投稿者: Mitsuhiro

多文化融合

ラグビーワールドカップ日本大会が開幕しました。先の大会から日本チームは勝負ができるチームとなり、強豪を倒したことは話題になりました。今回も1勝をあげ、期待が高まっています。

ラグビーのナショナルチームは国籍によるものではなく、その国との縁の深い人たちで構成されています。だからカタカナの名前や、様々な肌の色の人たちが並びます。日本人チームではなく、日本代表となりたい人たちのチームなのです。

我が国は単一民族国家のように多くの人が考えています。島国で他国から隔絶されているため、このような感覚が共有されています。しかし、太古の時代からこの国の人々は幾多の融合を繰り返してきました。その程度は時代によって濃淡はあるものの、決して純粋培養してきたわけではないのです。

にもかかわらず、日本が独自のアイデンティティを保ち続けているのは、民族や文化の融合力の強さに起因するのでしょう。異質のものを完全に排除せず、むしろ積極的に関わることで独自の文化を創出してきたのです。その結果生まれたものが日本文化であるということもできます。

 ラグビーの日本代表の戦術が独自なものであるのならば、それを文化のメタファーと考えることができます。カタカナ選手がトライを決めたとき、日本文化は新たな局面を開くのです。

そろそろ更衣

 最近は朝晩に季節の変わり目を感じます。日中は夏の名残が感じられるものの、さすがに雲の様は秋のものです。

 今朝は半袖で出かけたことを少し後悔しています。かといって上着を着るまでもない陽気なのです。東京にしては湿度も下がり、過ごしやすい季節ともいえます。沖縄近海の台風の接近が心配ですが、季節の進行に伴う更衣が近いのは確かです。

 日々のルーティンを変えることには不安もありますが、楽しみもある。更衣はその一つと考えると、季節のある国土で暮らす恩恵を感じ取ることができます。

送電線

 先日の台風のもたらした被害は想像を超えるものであったらしく、いまだに5万弱の家庭に送電ができない状態が続いているとのことです。記録的な強風が鉄骨の入った電柱をなぎ倒し、送電線を寸断したことが原因です。その現状は報道で垣間見ることができます。ただ、首都東京の隣県である千葉県で、どうしてこれほど復旧に時間がかかっているのかについては少々疑問があります。

 被害が出ているのは森林に囲まれた地域が多いらしく、復旧工事が困難なのは分かりますが、あまりにも時間がかかりすぎています。救援部隊の指揮系統がうまくいっていないのではないか。当局者の危機意識が欠けているのではないかと疑います。

 またこういった地域の送電設備を地中を通すなどの工夫で防災の工夫をすることも今後の課題ではないでしょうか。素人考えなのですが、何かが足りないような気がしてならないのです。

人のため

 最近読んだ本によれば人が幸せを感じるのは自分の存在が誰かのためになっていると自認できることにあるといいます。人から認められるのではなく、自分でそう思えることが大切だというのです。

 自分のやることが誰かのためになるという実感がなかなか持ちにくくなっているのが現代社会です。自分のために何かをやるという考えは蔓延していて、誰かのためにする行動も、結局自分に還元される何かとして認識されて初めて意味を持つように考えられています。自己承認という欲望がその奥にあり、認めてもらうために何かをするということになります。

 競争社会にあって他人に先んじることを教育されてきた私たちにとって、無償の行動で人のために働くということは根本的な考え方の変革が必要になることです。災害被災地への救援活動のような場合ではそれが素直に実行されやすくなる。ただ、そのために自分の行動を他に誇り、何かに利用しようとした段階で変質が起こってしまいます。

 人のために行動し、人が喜ぶことを自らの喜びとするという体験を私たちはもっと積まなくてはならない。それがこの閉塞感漂う社会を変えていく原動力になるはずです。

教え方を磨く

 教科書の内容を伝えるだけでは教育とは言えないということは前から言われてきたことですが、入試などで問われることが教科書に基づいた知識の記憶の域にあることが教育の内容を変えることを阻害してきました。未解決の問題に粘り強く取り組み、何らかの答えを出す能力を伸ばすことがこれからの教育の要諦になります。

 では、その目的に合わせるためには何をすればよいのか。教える側は答えを教えるのではなく、答え方を教えることに中心をおかなくてはなりません。いわゆるアクティブラーニングを効果的に発動させるための方法論を蓄積する必要があるのです。生徒に任せれば学力は伸びるという人もいます。ある意味それは間違いではありませんが、一方で結果的に何も学ばないという結果も起きます。生徒にどのような学びをさせ、どのような手順でその成果を発表させるのかを明確に説明し、実践する能力が求められます。

 教え方を磨くために私たちは研修に出かけたり、関係の書籍を読んだりして参考にします。ただこの種の教育は今まで以上に教師個人の資質による要素が大きく、自分にあったことではないと実践が難しいということがあります。日々の実践の中で磨いていくしかない。そこには失敗もありますが、失敗しなければ成功もないのです。

気象リテラシー

 朝からまとまった雨が降っています。先日の台風は房総半島に大きな被害をもたらしました。昨今の低気圧は急速に発達するので予測が困難なようです。

 天気予報が難しいものであることは日々実感します。過去のデータからAIなどを活用して予報を組み立てるようになってから精度は高くなりましたが完全なものにはならないようです。天気予報をする省庁や企業などの団体がそれぞれに発表する内容が少しずつ異なることがこのことを示します。

 私たちはそれぞれの情報を比較対照するとともに、自らの経験則も研ぎ澄ます必要があります。気象リテラシーともいうべきものが必要なのです。

枠組みを変えると

アドラー心理学の入門書のようなものを読んで、人生は考え方次第でかなり変わったものになると実感しています。

 人生を過去と現在、そして未来へと続く因果関係でとらえると、1回の出来事がその後にいつまでも影響し続けることになります。未来はすでに方向づけられており気づいたときには修正不可能になっているということです。これらは昔からすり込まれたものの考え方です。

 しかし、これも考え方次第でまったく違ってきます。実は未来に何が起きるのかは誰にも分からず、過去の行為によって決定づけられているとはいえない。いまを生きることに集中すればとらわれたものの見方から解放されるというのです。

 真実がいかなるものか分かりませんが、少なくとも見方を変えると世界は別のものになる。考え方の枠組みの変化がもたらす影響は大きいということは分かります。哲学を学ぶ重要性はこんなところにあるのでしょう。

名月

 昨日は中秋の名月でした。雲間から覗いた月は控えめな輝きでした。

中秋の名月
中秋の名月 2019年9月13日

 数日前までは残暑が厳しく、季節が少し戻ったかのように感じましたが、昨日あたりからは朝の涼しさは秋を感じさせるものになっています。旧暦の8月15日は、あわただしく終わっていきました。

未熟礼賛

 新しい展開が必要なときには様々な試みがなされるものです。その段階では数々の失敗が積み重ねられ、偶然発見された新基軸が大きな展開をもたらすものです。

 成熟し、閉塞感が漂う現代社会では効率性や生産性ばかりが重視され、ひたすら過去の成功例をなぞることばかりが重視されます。しかし、すでにそのやり方が汎用品化し、やり甲斐といった精神性も色褪せてしまうと成果は上がらず疲弊していきます。

 大事なのは可能性の懐を広げて未熟な考えをつぶさないことなのです。組織としてももちろんですが、個人の生き方としても同じことがいえそうです。下手でもやり続け、何かを探り続けることに次の段階が見えてきます。

涼感

 ここ数日が季節外れの暑い毎日だったので、今朝はかなり涼しく感じます。9月も半ばなのですから当然なのですが、このところの気候は過去の常識を裏切ります。

 涼しくなると周囲を見る余裕も出て来るようです。雲の形は夏のそれとは明らかに違います。植物の色、咲いている花も違ってきている。蝉の音量も随分控えめになっています。季節の変化はあらゆる場面に起きているのです。

 季節の移ろいを感じながら育まれてきた私たちの文化を今一度思い浮かべる必要があります。浮ついた日常の迷いを解消するためにも、周囲の変化を実感する必要があります。