世が世なれば

 すでに引退した先輩が私を何かと褒めてくれたことばがある。君は世が世なれば大物になっていたはずだと。今風にいえば別の世界線に立てば君は成功者だとでも言うのだろうか。読者の皆さんもすでにお気づきだろうが、ありもしない「世」をどれだけ想定しても、現実世界では虚しいばかりだ。それをたびたび私に話してくれた先輩は、それが思いやりだとお考えだったのだろうか。

 私のこれまでの人生は多くの人に比べてもさほど起伏に富んだものとは言えない。子どものころに転校が多かったこと、最初の定職が地方都市であったこと、さまざまな失敗を積み重ねてきたこと。それらも多くの人に共通することであろう。いろいろな人生の節目で、人生の変節点を感じたこともある。そして別の岐路に行けば違う人生が待っていたはずと思うこともある。

 これも自分だけではなく、どんな人にもあることだ。それなのに、時々別の生き方をしていたらと考えてしまうことがある。今よりもっとましな人生があったのではないかと。先輩の「世が世なれば」という言い方はこうした妄想にやさしくカバーを付けてくれていたのかもしれない。別の世はない、いまの生き方を行くしかない。とにかく今を生きましょうと。私自身がその先輩と同年齢に近くなり、その思いやりに気づけるようになったのかもしれない。

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