月: 2020年7月

万年筆の話

 このブログを海外から読んでくださっている方がいるらしい。ありがたいことである。日本語でしか書いていないので、日本語ができる方が読まれているのだろう。このブログは機械翻訳にかけても、意味が通じるような日本語で書きたいと考えている。

 今日は万年筆の話をしたい。日本製の万年筆はかなり優秀である。私が使っているのは安価なものばかりだがパイロット社のエラボーという名の万年筆は大変気に入っている。ペン先は特徴的で柔らかく、カリグラフィーにも使える。日本語は画数が多い漢字と曲線の多いひらがなが混在するため、万年筆にとっては要求される要素が多国語に比べて多い。それに見事にこたえている。日本製の万年筆を知らない人はぜひ試してほしい。きっと感動するはずだ。

 日常的に最も多く使っているのはパイロットのコクーンという安価な万年筆である。鉄製のペン先で高級万年筆のような滑りのよさはないが、それでもどんな筆圧でも対応してくれるような良さがある。日常的にはこれを多用している。

 外国製では学生時代はモンブランを使っていた。インクが乾きやすいのが難点であり、日本語を書くには硬めの漢字もした。でも所有欲、つまり持っていて自慢できる何かを持っている万年筆だった。ただ、いまはほとんど使うことがない。

 最近使っている万年筆は初心者向けのペリカーノジュニア―という学生用万年筆だ。これは家庭で気楽に使っている。私はコンバーター派なのだが、これだけはカートリッジを使っている。専用のカートリッジはかなり特徴的な長細いものである。この万年筆はおそらく小中学生に向けて作られているのだろう。持ち方を矯正するような形になっている。書き味はかなり大雑把である。それにインクの供給も日本製ほど繊細ではない。日本で使っているからかもしれない。ドイツの製品を悪く言うつもりはない。

 それでもこの子供用万年筆には十分な魅力がある。何というか自由になれる雰囲気がある。日本製にも似た種類があるが、それよりも非日常を味わる。これは全くの主観だ。インク供給が止まるたびにキャップをして振り回す。するとまたインクが出る。このわずらわしさも魅力だ。私はこのペリカーノジュニアを使ってエッセイを原稿用紙に書いている。太字で大きく書かれる文字は不断の縦横が交差する文字とは違う日本語を書いているような気になっていい。いつもとはちがう文章が書ける気がするのだ。

融合する力

 新しいものを作り出すことは容易ではありません。無から有を生み出すことを目指すよりは今あるものを組み合わせたり、取り合わせたりすることの方が結果的に新境地に達する可能性を高めます。

 もともと日本という国は地勢上、新発見や発明をするには不利なので、外来のものを自分流に組み直すことをしてきました。物資が限られている中で最大限の効果を発揮できるアレンジをして凌いできたのです。

 私たちはそのことを思い出す必要があります。外来のものをそのまま受け入れるだけではなく和風化するたくましさを取り戻すべきです。現在、世界的評価を受けているものの大半はこの日本アレンジの産物です。文化を融合させる能力を再評価すべきだと考えるのです。

フォント

 どの言語でも同じことが言えると思うのですが、特に日本語は文字の種類が多く多彩なため、それをどのように表記するのかが重要な要素となります。デジタル表記においては字体(フォント)の選択もメッセージの一部と言って構いません。

 最近、難読症の人にも読みやすいフォントが開発され、普及し始めています。字画が適度に太く交差する画が互いを打ち消さないように工夫されています。伝統的な風格は足りないのですが、確かに読みやすい。

 私は今年度から生徒諸君への配布物をこの書体にすることにしました。今までの明朝体やゴシック、教科書体よりも圧迫感や印刷時のかすれが少ない気がします。少し手書きにも似た書体をしばらくは愛用することになりそうです。

困った前線

 梅雨前線が日本列島に掛かったまま停滞し、各地で大雨を降らせています。熊本県の被害の大きさが連日報道されていますが、これと同じことが東日本でも発生しつつあります。

 日本の梅雨は6月中旬から7月中旬くらいの時期にあります。雨季というべきものを梅の実の熟する頃の雨ということで梅雨と呼んでいます。(諸説あります)。この時期は特に末期に大雨になりやすく毎年災害を発生させています。

 森林が多く急流河川が数多く流れる国土においては治水は積年の課題です。河川を竜に見立て神と祭る習俗が各地に見られるのも、御しがたい自然への脅威の表れでしょう。

 最近の異常な大雨が人為的な要因によるものならば、大きなしっぺ返しを受けていることになります。その怒りが少しでも収まってもらうことを祈ります。

マイバッグ

 レジ袋が有料化になって、いわゆるマイバッグを使うことが多くなりました。環境問題には幾分かの貢献をするようなのですが、問題もあるようです。

 マイバッグは何度も使うことを前提とするために、汚れもつきやすく、ウイルス感染の懸念もあって利用を制限する国や地域も出ています。過剰反応もありますが、マイバッグが細菌の温床になってしまうことはあり得ます。使用後にアルコール消毒するか曝涼する必要があります。

 生活のルーティンに加えなくてはならないことが増えると定着するまでは大変です。なにか印象的な方法で繰り返すしかありません。

人命救助

 災害が起きると救助に駆けつける自衛隊の皆様には敬服します。身の危険を省みず人命救助に向かうことは思うより容易ではありません。

 熊本県の球磨川流域で大規模な氾濫が発生しています。ヘリコプターで救助する様が動画サイトで公開されているのをみました。それは予想以上に危険な作業でした。その姿は感動を誘うものです。

 これから下さい水害多発の期間になります。救助隊を頼もしく思いながらも、できれば出動の機会がないことを祈るばかりです。

無言の抵抗

 言論の自由が奪われると人はどのように行動するのか。それを具象化しているのが香港からの報道です。香港国家安全維持法なる統制のための法律が施行された後、市民は自分の考えを自由に表明できなくなりました。そこで起きたのが無言の抵抗です。

 レノン・ウォールといわれる色とりどりの付箋紙を壁面に張り付ける行動は、一見するときれいな装飾のようですが、これは共産主義に対する強い嫌悪感を表明したものだといいます。ジョン・レノンが平和に関するメッセージを積極的に行ったのは有名ですが、そのなかにはかつての中国共産主義に対する痛烈な批判もありました。武力で人民を圧倒する手法についての反対していたのです。

 チェコの人々はレノンのこの考え方に共鳴し、平和のメッセージを壁面一杯に描きました。これがレノン・ウォールの起源の一つなのだとか。香港の人々はそれを踏まえ、弾圧されないために何も書かれていないカラフルな付箋を町の随所に貼っているのです。

 おそらく当局は別の口実をこしらえて色彩豊かな付箋紙を貼り付ける行為も弾圧することなるでしょう。中国の思想統制の方法は徹底的であり、それが今日の政権を支えているのですから。共産主義国家に香港のような地域があったことは中国にとっては利点だったはずです。自由主義圏との窓口として有効に使えるはずだったのです。それを閉じたことは国際社会からの一層の孤立と、それゆえの自己肥大化の道を選んだということなるのでしょう。

Photo by Arnie Chou on Pexels.com

土曜日

 雨の土曜日です。土曜が出勤日に戻ってから随分経ちますが、やはりなんとも特別な一日です。

 半日勤務ではなく、普通の勤務なのになぜか午後は特別な気がする。そんな一日です。

次の波

 昨日、東京都の新型コロナウイルス感染者数が3桁に達したことが発表されました。第2の波がきたのではないかという人もいます。そうなのでしょうか。

 日本は感染者の積極的な割り出しに関して消極的です。軽症者が多いこの病気に対しては今のところはこれが結果的に奏功しています。なにしろ感染者と分かってもほとんど打つ手がないのですから。

 自粛要請が終わったあと。気をつけているとはいえ、密なる状態は随所に見られます。人間の活動自体が群集の中で営まわれる以上、避けることはできない事実です。

 本当の波はこれからくるのかもしれません。変異したウイルスが社会活動を止めることがないように祈るばかりです。しかし、それもいずれ克服できると私は楽観視しています。

梅雨末期

 今朝は夏の陽射しが照りつけています。この陽気は一時的なもので、梅雨末期の危険な日々が始まります。

 梅雨の大雨による水害の大半は7月になってから起きていると記憶しています。河川の決壊など深刻な被害が多く、毎年犠牲者が出ています。累積すれば地震被害にはるかに甚大な深刻な問題です。

 今年はウイルス感染の脅威もあり、避難所に行っても安心できない状況にあります。なんとか水害が起きないようにと願うばかりです。