらざるを得ず、情報不足がもたらした被害であったと今ならば言える。16日の深夜から未明にかけてスマートフォンなどで津波警報が鳴り続けた。数多く寄せられたクレームに対し、神奈川県知事はその方法に問題があったとして謝罪したが、情報があるということの重要さは忘れてはならないだろう。

 遠く離れた場所に由来する津波も決して侮ることはできない。このところインドネシアや南太平洋で大きな地震が相次いで発生しており、油断はならない。日本は自国で発生する地震への備えとともに、海を隔てた地域へのアンテナもつねに張り続けていなくてはならないのだ。

現役エンジニアから学ぶならテックアカデミー

東京でなくても

リモートワークが普及する中で、企業の中心を都心から移す事例が出ている。一極集中のもたらす弊害やリスクを回避するためには良い考え方だ。

帝国データバンクが2021年9月3日に公開した「首都圏・本社移転動向調査(2021 年 1-6 月間速報)」によれば、2021年1月から6月の時期に首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)から他の地域に本社を移転した企業は186社であったという。6月までの統計で150社を超えたのは過去10年では初めてということである。その後もこの傾向は続いていると考えられ、300社を超えるとこの時点で予測している。移転先で最も多いのは大阪で茨城、静岡、北海道が続く。同調査は首都圏への転入数も発表しているが、昨年は2010年以来の転出超過になったようだ。

コロナ対策のさまざまな方策は、企業が首都圏にある必要性がないことを証明した。むしろ過密な都市に企業を置くことのリスクを露呈したといえるだろう。加えて我が国には天災のリスクがある。首都圏にはこの先必ず何らかの災害があることは専門家も認めている。もちろん、それは首都圏のみならず日本全国に当てはまるのだが、首都圏がその中心地になった場合のことを考えると、本社機能を集中させるのは意味がない。

地価や物価が比較的安価であり、うまく誘引すれば労働力も確保しやすい地方都市に本社を移転すれば、様々なリスクを分散できるようになるだけではなく、首都圏では得られないメリットがある。もはや東京である必要はない。ブランドでTOKYOを使いたいのなら、支店をおけばいいだけの話である。その意味があるとしたら。

こういう発想はやがて民間、個人にも及ぶのかもしれない。ほどほどのインフラがある地方都市があるのなら、そこに移住したほうがいい。そしてそこに移転した企業か、それに関連する仕事をすれば生計は立てられる。環境の悪い首都圏よりもかえっていい生活ができる。多少不便でもそのほうが人間的だと考える人が出てくるのではないか。

現状では日本の人口の約3分の1が関東地方に集中している。それがもし少しずつ他地域に移動して行けば、密集による弊害はなくなるだろう。逆にそれぞれの地域にライフラインを整備するという問題も発生する。環境に他する負荷も考えなくてはならない。ただ、首都圏を移転するというより、ほどほどの地方都市をいくつも作るという発想の方がいいようだ。

努力は必ず

 2回目となった大学共通テストが今日明日の日程で行われる。駅の電光掲示板に、「努力は必ず報われます。がんばってください。」と表示されていた。私も応援したい。

 努力は必ず報われるのかといえば、私はやはりそうだと言いたい。ただ、それがすぐにあらわれるのか、時間がかかるのかは分からない。何もしない人には何も起きないということだけは事実だ。だからやるしかない。

 いまの受験生は親世代と比べると広き門を通ることになる。受験生数の激減と大学数の増加かその背景にある。ならば幸せかといえばそれは逆のようで、入るのは簡単でもその後の人生は厳しい。学歴フィルターの話題は下火になったようだが、そのフィルタの厚みは増していくし、就職した会社がいつまでも継続するとは限らない。

 不確実な時代を生きるにはやはり学びを止めるわけにはいかないことになる。大学受験はその中の一つのイベントに過ぎない。希望の大学、学部を目指すべきであり、合格すべきだ。そしてさらに研鑽するべきだ。万一、合格できなくても学び続けることには変わりはない。どの大学に行くかが問題なのではなく、何をし、し続けるかが肝要なのだから。