自分ができることができない人に出会うと哀れだと考えてしまうことがある。こんなこともできないのだ。きっとなにか訳があるのだろうなどと。
しかしこれは他人事ではなく、自分もまたできないことが他人に露見したときに同じことを思われている可能性がある。このくらいのことができないのかと蔑まされるか、哀れみの対象になるかは実に相対的なものだ。
優位の基準も時代により地域により立場により異なる。方程式が解けないことや、読解力がないことは現今の価値観からすれば劣位に置かれて然るべきだろう。ただ、どうしたら植物を安定して育てられるか。効果的な魚釣りの方法を理解しているのかという別の基準を持ち出されたら、まったく違う結果になる。
人にはできることとできないことがあり、それらを補いあってこそ集団の力が発生する。なのに、ある一つの物差しを絶対化して、それ以外を無意味化するのは実生活と乖離しているというしかない。私たちは一人では生きられない生物であることを思い出すべきなのだろう。
