投稿者: Mitsuhiro

心配な韓国の政情

 韓国の尹大統領が弾劾された。政局悪化に非常戒厳を持ち出したのは悪手と言わざるを得ず、国民感情を逆なでしてしまった。ただ野党側の党首も汚職疑惑があり、自分への批判をそらすために国民の関心を反日運動に向けさせようとする手法をとるリーダーなのが気になる。この策を取っていた過去の大統領はいずれも失策して失脚している。

 韓国は日本以上の少子高齢化と格差拡大という厳しい現実にあって、安定的な政局が不可欠だ。国民の観点からすれば今の状況を何とかしたいと願っているのだろう。だが、彼の国もそれを実現してくれるリーダーがいないようだ。

 戒厳令は全斗煥大統領の起こした光州事件の記憶が先行し、政局の展開の手段としては間違っている。ただ、おそらく野党党首の李在明氏が次期大統領に適当かといえばかなり怪しい。つまり、未来を託せる指導者がいないのだ。今回は大手メディアも戒厳令の方に注目し、事態の背景を追いきれていない。韓国の若者層もソーシャルメディアを含めた報道に踊らされて冷静な判断力を失っている。

 これは日本も似たような状況にある。ただ、分断を嫌う国民性がようやく混乱を抑えているのかもしれない。容易に解決できない問題に直面しているとき、そしてそれを導く者がいないとき、民主主義はどのようになるのだろうか。それを考えさせられる。

近隣の未開地

 車のランプが切れたので隣市の自動車用品店に修理を依頼した。とても混んでいて1時間後に作業開始とのことだった。そこで急にできた時間で近隣の商店等や格安量販店、リサイクルショップなどを巡回することにした。

 いわゆるホームセンターを見つけたのでまずはそこに入る。聞いたことがない地元系の店だが、かなりにぎわっていた。売られていたのはいわゆる一流ブランドものではなく、価格を抑えた海外生産品がほとんどだった。保証がしっかりしていればものによってはお得かもしれない。問題は耐久性だが。

 次にリサイクルショップに行く、近隣に2軒もあり、物価高の現在、また環境問題への意識もあってか結構繁盛していた。最近、私も古着を買ったりするので、以前あった抵抗感はない。1軒目に入った店は全国展開しているので他の支店には時々行くが、地域によって売っているものが少しずつ違うことに気づいた。

 格安量販店もかなり賑わっていた。これも用途と使用の仕方を考えればいい買い物ができる。所有の満足感は高くはないが、むしろ遠慮なく使い込めるという点においては適合している。長期使用の前に中期使用という分類ができるとすれば、そういうものに向いている。使わないブランド品よりは実用的かもしれない。壊れることはよくあるのでそれを覚悟したうえで。

 そうこうしているうちに車の修理が終わったとメールがきた。この車こそ長期使用の最たるものだ。すでに骨董品の分類に入るだろう。あちこち修理しながら今に至る。

 空いた時間で近隣を散歩することになった。すぐ近くなのにこのような店があることを全く知らなかった。未開の地は実はすぐ近くにある。

 

雑種文化

 雑種文化というとかなり抵抗がある。ただし、それを独自の文化といえばかなり違った印象にになる。多くの識者が説くように日本の文化は複数の文化の融合からなる。これも言葉を変えれば雑種であり、少しかっこよくいえばハイブリッドである。

 純日本風という言葉は色々な意味で解釈が難しい。日本独自のものはないが、日本にしかないものはある。トートロジーのようだがそれが現実だ。日本の文化が先行する要素を取り入れながら、その本筋は変えず、したたかに現実に合うように変更していく。それがこの国の伝統であり、我が国独自の性質である。

 この事実は実は時代を先取りしていた。グローバルな時代では自分のアイデンティティは他国他民族との対比の中から芽生える。他国とは違う何かを見つけたとき、それが自国文化を語る物差しとなったのだ。それを在来の文物、制度の中に織り込んでゆくことで和風が常に生成されている。

 柔軟性を忘れると活力が失われる。これは本当の生物のあり方にも似ている。

味気ないサービス

 最近いろいろな店が機械化をして、人件費を節約しようとしているらしい。飲食店の配膳ロボットはすでに市民権を得ているが、掃除をしたり、公園保護の仕事をするのは機械の得意とするところだ。こうしたことの機械化は人口減少の未来の救いになるかもしれない。

 ただ、対人的な雰囲気を重視する人たちにとっては残念なことなのだろう。日本に訪れた外国人が日本の様々な優良なサービスを称賛したあと、飲食店の注文がタッチパネルなのは残念だという。世界有数の接客サービスと聞いていたのに、実際はむなしくタップやスワイプをするだけだったというのだ。接客を楽しみにしている人にとっては今の状況は期待を裏切るものであろう。

 経済効果とか効率化とかそういう言葉では測れない何かが客商売にはある。顧客に満足してもらうことが大事だ。そのためには熟練した従業員が必要であり、彼らを雇うことができるだけの資本力が要ることになる。価格に転嫁されれば格安店には勝てなくなる。安いが味気ない店か、高いが印象の良い店か。今は選べるだけ幸いだ。今の調子で人口減少が続き、移民を受入れず人手不足のままならば、味気なさが蔓延することになる。

天然の加湿器

 咳の出る風邪が流行っているようだ。発熱は少ないが喉の腫れが強く、咳き込むとなかなか止まらない。私もようやく峠を越えたがかなり長く咳に悩んでいた。

 そこで混雑した電車や雑踏を通過するときはマスクをつけることにした。コロナ禍時代の神経質な雰囲気はないが、それでも混雑の中で咳をするのには気を使う。予防効果がどれほどあるのかわからないが少なくとも気休めにはなる。

以前かかっていた町の医師からマスクは天然の加湿器ですと言われたことも思い出す。寒さと乾燥の季節を何とか乗り切りたい。

オリンピックプールでスケート

 渋谷に住んでいた頃、代々木オリンピックプールに時々泳ぎにいった。競技用なので水深が深く、あまり水泳が得意ではなかった私にとっては少々恐怖もあった。

そのプールが冬季にはスケートリンクになった。これもホッケーやフィギュアスケートの国際大会が出来る仕様なので広くアマチュアというか初心者には贅沢だった。よく考えると滅多にない体験をしていたことになる。

アイススケートも得意ではなく、何とか周回できる程度であったが、なぜか何度も行きたくなった。怪我しても筋肉痛になってもだ。

でも、今となっては相当な勇気が必要だ。イメージ上では華麗なターンを決めてみても、実際に身体が着いてゆくとは思えない。でも一度やってみたいとは密かに考えている。

駅弁の魅力

 時々近隣のスーパーで駅弁が売っている日がある。しかし、そこに行かなくては食べられないというのが駅弁の魅力だろう。

 新幹線が走り、車内販売をやめたことから駅弁を食べられる環境はかなり厳しくなった。機関車を増結するための停車時間を利用した。横川の釜飯などは、初めて見たときにはよくも短時間で売り切るものだと感心した。いまは新幹線が知らない間に走り抜けるので、駅弁としてホームで際どく買う釜飯の醍醐味はない。

 それでも全国にはいろいろな工夫を凝らした駅弁がある。その心意気を楽しみたい。旅することが少なくなったこの頃ではあるけれども。

とにかく書くこと

 自分の考えをなんでも書き出すといいという意見に時々出会う。私にとってのこのブログなどはその目的で続けている。質より量というか、継続である。自分で言うのもむなしいが、ほとんどがどうでもいい記事である。ただ、私の場合は毎日何とか続いているので、過去にこのようなことを考えていたんだということを思い出すよすがにはなる。

 これは悪いことではないらしい。私たちの思考は言葉によってなされるが、それがまとまった文章になって初めて思考というものが形成されるようだ。あれこれ思っていても形にしなくては定着しない。だから、無理やりにでも言葉にすることには価値があるというのだ。思いつくまではもやもやとして何も始まらないが、ノートにメモしたり、キーボードをたたき始めると意外にも次から次へと言葉がつながることがある。これは言葉のもっている文法というか自然の流れというものが、思考を育てる手助けをしてくれるからなのかもしれない。

AIが生成したイメージ

 作家とか文筆業の人の中に多作の人がいるが、この最初の思い切りができる人なのだと思う。あいまいでゴールが見えていないのに、書き始めると自然に次の道が見えてくる。それが達人の技なのだろう。とにかく行ってみるのが冒険家だという話をどこかで聞いたが、文章家もそれに近いものがあるのだろう。もちろん、いろいろと調べたり、経験を積んだりすることが必要なことは言うまでもない。それがなければ語る内容が薄くなるはずだ。でも、経験豊富であれば文章が書けるというものでもない。やはり最初の一歩を踏み出す勇気があるかどうかなのだと思う。

 とにかく書くことが大切なのだが、日々を忙しく過ごすうちに日常の路線から少しでもはみ出ることにためらいを感じてしまう。それが新しい考えをすることを拒み、日常の繰り返しに甘んじることにつながっているのだろう。これは加齢もある。年齢を重ねることは経験を豊かにするが、同時に失敗を恐れる臆病さも獲得してしまうのだ。なんでも思いついたことを書くノートは常にカバンの中にあるが、最近何も書けないことが多い。もう一度考え方を改めて、最初の一歩をたくさん踏み出したい。このブログもそのための一つだ。

Jリーグ入れ替え悲喜こもごも

 J1リーグは神戸の優勝で終わった。天皇杯との2冠であり、昨年からの連覇でもある。初昇格で3位になった町田はいろいろな話題もあったが、批判する人の多くは初昇格のチームがこんなに強いはずがないという焦りが感じられた。他チームでも普通にやっているロングスローへの批判などはサッカー観戦初心者への訴求力はあった。資金力と指導者の個性があれば何とかなるということを町田は示したと言える。

 野球と違うのはリーグの昇降格があるということだ。リーグが変わると収入見込みが大きく変わる。本拠地の運営に危機感がある札幌などは正念場であろう。J2は集客に格差があるようで、うまくやっているクラブもある。不景気の中でいかに地元のサポーターを獲得できるかが鍵になる。昇格プレーオフで最後の一枚を掴んだ富山が来年いかに戦うのか注目したい。ただ、私の近隣には所属するクラブがなく応援に行くのは大変だ。

 J3リーグはプロとしては限界のクラブもあり、苦しい経営の中で戦っている。かつて町田が属していたときに注目していたが、チーム事情はさまざまである。ただ、不安定な状況の中で戦っている選手の純粋さには心惹かれる。そして、来年の今ごろにはこのリーグから昇格するクラブが3つもあるのだ。ライセンス問題はあるが。

 J3リーグ降格という制度は過酷だ。せめて入れ替え戦必須にすればいいのにと思うが、J3リーグを目指すクラブにとっては扉が開かれたということなのだろう。今年は2つのクラブが降格する。結果を出さなくてはならないのがプロスポーツの厳しさだ。ただ、結果に関わらず応援したいと思えるクラブがどれだけできるのか。それが大切なのだろう。

選挙ビジネス

 選挙がビジネスになっていることについては少なからぬ国民が危惧していると思う。兵庫県知事選挙で公職選挙法違反があったか否かが報じられているが、その候補者を後方支援した者が展開する選挙ビジネスは民主主義の盲点を突くものだ。今のところはその程度で済んでいるが、最後には民主主義を破壊するのではないか心配になる。

 そもそも、国民の代表を選ぶべき選挙はその制度上、一定の良識を有する者が運営するものと考えられてきた。ところが、最近は規則の範囲であれば何でもしていいという風潮がある。非常識というよりは反社会的と言える行動をして憚らない者が出ている。

 残念ながら彼らに一定の支持をし、投票する有権者がいる。彼らの活動源は実は税金であり、選挙というビジネスをしていることを分かっているのだろうか。

 いかなる政策を目指そうが個人の自由であるが、それを金儲けの道具にしはてはならない。表向きは政策を語りながら、実はしたたかに蓄財している者がいることを見逃すべきではない。