投稿者: Mitsuhiro

習慣を崩すな

 コロナウイルス感染防止のための措置が続く中で日常のルーティンが崩れています。楽な方に流れると引き戻すのは大変です。

 習慣的に物事をすることの大切さは多くの先賢の説くところです。習慣になっていれば身体がやってくれる。逆に習慣にないことを行うのにはかなりのエネルギーが必要です。私の場合は習慣から零れ落ちたものはなかなか復帰できません。悪習というものもあってこれは逆の意味で生活に害を及ぼします。

 職場に行けず、仕事ができず、同僚と仕事もできない。そんな中でかつて存在した生活の習慣が壊されてしまっています。どうすればいいのか。それを考えるべき時になっています。

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思い出

 過去の出来事が突然浮かび上がることがあります。恐らく何らかのきっかけがあるのでしょう。それが説明できるときもあるのですが、多くの場合なぜそれを思い出したのかわからないようです。

 こどもの頃はいろいろな予感もありました。これはこの先に何かが起きる予兆ではないかと。それが当たったことも当たらなかったこともありますが、なぜか当たった方を覚えているのです。まるで自分が未来から過去に戻って人生をやり直しているように感じたこともあります。

 それに比べれば最近の自分は未来も過去もあまり思い出せない。冷静になったといえばそれまでなのですが、自由で柔軟な発想ができなくなっているともいえるのかもしれません。思い出をよみがえらせることにも体力や気力がいると感じています。

何かが見えたら

 何かに見える一瞬を逃さないことが大事なのかもしれません。それは一瞬の出来事のことが多いようです。

 日常の光景の中に時としていつもと違った輝きを見せるものがあります。違和感という言葉で処理されてしまうのですが、この違和感こそが何かを見つける糸口になるのかもしれません。細かな変化を見逃さないことが大事です。

 ただ、厄介なことにそういったものには表現すべき言葉がない。言葉がないのでそれを保存することが難しいのです。近似値でもいい。そのものではなくその状況を記すだけでも新たな何かを見つけることに繋がるかもしれない。そんなことを考えています。

泰然自若

 コロナウイルスの終息がまったく予測できない現状では様々な不安が発生します。思いきったことが何もやれないという実情は不満にもたどり着きます。

 こういうときにリーダーの果たす役割は大きい。その指示によって多くの人が影響を受けます。もちろん具体的な施策が重要なのですが、実は身ぶりやふるまいなどのメッセージの周辺にある情報が与えるものは大きい。このことを考えていただきたい。

 自らが誰かと共同作業するときにも、同じことがいえます。影響力の多少はありますが、自分の周囲に与える影響をよく考えてふるまうべきなのです。泰然自若たることもときには必要です。

応援購買

 このままでは我が国の経済が立ち行かなると言うことはコロナウイルス騒動の中で可視化されています。外資に依存する国は非常事態に弱いだけではなく、自国の経済活動を少しずつしかも確実に弱体化しているのです。

 このような事態を少しでも遅らせるためには国内の経済活動を立て直す必要があります。国内生産をしている製品を優先的に購買する基調をつくる必要があります。影響力のある人にはぜひこのことを理解してほしい。どこに金が回っているのかを考えて欲しいのです。一般市民は少々値段が高くても日本製品を買うこと。不買運動はよくありません。必要なものは買うべきですが、そうでないものは生産者をみて買うべきです。

 金が国内で流通することになれば結果的に自分の懐にも届くものが増えるはずです。日本経済のことを考えた商売をしている企業を応援するものの買い方が求められています。

コジュケイ

 最近、自宅のすぐ近くでコジュケイが鳴くのが聞かれるようになりました。印象的なさえずりなのですぐに分かります。

 ちょっと来いと聞きなしされるコジュケイは里山などに現れる野鳥です。実は姿を見たことはありません。動画サイトで見るとウズラのような姿です。分類上ではキジ科の鳥なのだそうです。狩猟の対象として外来種が放鳥されたのが起源のようです。確かに富山では聞いたことがなかったです。

 キジも鳴かずばの古諺通りこの鳥も鳴きさえしなければ目立たない鳥なのです。鳴かずにはいられないのが生きているものの定めなのでしょう。

落書きを通して

 最近、下手くそなスケッチをすることが多くなりました。絵を描いてみて思うのは自分は対象をよく見てこなかったということです。

 絵を描く時には立体を平面化するという技術的な問題があります。それよりも障害になるのは既成概念だと感じています。対象を写しているのではなく、自らの思い込みを描いてしまうのです。みたとおりに描こうとすればたちまち違和感が生じて筆が止まってしまう。そして自らの常識に従って偽の姿を描いてしまうのです。

 私は見たとおりに描ける人が芸術家なのだと考えます。見たとおりに書き上げることができる柔軟さと我慢強さは並大抵の努力では得られない。たくさん描いてたくさん失敗する中で得られることなのだと感じるのです。

 落書きを通して自分が何を見ているのかを確認する作業を繰り返していきたいと考えています。

寒暖差

今日は昨日より10度以上気温が低下しています。ある意味本来の早春の陽気に戻ったと言うことができるでしょう。まもなく桜が開花してしまいそうな暖かさが続いていたので、ここでごく短い休符が入ったようです。

 ウイルス蔓延の話題はまだ収まりが付きませんが、恐らく世界的に踏ん切りをつけなくてはならないときがくるはずです。特効薬よりも免疫のシェアの方が先にあるのかもしれません。そこまでには多くの犠牲が出ることも考えられます。

 致死率が高くなる条件を揃えている人と、一般の人との区別をしなければなりません。それができれば無駄な社会的停滞を防ぐことも可能になるかもしれないのです。冷静な行動が求められています。

 毎日の温度に私たちの身体はなんとか適応することができます。社会状況の変化にも臨機応変の対応が欠かせません。

集まるな

 コロナウイルスの流行に伴い最近は様々なイベントが中止されています。楽しみにしていた観劇も主催者側から中止の告知がありました。

 いまの社会状況は集まるなというなんとも面白くないものです。集まらなければできないことが封じられるということは人間の可能性の大半を捨て去ることに等しいのです。インターネットの普及で仮想的なつながりはできたとしても、私たちはメディアの介在を無視できるほど鈍感ではありません。

 とはいえ、この状況をなんとかしなくてはならないことは確かです。人との新しい連繋のあり方を模索していくしかありません。それを考える機会が与えられているのだと考えてみたいと思います。

パンデミック

 新型肺炎の世界規模の流行を世界保健機構がパンデミックと判断したようです。定義の有無に関わらず、この病魔の影響力の大きさは日々拡大しています。

 ただ、罹患すれば直ちに死に至る病ではなく、感染しても無発症の人までいるというウイルスです。完全なる隔離が難しいところが大きな問題でもあります。

 それ以上に厄介なのはこの度の不安感が日常生活の全般を不活性なものにしていることです。人、モノ、カネなどの交流と交換で成り立っている日々が損なわれるとうまくいかないことが増えていくことになります。すでに破綻したり、そうなりつつある企業が生まれつつあると言われています。

 単に恐れるだけではなく、守るべきものは守りながらも、やらなくてはならないことは粛々とこなしていくことが求められています。また、互助の精神も思い出さなくてはならないでしょう。

 震災復興がすまないうちに次なる災禍が訪れたことは残念ですが、立ち向かうしかありません。