投稿者: Mitsuhiro

秋分

 秋分の日が敬老の日と連休になるなどかつては考えられないことであった。おかげで土曜が休みの人にとっては4連休となった。私は土曜勤務なので恩恵はなかったが。人はシルバーウイークともいうそうだ。

 気がつけばこれからは夜の長さの方が長くなる。つるべ落としで昼は短くなっていくというのだ。季節の変動を実感できることは私たちにとっては何かを見直すきっかけを与えてくれることになる。季節という永遠の循環をとおして自分の生の有限を見直すことになるのだ。

 そういえば彼岸の中日でもある。最近は死後の世界など信じなくなっている私だが、死後に何らかのストーリーを考えたくなる気持ちにはなる。そういうことを思うのも季節の変わり目のもたらすものなのであろうか。

敬老の日

 今日は敬老の日である。日本のみならずどの国でも年配者に対する敬意を示す気持ちはあるはずだ。日本の場合は高度高齢社会であり、かつて老人に分類されていた人でも今は立派な現役であることから、この言葉の意味もずいぶん変わったものになっている。

 源氏物語では光源氏は40歳を迎えたことから人生が暗転し、波乱にとんだ展開になる。かつては40歳は人生の転機であり老齢の始まりと認識されていたようだ。織田信長は幸若舞「敦盛」で人間50年と謡い、人生のスパンをそのくらいに見ていた。古希は70歳であるが、現在は日本人の平均寿命が女性で87.45歳、男も81・41歳(2019年)であり、100歳まで生きる人も稀ではない。

 老人を引退した世代と考えるのはどうも違うようだ。少なくともこの国においてはそんなに早く老け込むことはできない。健康年齢が終わるまでは労働人口に属する必要があるようだ。そのための生き方をしなくてはならない。

ネガティブキャンペーン

 アメリカ大統領選挙が近づいている。この時期になると残念なことがある。それは相手陣営に対するネガティブキャンペーンが始まることだ。

 明らかな非を指摘するのならいい。しかし、大半はいわゆる粗さがしであり、言わずもがなの内容も混じる。また誰が言ったのか分からないようにして言う巧妙な悪口雑言も混じる。それが民主主義の必要悪のように感じさせられてしまうのが実に残念だ。

 もちろん世の中は善意だけではできていない。どんな善人に見える人にも、見方によっては悪事に見えることはいくつも行っている経験はある。そのどちらかを誇張することは様々な問題がある。特にネガティブの方向に延長することには明らかな悪意がある。それがまかり通るのが、そしてあたかも正義であるかのように行われるのがアメリカ大統領選挙であるようだ。とても辛い事実である。

 もちろん民主主義を生きる私たちはもっとタフにならなくてはならない。巧言令色に包まれて本質を見失うことがないよう常に現実に向き合うことが必要だ。主人公が何者かではなく、自分であるためには清濁を併吞する必要があるのは事実だ。

 あっと言わせるような感情操作に騙されないこと。本当に必要なのは何かを常に忘れないことが大切だ。それは時々思い出さなくては忘れてしまう覚悟なのかもしれない。

視覚

 見た目で人は判断され、第一印象は大きな影響をもたらす。いろいろな機会にそのような内容の言説を耳にする。経験上もそのようなことは確かにある。

 だが、視覚は見事に騙されることもある。いわゆるフェイクの技術は日進月歩であり、厚化粧はリアルだけでなくバーチャルの世界でも容易にできるようになった。デジタル加工に一定の時間がかかっていた頃はまだ身構える余裕もできた。それがリアルタイムで行われるともう区別はつかなくなる。

 自分の皮膚の上にホログラムを貼るデジタル化粧を幻想してみた。スイッチを入れると自分の容姿が瞬時に変わるという夢だ。肌の状態だけではなく、部品のプロポーションまで変更可能だとすれば、もはや変装そのものである。世界に美男美女が溢れ、おかしなキャラクターが歩き回る。そんな妄想だ。

 そういう事態が一般化したあと、私たちの視覚に関する概念はどうなるのだろう。百聞は一見に如かずが通用しない時代はすぐそこに来ている。

目標設定

 生徒諸君には目標を決めてものごとに取り組むことを勧めることが多い。これには訳がある。ただ、目標がなければだめな訳ではない。

 何かの目標を具体的にイメージした方がやる気が出るのは多くの人にあてはまるだろう。何点とるかとか、平均以上とかいう形なき目標ではなく、数学を克服して経営者もしくは投資家になる。文章力を上げて何かを執筆する。なんでもいい。私にとってはその方が内的動機づけに結びつく。

 ただし、目標を持つのが義務とは思わない。人により場合はよっては目標にとらわれず、その場その時に関心があることに取り組んだ方がうまくいくこともある。なんでも目標達成型行動パターンにあてはめるのは実態にあっていない。

 本当に大切なのは主体的に行動することであり、目標設定はその手段の一つにすぎない。

びよん

 電車の放送で英語のアナウンスが聞かれるようになった。今年行われるはずであったオリンピックに向けての対策だったのだろう。なかには中国語や韓国語の放送も入れる場合もある。多くは録音された音声だが、マイクを使って英語でアナウンスする車掌も時々いる。

 こうした取り組みはぜひ続けてほしい。日本のホスピタリティを形として示すだけではなく、語学への関心を高める契機になるからだ。特に車掌が直接話す英語を聞いた若い世代は、学習意欲を向上させるはずである。

 かくいう私はまるでできない。時々乗る路線の英語放送でビヨンとしばしば言うのが印象的だったが、かなり最近まで聞き取れなかった。どうやらbeyondらしい。分かると結構使われていることが分かった。こういうきっかけにもなる。身近に外国語を話す人がいること。それが自分の利害に関わることは語学上達に欠かせない。

上着

 今日から上着、ネクタイを着用することにした。まだ少し暑いが気分転換のための手段である。

 上着を着ると便利なのは収納が増えることだ。ポケットにはいろいろなものが入る。だからいろいろ入れてしまう。これにはよくないこともある。どこに入れたかわからなくなって大捜索を繰り返してしまうのだ。これを避けるためにいちおう一歩どこに何を入れるのかはだいたい決めている。しかしそれでも確実にエントロピー増大の法則に支配されてしまうのだ。

 上着をつける生活は個人的には気にいっている。けじめのようなものが具現化できていい。ただこれになれるまでは今年も無駄な動きを繰り返すことになりそうだ。

9月折返し

 今日は15日であり、9月も半分終わったことになる。今朝はかなり涼しく感じる。秋は進んでいるのだ。

 自民党の総裁は大方の予想通りに決まった。金融緩和による日本経済の延命策をどこまで続けるのか。根本的改革に着手できるのか。少しだけ期待はしているが道は容易ではなさそうだ。

 季節が確実に進むように、社会のあり方も常に変動している。それを見通す眼力と、不屈の実行力とがいま求められていることなのだ。

漫画と老眼

 残念ながらかなり老眼が進んできたことを実感している。近視なので遠くを見るには眼鏡が要り、近くは邪魔になる。実に面倒な状況だ。しかし、気づいたこともある。ものの見方が少し変わったのだ。

 絵を描くときはラフな描写から始めるという。クロッキーというものもあった。ぼんやりと位置関係だけを捉えるものだ。その状態でも少なくとも描いた本人は画像が再現できる。そしてこの状態は眼鏡を外してみている私の視覚と似ている。

 つまり、はっきりとはわからないがそれと知れる程度の画像を私は見ていることになる。それを紙の上に描けばいいのだ。そう考えると絵が描けるようになる気がしている。老眼になって失うものは多いが、得られることもまだあるはずだ、

再び暑く

 再び暑さが戻って来た。ただ空は薄い雲が覆っている。またいつ降るかわからない。季節の変わり目なのだろう。

雲の多い東京の空