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親切と不寛容と

 日本人は親切だという意見と不寛容だという意見がある。これはどちらも正しく、また間違っている。人には他人に優しくなれるときとそうでないときがある。まして日本人などという人はいないのであり、人それぞれ考え方や行動様式が異なる。

 日本の文化に他人との寛容と不寛容を際立たせる要素があるとは言えるかもしれない。思いやりやおもてなしを美徳として繰り返し教えられるからそういうこともあるかもしれない。また、自分とは直接関係しない集団に対する不寛容さは黙認される。

 だから、親切かそうでないかの線引きは容易ではない、隣人愛のような風土はないが、仲間とみなせば助け合える気質が備わっているようだから、仲間意識を膨らましていくのが幸せへの近道だろう。

6月

 今日から6月が始まる。まだ終わらない緊急事態にはうんざりだが乗り越えていくしかない。

 少し先のことを考えることも大切だ。ワクチン接種が進み、いわゆる集団免疫が形成されたと認定された後でどのような社会変化が起きるだろうか。この騒ぎの前の状態に戻るとは思えない。ディスダンシングに慣れた人々はどういう行動を取るのだろう。そもそも都会に住み続ける意味はあるのかなど。

 グローバルな世界を意識したのとともに地域の力の大切さも実感している。金を出しても幸せは買えないときがあることを予感させた。

 これから変わるかもしれない社会を考える月始めになりそうだ。

共生

 あらためて共生という言葉の重みを感じる。支え合う社会を目指さなければこの国の行く末は危うい。

 自己責任、成果主義で押し通せるときはそれも成り立つ。上昇機運にある時代ではあらゆる逸話が英雄伝に結びつこうとする。停滞や衰退の局面に入ればそれも変わる。支え合う仕組みが必要になる。そういう舵取りをする人がいる。そういう考えを気づかせてくれるきっかけが必要だ。

 それはもしかしたら政治家のスピーチではないのかもしれない。もっと身近なところにある何かがいるのかもしれないのだ。

接種本格化

 ようやく新型コロナウイルスに対するワクチン接種が本格化したようだ。駅頭に接種会場への道案内が出るようになった。ただ、地域や年齢が限定されており、集団免疫形成の道のりは遠い。

 ワクチン接種による効果については今のところ有効性の方が報道されている。副作用もあるが1年以上の忍耐生活から抜け出したいという思いは多くの人を会場へ運ぶだろう。

 少し気になるのは摂取の資格に関する格差である。住居や年齢、発言力などによる差がつかないことを祈りたい。

電動

 通勤電車の動画広告でハーレーダビッドソンが電動のオートバイを発売するというニュースが出ていた。バイクのシンボル的なブランドが電動の世界に踏み出した影響は大きい。

 ガソリンエンジンで動く車は今後減産されていく。環境対策であることは明らかだ。ただ電動化すれば環境問題が解決するかのように考えるのは錯覚というものだ。発電にも、車体を作るのにも、道路を維持するのにも大量のエネルギー消費がなされることは変わりない。現在の技術では電動化した方が効率が下がるという試算もある。

 いずれにしても技術に依存しすぎてはならないようだ。移動しなくても幸福な日々が送れる社会を構想した方がいい。

密かに消えていく

 この時期だからかもしれないがテナントから消えていく店が最近目立っている。もともとあった景気停滞にコロナ禍という負担が加わり、インバウンドも期待できないとあれば小さな店ほど耐久力が及ばなくなるのかもしれない。

 密かに消えていく店の中には、個性的な品揃えや接客のうまい店員のいた店もあった。もう少し利用しておけばよかったのではなどと詮無きことを思う。私の消費だけでは何にもならなかったはずなのに。

 ただ思う。これからは単なる競争原理に任せていると割を食うのは自分たちだと。いい仕事をしている商店は日頃から支えていかなければなくなってしまう。残るのは可もなく不可もないものばかりになると。

延長

 緊急事態宣言は1ヶ月延長する可能性が高いと報じられている。効果はあるのだろうか。

 私は東京都と神奈川県の境に住んでいるためおかしなことに直面している。東京都に位置する飲食店は休業もしくはかなりの時間短縮、数km先の神奈川県ではもう少し長くやっている。人の行き来も多い。

 政治家としてできることはこれしかないのだろうか。あまりにもむなしい。ワクチン接種の普及に全力を注いでいただきたい。調達が難しいのは事実のようなので、どうしたら無駄なく多くの希望者に接種できるかの方策を綿密に考えてほしい。

 やれることをどのようやるのか。叡智を集めなくては。

大荒れ

 昨日は台風並みの強風と激しい雷雨、さらには初夏の強い日差しが繰り返される大荒れの一日であった。不安定な天気は外出を自粛させようとする政治家の方針には合っていたのかもしれない。

 ただ、最近の感染者数、死亡者数の伸びはかなり深刻なものになっており、おそらく連休後にすぐに取り下げるという判断はしにくい状況にある。さらに延長となれば産業界への影響は避けられないだろう。ワクチン接種の促進が解除の鍵となるのだろうがこれも進んでいない。素人のたわごとだが、薬業の基礎体力をつけてこなかった国策が裏目に出ているのではないか。

 大荒れの天気に東北の地震まであり、不安は高まるばかりだが何とか乗り切るしかない。逆境は進歩の土壌となる。それを逃すべきではない。

発展しない戦略

 いわゆるSDGsに関してはかなり周知されてきている。目標としては魅力的であり、多方面にわたる配慮は素晴らしい。ただ、やはり画餅の感は拭えない。

 最近読んだ本にも開発、発展を前提とした考え方の危険性を訴えていた。真の意味で持続可能性を考えるならばまず開発を止めなくてはならないのだろう。

 ただ、私たちは程度の差こそあれ何かを変えながら生きている。それを止めることは種の継続に関わる大問題だ。発展を限りなく緩やかにし、その都度現状を把握することが大事なのだろう。そんなことはできるのだろうか。大きな疑問符が脳裏を回転し続ける。

緊急事態

 何度目か分からなくなった緊急事態宣言が出た。今朝の通勤電車はいつもと変わりはない。恐らく多くの国民にこの宣言の意味は理解できていない。私もそうだ。

 外出を控えることが感染予防の必要条件であることは誰にでも理解できる。当初は歓楽街に行くことが感染の理由と言われ、感染者に無言の非難がなされた。しかし、現状はこれとは異なる。日常生活を営むだけでも感染することがあるし、はめを外した生活を送っても感染しない人もいる。

 エビデンスを出せというのは昨今の人のいう無理な正論の一つだ。出せるものと出せないものがある。ただ闇雲に何かをするなと言われても反発を招くばかりだ。分からないことは分からないといい、分かっていることは繰り返し説明するしかあるまい。

 我が国にはこういう面倒なことをする役回りがいない。現在進行形の社会状況を国民とともに考え、説明する信頼のおける人物を養成するべきだ。それがいないことが緊急事態だと言える。