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嵐の後

 台風一過の晴天、この季節にしては暑い一日だった。今日はここまでの鬱憤を晴らすのためなのか近隣のモールにも相当な人手があった。駐車場の待機列も長く続き数年前の日常が戻ったかのような錯覚にとらわれた。

 ウイルスワクチンの接種が続けられてきたため感染者数は今後現状傾向になるはずだ。ただ、これはマクロの話であり個々人のレベルでは危険な状態は継続されている。それが難しいところだ。戻ってきた人出の顔にはマスクがあることを忘れてはならない。

 嵐の後の喜びは今日のつかの間の風景だった。本当の嵐が去ったあと、人々はもっと笑えるのだろうか。その日は近いのだろうか。

陰謀論

 コロナウイルスが実在しない社会的陰謀であるとの考えがあるようだ。中には過激な活動をする人もいて世界的な社会問題になっている。陰謀かどうかは周囲の状況をみれば明らかなはずなのだが、運よく関係者に感染者が出ていない場合にはそう考えてしまうのは仕方がないのかもしれない。

 ただ、許しがたいのは陰謀論を宣伝している個人や団体である。社会不安を掻き立てるためにソーシャルメディアなどを活用して偽の情報を流し続けている。恐らく自らの売名行為であり、アクセスと連動した収益の手段として行っているものに違いない。自らはワクチン接種を済ませている可能性も否定できない。

 この種の問題が厄介なのは事態の全体像を掴めている人がほとんどいないということだろう。陰謀論は虚偽だと主張してもその根拠はと問われれば説明しつくすことは不可能だ。そこにまたつけこまれることになる。

 メディアリテラシーの重要性が改めて注目されるべきだろう。最後の判断は自身で行うとしても、メディアで伝えられた情報の真贋を判断する方法を私たちはさらに磨く必要がある。

非常停止装置

自動車の運転手の発作によって悲劇的な事故がまた起きてしまった。運転手は文字通りの急病であったようで、健康診断に異常はなかったということである。高齢社会の日本ではこのような事故が定期的に起きている。もちろん高齢だけが問題ではなく、人間は間違った判断をしてしまったり、今回のように突然自分の身体が制御できなくなることもある。

そういうことを踏まえた自動車の設計をしていく必要があるだろう。自動運転はこれを解決する方法になるかもしれないが、その段階に至る前にもできる事あるのではないだろうか。例えばアクセルの踏み方がおかしい場合は自動的に動力を切り、制動装置を作動するといったことはAIの技術などを応用して実現することはできそうである。未来をための開発もいいが、現実に起きていることを解決する技術の開発にも期待したい。

私などの素人はまず運転席に乗ったときに即座に健康状態を測定する機器を搭載すれば、リスク回避の一助になるかと思う。制動装置の開発は少し遅れるだろうから。こうした開発の資金は国税を投入にしても十分な見返りがあると考えるがどうだろう。

重陽

 新暦の9月9日である。旧暦の世界では重陽の節供であり、陽数の重なるありがたい日だ。

 一方で日本語で九は苦という音と同じであることから避けられることがある。部屋番号などで四(死)と九(苦)が忌避されるのは迷信の類によるものだが、現代でも気にする人は多い。

 9月は本来いい季節だと思う。暑さが収まり海山の幸も豊かになっていく。大きなイベントもなく、ゆったりと過ごせるはずだ。しかし、実際はそうでもないらしい。9月を自殺予防強化期間とする地域は多い。転勤や新学期などで環境が変わることが過度の緊張感を生み出すからであろうか。

 緊急事態宣言延長で9月はすべてコロナ対策に捧げることになった。9月が苦となるかはまだ分からない。

次の首相

 菅総理大臣が次回の自民党総裁選挙に出馬しないことが発表されてから、次の首相が誰になるのかが世の注目を浴びている。議院内閣制の我が国では、国民が直接首相を選ぶことはない。与党の意向で首長が決まる。

 立候補者の顔ぶれをみると、いまよりは期待できそうな気がしている。派閥の均衡より、できる人材を抜擢できるリーダーをみたい。野党のリーダーも他人事でなく、自民党を超える政策提言をしてほしい。

パラリンピックも終了

 いわゆるTOKYO2020大会が今日で終了した。メダルの数が増えたことは選手や競技関係者にとっては嬉しいことだろう。日本人にとっては非常に複雑な大会であった。すぐ近くで行われているのに見ることができない。海外からの選手団を歓迎することもできず、ウイルスの運び屋ではないかなどと勘繰る向きまである。折悪しく開催時期にコロナウイルス感染者が爆発的に増え、緊急事態宣言が出されたままであった。

 日本人は災害に慣れているのか、この状況になっても一部のデモがあっただけで、混乱はまったくない。海外でどのような報道が行わているのかわからないが、東京は極めて平穏である。人出は抑制されているが、それでも集まるところには集まっている。マスク姿の異様性ももうなれてしまっている。医療機関は大変な状態だと言うし、在宅待機を言い渡らされて後に死亡した事例なども紹介されているので事態は深刻なはずなのに、少なくも自分の近辺はほとんど変化がないのだ。

 このウイルスの罪なところはこのように一部の人に深刻な害を与え、それ以外は軽く済んでしまうということだろう。危機感を共有しにくいし、真剣な対応も取りにくい。オリンピックとパラリンピックもだから素直に受け取れない。現代人を分断しようとする悪魔の手段なのだろうか。国際大会は多様な人を結びつけるための手段であったはず。古代オリンピックは不戦の日としての役割もあったはずだ。私達はなにかとても大きな力に対しても勝利を収めなくてはならない事態に追い込まれている。

9月

 今日から9月だ。伝統的な暦ではすでに秋は始まっているが、この月を季節の変わり目と考える人は多い。今朝も昨日と比べるとかなり気温が落ち、何かが変わったことを感じさせる。

 日本では夏休みが終わり2学期が始まるのがこの月だ。最近は地域によって様々な形があるので一概には言えなくなっている。再始動の月であることは確かだ。

 集団生活の復活に緊張する子どもがいることがこの時期の年中行事的な出来事である。今年は少し様子が違う。コロナウイルスの感染が一向に収束に向かわないので、登校を辞退するという選択肢があるのだ。行きたくないからの理由が、個人的な問題にとどまらなくなっている。

 生徒、学生諸君には早く平常の学校生活を送っていただきたい。失われた何年などと後で言われないようにやれることはやっておこう。

好ましくないたとえ

 ワクチン接種が進む中で様々な問題が生じているようだ。異物混入という深刻な問題は特に注目される。それでもワクチン接種は進めなくてはならない。

 好ましくないたとえであるが、自分の身体を全く知らない赤の他人に任せているというのがいまの日本である。世界の大半の国が日本と同等なのだが、それも大きな問題だ。ワクチンのような最新技術ゆえ仕方ないともいえるだろう。ただ、それにしても外国製しか選択できないというのは問題が大きすぎる。

 グローバルな時代に国産にこだわるのはおかしいというのが少し前までの考え方の主流だった。コロナ禍はその間違いを教えてくれた。グローバルな繋がりは何らかの理由で途切れることがある。その時どうするのか。食料やエネルギー問題も含めて再考する必要がある。

近隣の見直し

 コロナ禍で遠出ができなくなった副作用もある。近隣の歴史や文化について考えるきつかけを与えられたことだ。

 身近な事柄について私たちは価値を見いだすことが難しい。日常に隣接することには特別な意味を感じにくいのだ。当たり前というバリアがすべてを見えなくしてしまう。

 どんな地域にもそれまでの歴史の積み重ねがあり、そこにはさまざまなドラマがある。そのことを思い出させるのは、今回の異常事態の僅かな功績の一つなのだろう。

横浜問題

 市長選はIR反対派が勝利した。結果としてIR誘致は遠のいたといえる。ただ、税収確保の問題は残る。カジノを使わない大人が楽しめ、インバウンドが期待できる観光施設を作るべきだと私は考える。横浜にはその資源がたくさんある。

 博物館や美術館、体験型施設などすでに横浜の臨港地区には様々なものがある。ただそれが統一感なく点在するため、相乗効果が出ていない。まず、既存の施設の連携から考え、収益を増やす仕組みを作るべきだ。

 やるべきことは色々ある。若い人たちの意見も聞くのがよい。