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食べ物の評価

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 レストランの評判は気になる。しかし、味の良し悪しの評価は個人によって大きく異なる。絶対的なものではないことを忘れてはならない。

 さまざまなレビューがネット上にはあふれている。だれでも評価できるようになった最近の方法は一見優れているかのように見えるが、実はかなり偏見に満ちている。本来個人差が大きい味覚に関する分野を統合して数値化することの意味が感じられない。どんなに多くの人がうまいと思うものでも、ある人には耐えられないものである可能性がある。その逆もある。

 よく行くレストランの評価を見てみたことがあるが、かなりの高評価で絶賛している人もいた。その反面、今まで味わったことがないほどまずいという評価もある。食味の評価はそういうものなのだ。私自身は良くも悪くもない無難な味だと思っている。ネットに書き込むのはそういうことが言いたいかなり特別な人なのである。特別な人の評価はそのほかの人のそれとは異なる。しかし数値にはその評価があたかも現実そのもののように提示されてしまう。

店の売り上げにも評価が影響するため、いわゆるサクラやアンチ的な書き込みをする人も多数いるという。ますます信用できない。そういうものだと思ってこの手の情報は使うべきだ。これは多くの人はわかっているはずなのに、だまされてしまう。思ったよりメディアリテラシーは身につくものではない。かくいう私もその一人であり、反省のために文字化してみた。

地元で支える

Nagasaki city

 コロナによる経済停滞がさまざま問題を起こしている。経済的な基盤の弱い企業が少しずつなくなっていき、街の様子が変わりつつある。そうでなくても低成長と人口減少、少子高齢化などの難問がある中で、地元の経済圏を支えることの意味が問われている。

 以前、長崎を訪問した時、地元の起業家から地域経済の危機をうかがったことがある。市内にある多くの企業は県外の支社であり、その収益の多くは県外に流出してしまう。お土産として買われていくものの中にも実は県外で生産されているものもあり、製造過程から地元経済圏への恩恵は少ない。最近は中国企業の進出もあって国外への流出も顕著だ。これはコロナウイルス流行前のことだったので、事情は変わっているかもしれないが本質的な問題は変わっていないだろう。

 その起業家は地元で作り、地元の店で売ることが大切だと繰り返していた。そのために小さな企業を立ち上げ、地元の人を雇い、観光客に本当の地元の商品を届けるのだと言っていた。大切な視点だと痛感した。もっと言えば地元の人でも欲しいと思うものを作らなくてはならない。

 チェーン店のものを買うのにすっかり慣れた私たちは、旅行先でも自分の街でも見慣れたブランドの店を選びがちだ。飲食店でいえばそこそこ安く、味の最低限の保証はあり、値段がいくらであるか見当がつく。そういう店を選びがちだ。しかし、これでは地元に落ちるカネは限定的なものになる。個人の商店が作るちょっとだけ高いがそこにしかないものを評価する考え方がいる。

 収入の増えない日本人にとって少しでも安い店を探すことは仕方がないことだ。しかし、安さを追求するあまり地元の経済を瘦せさせてしまったならば、様々な不利益は結果的にわが身に降りかかることになる。地元の社会は地元で支えるという考え方が見直されなくてはならない。

アジャイル

アジャイルとは素早さという意味があるらしい
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 アジャイル(agile)とは機を見て策を変える手法のようである。ソフトウェア開発で使われていたことばが経営学的にも援用されている。刻々と変わる価値観にいかに適応させていくかを重視する方法であって、不確実性の高い現在の社会状況にまさに適応するために生まれた。

 少し前ならばこういう考え方は低く見られがちだった。一貫したポリシーがないかのように見られがちだったのだ。あるいは弱者が生き残るための必死の策と考えられ、余裕のあるものはとるべきではないと考えらえていた感がある。

 アジャイルのような考え方が主流派に加わりつつあるのは、やはり予測不能の時代への対処を何とかしたいと思っているからだろう。特にわが国には前例踏襲の伝統があるといわれ、それが発展を阻害していると言われている。私はこれには反論がある。

 日本文化は中長期的には常にアジャイルで進んできている。伝統を守ると言いながら常に新しい要素に寛容であった。よく考えてみればこの日本語自体が時代とともに様々な外来のものを取り入れて変化しているではないか。

 昨今の時代変化はこれまでとは異なり速度や影響力が多大である。それに対応するには日本列島に住んできた人たちが土着的に身に着けてきた臨機応変性を思い出すのが一番だと思う。神道的なものから仏教や儒教といった宗教的なフレームを受け入れベースにしながら、次は資本主義や西洋科学の概念を模倣し文化に取り入れた。情報化社会となった現在も海外からさまざまな考え方や物品が来ているがこれを貪欲に取り入れ、和風化し、その都度取捨選択して形を変えていく。日本式アジャイルはここにある。

 完成品ばかりを理想としてそれにランクをつけるという考え方も実は歴史は浅い。なければ自分で作ればいい。そう考えてきた。そうして次々に自分の身の丈に合ったものに変えてきたこの国の歴史的土壌に自信を持っていいのではないか。日本文化が他国のそれと比較して特に優れているとは考えていないが、先祖たちが築き上げ、いまの日本人にも受け継がれていることは確かに尊いものがある。

マスクを外す

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 政府が条件付きでマスクの着用をしなくてもよいケースを発表している。十分に距離が確保され、会話が少ないという状況ではマスクをつけなくてもよいとするものだ。コロナの呪縛から逃れることができるのはうれしいが、まだ不安もある。もっと不安なのはウイルスより人間の方だ。

 マスク警察とか自粛警察と呼ばれた人々の行き過ぎた行動をしたことは記憶に新しい。集団ヒステリーの一種とも考えられる。マスクをしていない人に過度に注意をしたり、暴力的な言動をする人がいた。さらに県外ナンバーの車を傷つけるといったことも行われた。全く無意味な行動に走ってしまうのが人間というものである。

 今回は政府が外してもいいという見解である。ここでまた曖昧な状況が起こる。価値観の異なる人たちが自分の基準で行動すると過剰反応をする人が出てくるのだろう。自分の常識は他人の非常識、その逆もまた真ということが分からない。同調性の強い国民性である日本人にはこうした考え方が理解されにくい。

 集団で生きるしかない人間の定めから起きる問題である。

メンテナンス

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 印象的な物言いで恐縮だが、最近メンテナンス不足による小さな事故が起きる可能性が増えているように思う。一度完成させたものは常に管理しなくてはならない。そのためには技術的な問題もあるが、第一は人の目である。それが人材不足や意識の変化によっておろそかになっている気がする。

 過去に作られたインフラは更新の時期を迎えているものがある。景気が低迷し、メンテナンス作業に手が回らなくなったものは放置されているものがあるようにしてならない。熟練の職人たちが大量定年の時期を迎え、経験が生かされなくなっているのも原因のようだ。その分を機械制御で管理すると言われているが、コンピュータには与えられた指示以上の行動はできない。愚直なほどの意識がなければ予測不能の事態に備えることは難しい。

システムの保守には注意を払うべきであるし、そこに従事する人にはもっと敬意を持つべきだと考える。効率主義のなかでひそかに切り捨てられるものがこの部署であるとしたら、突然の崩壊に備えることはできない。

都合のいい世界

その機械は現実からの目隠し?
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 メタバースという仮想世界に対してアメリカのメタなどの会社が覇権を握ろうと躍起になっているらしい。とてつもないビジネスチャンスがあるらしいのだ。現実では実現できないさまざまな願望を疑似的に満たしてくれるもう一つの世界を演出してくれるというのだ。

 仮想現実というのはゲームの世界だけかと思っていた。しかし、このメタバースの世界はそのなかで商売を行ったり、教育を受けたりすることができるらしい。疑似的な交友関係や結婚も可能になるかもしれないとか。しかもそれは現実社会では得られない自分にとって都合のいい条件で満たされているというのだ。

 もう一つの世界という言い方は多分間違っている。その世界はたぶん一つではない。個々人が思い描く理想をそれらしく見せてくれるものであるから、人それぞれにメタバースがあることになる。他人との接点を持とうとすると、折り合いをつけなくてはならなくなる。すると共有メタバースのようなまた新たな世界が用意されるのかもしれない。

 こうした都合のいい世界を演出するのは技術力を持った巨大企業だ。前述のメタもそうだが、いわゆるGAFAM(社名変更でこういえなくなったが)などのハイテク産業が新たな世界を構築して商業世界を飲み込もうとしている。日本はコンテンツの面で優位にあるが、それもいつまで続くか分からない。ポケモンもドラゴンボールもアメリカの漫画と思っている人が少なからずいる。私たちはメタバースという新世界を楽しむと言いながら、実は企業にとって都合のいい世界を間借りして現実逃避をしているのに過ぎない。

 メタバースに商機があるのは事実だ。チャレンジする価値はある。ただ、現実社会を捨ててまで没入するべきではない。現実を忘れて仮想世界でいくら活躍しても、それは夢物語に過ぎないのだ。このように考えると、メタバースは宗教にも文学にも見えてくる。現実社会を豊かにする材料としてあるのならば存在価値はあるのかもしれない。

Japan is worth visiting

Tokyo Skytree is waiting for you.
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 Although the coronavirus has caused a period of self-restraint, the threat is gradually subsiding. Meanwhile, the yen remains at record lows, a difficult situation for resource-poor Japan.
 But for foreign travelers, it is an opportune time to visit Japan. They should be able to take advantage of the yen’s depreciation and enjoy a bargain trip. Japan has always been deflationary, and prices are low. The low cost of food and drink will surely surprise you. Japanese citizens do not benefit so much from the low salaries. If you are a traveler from overseas, you will be happy to know that you can enjoy your trip.
 In order to enter Japan, you must have a positive test certificate from your home country within three days prior to departure, and you must also be tested and positive at the time of entry. In the unlikely event that you test negative at the airport in Japan, you will be required to stay in accommodation for at least three days. If a person who visits Russia, South Korea, Egypt, Pakistan, Bulgaria, South Africa, or Laos within 14 days of entering Japan tests negative, he or she will be placed in a designated lodging facility and will be required to wait until he or she tests positive. These are government rules for quarantine. A bit cumbersome. If you can put up with this, your trip to Japan will be an enjoyable one.
 The expensive services for foreigners should, of course, satisfy you. However, if you want to know what Japan is really like, please take the plunge and talk to a Japanese person. They will surely introduce you to better places and stores. Japanese people are not good at foreign languages, but they can manage to communicate in English. And if you look really puzzled and ask, they will introduce you to a Japanese person who can speak English. Many Japanese are friendly to travelers.

Translated with http://www.DeepL.com/Translator (free version)

かなり、英語になっていると思う。機械翻訳もなかなか。

昭和は遠く

昭和は歴史の中に

 昭和64年1月7日に昭和が終わった。1989年であった。今年はそれから33年も経過している。その日に生まれた人はすでに若者とは呼ばれない年齢層だ。

 私にとって昭和の終わりはまだ学生であった。いろいろなことがこれから始まるという予感はあったが何も予測はできなかった。そもそも自分が生まれた元号と同じ時代に戦争があり、敗戦して復興し先進国と自称している国であることが理解できていなかった。どの時代の誰でも同じだが、自分の人生を俯瞰することは難しい。

 小渕官房長官の掲げた「平成」の元号に違和感を感じ、いかなる時代になるかと思い始めたころ、日本の経済的な停滞が本格化した。この平成年間にはアメリカの同時多発テロ、日本国内での阪神淡路大地震、東日本大震災、オウム真理教信者によるさまざまな社会不安など様々なことが次々に発生したため、その実質的な期間以上に長く感じる。その分昭和が遠ざかってしまったともいえる。

 明治は遠くなったと草田男は嘆いたが、その気持ちはいまの私の世代に共有されているのではないか。

英語アナウンス

 オリンピック前後にはよく聞かれた車掌による英語アナウンスを聞く機会が減っている。相変わらずの世界情勢で外国人旅行客は減っているままだが、ぜひ復活してほしい。

 予め録音された英語アナウンスは以前から使われている。最近は中国語や韓国語も流すことも稀にある。ただ、大半は定型文であり、状況に応じた情報は用意がないらしい。

 私の利用路線では電車が接近しているから速度を落とすとか、乗客のトラブルのためにしばらく停車するといった情報まで英語でアナウンスしていた女性車掌がいた。こうした不慮の事態こそ知りたいことなのだから大切なサービスだと感心した。

 車掌が英語アナウンスができるということはとても大事だ。ぜひ復活していただきたい。車掌という仕事のステータスが上がるだけではない。学生諸君に外国語習得の必要性を悟らせるための最善の策にもなる。語学レベルで給料アップをするなどいかがだろう。

減少

人口減少は避けられない

 人口減少が顕著になっているという。東京都も減少が見られた。コロナ禍による首都圏離脱の影響もあるが、構造的な要素の方が主因だ。

 人口減少はこのあとかなり長く続く。子育て支援の政策は一向に効果を発揮しない。子どもは増えず、年寄りは増え、天寿は必ず来る。私も人生の後半にいるのでできることは限られている。

 人口減少は様々な弊害があるという。これまでの国内需要でなんとかやっていくという方法は成り立たない。国際社会でうまく立ち回る必要が出てくる。その準備は大丈夫だろうか。

 ダウンサイジングは難しい。何かを諦めなくてはならなくなる。やめなくてはならないことが出てくると、ついいつも使わないものを捨ててしまう。しかし、使わないと思っていても実は現在の生活を支えているものであったりする。森林の伐採をイメージしよう。森には滅多に行かないがが森をなくすと致命的な問題が出てくる。

 人口減少、少子高齢化は未曾有の事態だ。これをどう乗り切るのか。世界が注目している。