投稿者: Mitsuhiro

冬越しの読書

 マフラーを着けるとやはり暖かい。首は寒さを感じやすいらしく、ここを管理することがだいじなようだ。そういえば夏はここを冷やした。

 急に寒くなり、しかもしばらく低温傾向が続くという。少しずつ体調が悪く、疲労度が増えている。こういうときは心にもマフラーがいる。現実から少しだけ目を逸らして全く関係ない本を読んでみることにしている。先日は海賊の話、その前は天気予報の話、戦国時代の皇室のことを書いた本といった具合に。

 何かのためと思わずに読む本はなぜか面白い。そして、内容が理解できるのは不思議なことである。

冬日真冬日

 気象関係者の使う用語である冬日、真冬日について調べてみた。思えば夏日、真夏日についてはかなり理解できたつもりでいるが、その反対については曖昧だった。

 まず冬日というのは最低気温が氷点下になった日のことをいうそうだ。最低気温は明け方になることが多いものだが、その時に気温がマイナスになっていれば冬日ということになる。これは結構ありそうだ。ちなみに明日の居住地の最低気温の予報はマイナス1℃なので冬日ということになる。

 真冬日は最高気温が氷点下ということで、東京では過去4回しかないとのことだ。恐らく今後もしばらく発生しないと思われる。真夏日は最近頻繁に起きているが、対極の方はめったなことでは起こらない。

 現在、日本は強烈な寒波に覆われており、日本海側では雪害が発生しつつある。東京は乾燥した季節風が吹き荒れ、体調を崩す人が多い。実は私も怪しい。冬来たりなば、春遠からじ。まもなく立春である。今日は凍えているが次を待とう。

 冬日の後には花咲く季節があること知っているのは私にとっては大変な救いなのである。

大寒

 今日からしばらく寒波が南下し、寒い日々が続くのだそうだ。大寒という節気に当たる今日はその名にふさわしいものになりそうだ。鉢植えにしたスイセンが開花したのだが、しばらくは寒さに耐えてもらわなくてはなるまい。

 今朝は念のためにマスクを着用した。このところ暖かったので身体が油断しているかもしれない。ここからが大事なのだ。

頼りになる人物

優れたリーダーとは ?

 最近、身の回りから国際ニュースに登場する人物まで、いいリーダーが少ないと思う。自己の得意分野には聡いが、それ以外になると利己的にしか動けない。残念だが、そんな方が多い気がする。

 ならばお前ならできるのかと言われれば、それは無理ですとしか言えない。つまり、私には素養がないのだ。でも、こういう人に導かれれば幸せだろうという見通しは立てられる。そこで思い浮かぶのは権力者とか資産家ではなく、目立たない仕事を黙々とこなし、なおかつそれを誇らない人なのである。

 恐らくいまの時代ではそういう人はリーダーにはなりたがらない。功利的に立ち回ることそれ自体が彼らにとっては苦手であろうから。

 少なくとも私たちは表面的によく振る舞っていたり、いわゆる口説の徒を上手く見抜きあしらうわざを磨くべきなのだろう。本当に大切なことは何なのかを考える余裕がいる。難しいことなのだが。

遠藤周作の母親像

 昨日行われた共通テストの「国語」は相変わらず、短時間で多くの問題を解く、反射神経と脳の若さを前提とした出題であった。昨年に比べると問3の実用文と、問4の古文が難しく感じられた。もっとも問3のような問題は解きなれていないということが主因であると考えられる。時間をかけずにいろいろな資料の要点をさっとつかみ取る力が試されている。これは人工知能の仕事のように思われるのだが。

 第2問は遠藤周作の小説からの出題であった。没後発見された遺稿とのことで、古い価値観のなかで自らの生き方を貫くことを拒まれた母親の姿を描いている。自伝的な小説ということだ。遠藤周作の作品の中に登場する弱さを受け入れ、罰することなく、寄り添っていくという母親像の原点はここにあったことを感じさせる作品だ。受験生の多くは遠藤作品を読んだことがないはずだ。社会から強いられる女性の生き方をどのように受け取ったのか気になる。

 社会でも女性の生き方についての問題が出題されたという。これはもしかして高市首相誕生効果なのかなどと勘ぐってしまう。女性の生き方はかなり変わったものの、いまださまざまな問題がある。そのことの問いかけならば受験生にとって意味がある。

ボンボンシール流行の意味

 よく使う駅の改札の外に設けられたワゴン販売に珍しく長い列ができていた。大抵はお菓子や、革細工などの小物などが売られていて、足を止める人はいて、そこそこ売れることもあるようだが、列ができることはない。それが少なくとも20名以上の列だったのである。

 何だろうと思って見に行くと意外なものだった。シールだったのである。キャラクターの形に作られたシール集で、立体感がある。調べてみたらボンボンシールというそうだ。諸説あるが平成年間に主に女児の間で流行していたシール収集がここにきて復活したらしい。でも、昭和にも似たようなものがあった。転写シールというフィルム上のシールなどはあちこちに貼って怒られたものだ。

 シールのような安価でかわいらしいものが流行するのはなぜなのだろうか。一つにはそれを買い与える親世代の精神が影響している。昔のことを懐かしむ気持ちだ。平成レトロと言われているようだ。昭和世代にとっては複雑な気持ちになる言葉ではあるが。さらには幼いころに回帰したいという一種の退行心理もあるのかもしれない。ストレスが多く、常に何かに追われているような毎日、また縮小する国家経済、近いうちに起きる天災などのニュースをジャブのように受けている私たちが、心理学でいう防衛本能を子どもの遊びのなかで実行している可能性もある。

 現役の子どもたちにとっては簡単にできるデコレーションに創作活動を始めるきっかけを使ってほしい。そして私たちも、デザインすれば日常品が違った輝きをもつということをシールの貼付から思い出す契機となるのかもしれない。私の子ども時代のようにあちこちに貼りつけて怒られることがないようにしなくてはならないけれども。

 

黄砂予報

 季節風に乗って黄砂が飛来しているそうだ。そういえば今朝は少し霞んでいる気がする。今後少しずつ増えていく予報が出ている。

 黄砂は粒子が大変細かいために空中を長く浮遊し、雨や雪をもたらす雲が脊梁山脈で枯れた後も風に乗り続けるようだ。砂塵と呼ぶにはあまりに微細でしかも大量なのが特徴だ。

 産業への被害はさることながら、一部健康被害も齎す。厄介な現象であるが、地球が一続きのものであることを思い出させてくれるものでもある。

真冬の選挙

 総理は支持率が高いうちに選挙をしたいらしい。積雪期にわざわざ行う選挙はどう考えても時期がおかしい。野党の再編も進むようで野党第一党の合併が報じられた。対抗勢力と成りうるのかは未知数だ。

 高市総理が就任したときは右翼的だと評されていたが、今はそれより極端な右派勢力があるので、むしろ中道に見えてしまう。自民党にすり寄る党は、政策を堅持しないと飲み込まれる。

 野党はこの状況にあっても支持は得られず相変わらず混迷が続きそうだ。単なる人気投票にならないように見守りたい。国の内外で重要な局面にあることは明白であり、その舵取りを任せられるリーダーを見極めなくてはならない。

知らぬふり

 思うにいまの世の中はあらゆることに因果関係を求めすぎて、人々の自然な行為を受け生けられなくしているような気がしてならない。偶然の振る舞い。そこにほの見える善意もしくは悪意は切り捨てられて見えなくなっている。

 何かの事態を目撃して、行動するときの精神構造は必ずしも合理的ではない。その人がよいと考えることをただ実行するだけのことだ。そこに理屈はない。あったとしても後付けである。

 私はわざとらしい善意に感心しない。意図せず動いてしまう人の振る舞いにこそ、心の美を感じるのだ。それは意図的なものとは限らない。あたかも知らぬふりをしているかのように見えるほど、自然で偶然のように感じられるものなのだ。

 近年、こうした善意は対価のないものとして避けられている気がする。評価されない行為はその善悪に関わらず無意味なものと考えられやすい。でも、何でも商品化される世間の風潮に背を向けることも必要だ。そして、それにことごとしい賞賛は要らない。当たり前のように他者のためになる何かをする。そんな人生を送りたい。

 それを理想主義者、夢想家と難ずる人もいるはずだ。その指摘は間違っていない現実離れした何かを追いたいのはいまの私にとっては切実な欲求なのだ。

低温予報

 予報によれば関東は21日くらいから著しい低温傾向になるという。日本海側ではその前日くらいから雪になり、所によってはかなりの積雪もあるかもしれないという。この時期にはよくあることだが、問題はその程度である。生活に支障が起きるほどの天災にならないことを祈る。

 北陸に住んでいた頃は、この時期は結構スリリングだった。道路には融雪装置が付いているので、よほどのことがない限り大丈夫なのだが、問題は車庫から公道までのアプローチである。距離は大してないのだが、降り出すと除雪してもすぐにまた雪が塞いでしまう。私のような雪国ネイティブでない者にとって、手の抜きどころが分からず、無駄な力仕事が重なって疲労してしまうのである。

 関東に転居してこの苦労はなくなったが、代わりに異常な乾燥と他人からのウイルス感染の可能性の多さに常に曝されている。どうも体力が逓減しつつある現状において、少しの油断もできない。冬は嫌いな季節ではないが、緊張感を要求されることにおいては他季とは違う。