気圧が急低下しているせいなのか。軽い頭痛に悩まされている。コロナ禍のあとはちょっとした熱にも神経質になりやすい。今のところ熱はなく、形容し難い不快感以外には症状はない。しばらくは無理をしないで過ごそう。いわゆる気象痛ならば少し待てばいい。焦りは禁物だ。
霜月尽

今日で11月が終わる。行事が少なくやるべきことを地道にこなす月と考えていたが実際はそうたやすくはない。いつものように要領悪く、毎日を慌ただしく過ごしてしまった。
比較的暖かい日が多かった。郊外の散歩にも何度か行った。いくつかの美術館を見学した。その都度感動し、これを明日に活かそうと考えた。いかせているのかは分からない。成果は速効か遅効かは後にならないと決められない。
健康状態は維持できた。周囲にウイルス罹患者が少しずつ出ている。しかし、今のところ何とか切り抜けられているのは幸運というしかない。流行病はいつかは罹る。被害を最小限にすることを考えるべきだ。
明日からは年末。やるべきことはさらに増える。状況対応型の自分に喝を入れなくてはなるまい。
木枯らし
昼過ぎからかなり強い風が吹き始めた。雨も降り冬の訪れを予感するような天候になった。夜になっても風はやまず。むしろ強くなっている。紅葉した葉を吹き飛ばす北風になるのはまもなくだ。
今朝は通勤の道にカラスがたくさんいて餌を求めてかなり緊迫した様子がうかがえた。鳥には天候の異変がわかるのだろうか。これから食べ物を確保するのが難しくなることを見越しているかのような動きだった。やはり野生を生き抜く動物には特殊な能力が備わっているらしい。
私といえば特にこれといった対策もない。少々ののどの痛みを感じるのを気にしながらも結局はよく寝ることくらいしか思いつかない。野生の勘が働かない以上、愚直に生きるしかあるまい。
寒気の前の
間違った時短
値上がり続々

このところいろいろな物の値段が上がっている。資本主義経済の中では値上がりは避けられないが、その前提として収入も上がらなくてはならない。ところが、我が国の労働者の賃金は世界的にも特異なほど低迷している。入る金は少なく、出る金は多い。それがいいはずがない。
日銀の目指していた2パーセントのインフレは奇しくも外圧によって達成されてしまった。むしろ今までの利下げは日本の経済を弱体化させるだけで効果は少なかった。大きな変化が起きなかった分、国民は安心してしまったが、成長やイノベーションの努力を怠ることとなり、国際的経済力が低下してしまっている。
今後の厳しい時代の中で、日本の経済がかつての勢いを取り戻すのは極めて難しい。せめて、働いたものが損をすることがないようにするべきだ。非正規雇用という極めて巧妙な格差階級を作って経済を回してきたやり方が、もう機能しなくなっていることを考えなくてはならない。今後は大半の労働者が非正規雇用になる可能性があり、それでも混乱が起きないような社会の仕組みを作らなくてはならないだろう。
まずはそのためにも労働者の賃金をあげることを考えなくてはならない。金を回すことで経済は活性化する。経営者はまずは人に投資をすべきだ。それができれば結果的に収益があがる。今後は人材確保も容易ではなくなる。優秀な人材を確保するためには人的投資を惜しむべきではない。
国民も自分の価値を高めることを考えるべきだ。学歴を持つことだけがその方法ではない。それぞれの職の専門知識や経験を言語化し、説明できるようにするべきだ。実務面で優れている人にも高収入を保証すべきである。
このような社会的な問題になると、日本の風土では横並びを重んじる。突出したことをすると周囲から非難されると考える。しかし、この問題に関しては先を進む人や企業が出てほしい。彼らが成功すれば後に続く存在が現れる。
秋の終わり
買い物かご
幼いころ、買い物に行く人は自分の入れ物を持って行っていた。買い物かごと呼ばれた編み籠はいまのプラスチック製のレジ籠とはずいぶん趣が違った。スーパーのような何でもそろった店ではなく、いくつもの小売店を歩きながら買うスタイルだった。買い物かごは形を変えていまエコバッグと呼ばれている。
昭和のスタイルでは籠に入れる商品は新聞紙などにくるんで入れることが多かった。肉や魚はさすがにビニール袋が使われたが、それも今より透明度の低いものだった。その他は新聞紙か紙製の袋であった。我が家ではその袋をごみ袋などに転用して使っていたことを思い出す。
スーパーマーケットができて、レジ袋というビニール袋が普及するともう買い物かごを持ち歩くことがなくなった。手ぶらで買い物に行けるのは便利だ。専業主婦が少なくなって、職場の帰りに買い物をする機会も増えたこともあり、買い物かごはほぼ絶滅した。コンビニエンスストアができるようになると、自宅から袋を持っていくことはむしろおかしなこととなり、疑いの対象にすらなった。
それが環境問題でレジ袋の削減が提唱されると、再び家庭から袋を持参する形が復活した。最初は従来のレジ袋を再利用していたが、使っていくうちに劣化して破れ始めると、少し強めのいわゆるエコバッグを使う人が増えてきた。折りたたむことができるので会社帰りにも使える。私もカバンにいつも一つは入れている。
ところがこうしたバッグの多くは底にあたる部分の面積が小さく、弁当などを入れると地面に垂直に入らない。歩くうちに傾いてしまう。こぼれることもあって不快だ。そこで最近はもう少し大きく丈夫な袋を持参することが増えている。こうなるともう昭和の買い物かごに近づいている気がする。生活のスタイルはもしかしたら形を変えながら繰り返されていくのかもしれない。
自己暗示
色々な本に書かれていたり、スポーツの選手やコーチが言う言葉に自己暗示の大切さがある。苦しいときこそ笑顔を作れ、作り笑いが本当の幸せをもたらすことがあるというのだ。
最近はこれを精神論ではなく脳科学の観点から説明する人もいる。ポジティブな行動をすると脳が活性化し、上手くいくことが多いのだという。かつては歯を食いしばって頑張れと言っていた野球の監督が、いまは無理にでも笑えという。事実優勝するチームの多くはチームに明るい雰囲気がある。
自己暗示とは自分を意図的に騙すことに他ならない。そしてどうも人間は騙されやすいらしい。自己暗示は効果的に使うべきだ。また教育おいてはほどよい自己暗示の方法を教えるべきなのだろう。
教える学習法
よく言われていることを私なりに述べる。効率的な学習法の一つに教えるということがあるということだ。
何かを学習したとき最終的に習得したと言えるためには、知識を言語化し、さらには再現できることであろう。何を学んだのかを説明できて、それを人に伝えることができればほぼ習得したと言えるはずだ。これができない段階は分かったつもりになっているか、知識のエッセンスが分かっていない。
それを達成するのが人に教えることだ。教えるためには知識を整理し、母語に組み立て、分かりやすく話す過程がある。意味が分からなければ相手の反応からそれと分かる。
家庭での学習において保護者があれこれ口出しすると年齢によっては反発される。そういうときは何を学んだのかを教えてもらう形で確認すれば本人のためになる。この際、聞く方は生徒役に徹することだ。知っていても分からない立場で接すればいい。

