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ノートに

 ノートといっても紙面のもののことをいう。そのノートにいろいろな情報なり、思い付きを書いたものがたくさん並んでいるというのは私の思う理想であった。知識なり経験なりが物理的な形となって蓄積していくというイメージがあるからだ。

 しかし、現在は書くためのノートがたくさんある割には埋められていない。何もたまっていないのだ。それはとても残念であるし、なぜか悔しくもある。このブログのようにデジタル上に書き残したものを集めるとおそらくそれなりの分量にはなる。私の場合は質より量だ。内容より継続が目標になっている。

 それでも大学ノートやらコクヨの野帳やらに何かを書き続けたいという思いは常に持っていて鞄の中には何冊ものノートがある。それらは書かれることなく、自宅と職場やその他の場所の間を移動し続けている。いつかはそれが活用されることを期待しているのだが。

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再発

 緊急事態宣言が解けてから、感染者数が増える傾向にあるという。人の動きが活発になればリスクは増えるのは当然だ。

 医療機関などで病床が逼迫する状況は各地で見られるという。ワクチン接種に係わる医師や看護師も必要だ。彼らに過度な負担をかけないように予防には努める必要がある。

 同時に自粛だけが予防法出ないことを知るべきだろう。経済活動が止まれば社会システムへの影響が出る。それが不安を引き出すことになれば別の深刻な問題が出来することになる。止めずに守る。それが現時点での最善策だ。

レンタル

 クルマを久しぶりにレンタルすることを検討している。今までは所有するのが当たり前だったがもしかしたら使うときにだけ借りる方がいいのかもしれないと考えている。

 レンタルとかシェアとかサブスクリプションとか物の所有の方法が変わりつつある。何が最もいい方法なのかをその都度考えることが必要なようだ。

 ビデオレンタルは次第に実店舗さえ不要になりつつある。クルマも営業所なしで借りられるサービスが登場している。次は何が現れるのだろう。そして、それにどう対処すべきなのか。

コーヒー

 毎日嗜んでいる嗜好品であるコーヒーはどうして飽きることがないのか。様々な薬効も指摘されているが、おそらく良くないこともあるに違いない。期待しているのはそういうことではない。

 人によって向き合い方は違うはずだ。私の場合は精神安定のための時間を確保するための道具なのだと考えている。だからすぐに飲み干せるアイスや砂糖を入れて口当たりを良くしたものは私の目的からは外れる。冷めるまで時間がかかる苦い飲み物でなければならない。

 先日、コーヒーを飲む間は異世界の人と会えるという小説を読んだ。そこまではできないとしてもこの飲み物は一種の現実逃避の機会を与えてくれている。

楽しみ不足

 いまの時勢では仕方がないのかもしれない。ただ、心の潤いという面において著しく低下しているのは紛れもない事実だ。

 文化的な催しが制限され、中止されるものも多数ある現状では、精神的な充実感を得る機会が少ない。もちろん、自ら創作し活動することはできる。しかし、そこにはおのずと限界がある。他者から受ける感動がこの方面ではもっとも大切な要素だと考える。しかし、それができない。

 非接触、遠距離の文化交流の試みはいくつもある。ただ、そこから得られるものは限定的だ。その枠で何ができるのかをいま一度考え直すべきだ。

月額定額

 いわゆるサブスクリプションに相当するサービスを無印良品が家具の分野で始めるという。商品を買い取るのではなく、定額料金を払って借りる方法である。消費者側からすれば低額で商品を導入できることや、一定期間の終了後に処分する費用を節約することができる。また企業側からすれば顧客とのつながりを保つことができることや、安定収入を得られるというメリットがある。

 実は福祉の分野などでは家具の定額レンタルは存在している。介護ベッドなどのレンタルは一般的だ。それが一般家財にも及ぶと生活の体系は変化していく可能性がある。かつては花嫁道具として箪笥や長持ちなどが使われ、生涯に渡って使い続ける財産として家具は考えられていた。それが借りたい時に定額で借りることができれば、モノへの執着はなくならざるを得ない。自分のものであっても所有権はないという感覚は当初は馴染みにくいだろう。

 しかし、現代人の多くは住居さえも定借制であり、サブスクはもはや完全に市民権を得ている。モノに執着し、モノとの関係性で築き上げて来た日本の文化が大きな転換点にあることは確かであろう。不景気で購買力が低下している日本人にとってこのビジネススタイルは案外早く定着していくかもしれない。

習慣化

 成功の秘訣は習慣化にあるというのはよく聞く。確かに仕事でも勉強でも金の使い方でも習慣化するとうまくいくことが多いようだ。もちろん逆もまた然り。

 大切なのは初速度だ。動機がないと長続きしない。私の場合、こんなことを書きながらも実はあまり続けられるものが少ない。このブログを除いて。そうだこのブログのように質を求め過ぎなければいい。とりあえず何でもいいから続けること、それがのちに何か大きなことに結びつく可能性がある。

 習慣化するためにどうすればいいのか。その一つが他人に宣言して、約束してしまうことなのかもしれない。私がブログを続けられているのも毎日誰かが、しかも日本以外の国(だと思うが)の方がこの文章を読んでくださっていることをWordPressのシステムが報告してくれているからだ。結局誰かに見られていないとできないのか。しかし、互いに助け合っていると考えればそれもいいのではないか。

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仕事納め

 波乱の2020年は今日が仕事納めだ。もっとも職場に行く年内最終日が今日というだけでこれからも「内職」は続く。私の場合、職住区分がまったくできておらず、せっかくのICTが生かされていない。

 私のデジタルトランスフォーメーションは人よりゆっくり行われる。しばらくは試行錯誤だ。エラを脚に変えた生物の一部が再び海に戻ったように、水陸をさまようことになるのだろう。大海は居心地よく、大陸に敵は多い。

 仕事納めの今日、これからのことを少し考えてみたい。

霜柱

 通勤電車が通過する河川敷の風景はこの辺りでは珍しい霜柱である。地表の水分が表層の地面を押し上げるもので、様々な条件が重ならないと発生しない。

 私の生活圏には露面が少なく、アスファルトで覆われている。霜柱は立ちようがない。たとえわずかな空間にできていたとしてもそれに気づく余裕が失われているのだ。

 子供のころは空地にできた霜柱をわざわざ壊してまわった。その感触と音が子どもにとっては魅力だったのだろう。この季節になるとそれを思いだす。

帰省

 政府が旅行代金等の補助金を年末年始は対象外とした。その結果、帰省を取り消す人もいるようだ。感染予防のためならば致し方ない。ただ、なんとも残念なことだ。

 今年は里帰りを控えた人が多い。特に高齢者のいる家庭に行くことがはばかられている。断絶の進む家族の絆を取り戻す貴重な機会も奪われていることになる。

 ウイルスのもたらした害は数々あるが離れた家族の距離をさらに引き離していることは大きな弊害の一つだろう。