どんなに下手でも極めることが大事なのだろう。私たちはすぐに他人と比べてせっかく始めたことでも自ら才能を見限ってしまいがちだ。でも本人が続けることに楽しみを感じている限りは続けるべきなのだろう。
すぐに上達する天才もいるが、それよりも下手でも楽しくやれる方が幸せな気がする。極めることが大事だ。
日々の思いを言葉にして
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近々の公園を散歩していたら、茄子のような紫色の花と葉をもった植物が群生しているのを見つけた。よく見ると白い花もある。花自体はそれなりに美しい。実はかなり前からこの植物のことが気になっていた。どうして茄子がこんなにもたくさん植えてあるのだろうかと。こぼれ咲きにしては多すぎる。
そこで例のGoogleレンズで検索をかけたところこれがワルナスビということを知った。北米原産の外来種で全国各地に分布しているのだという。ワルナスビは悪茄子という意味である。その悪とはこの植物に含まれる毒性のことを意味している。葉も実も食用にならないどころか中毒死の可能性すらあるという。ジャガイモの芽にも含まれるソラニンという物質がそれを引き起こすらしい。プチトマトにも似た実をつけるが口にしてはならない。
さらに悪であることに、ナス科の植物であるためこれがはびこると本当のナスやジャガイモなどに連作障害をもたらすという。またニジュウヤホシテントウなどの害虫を呼び寄せることも問題になる。この意味でも食えない植物なのだ。4、5年前から私はこの植物を認知してたものの、実はもっと昔からあった。1906年に牧野富太郎が発見して命名していたという。20世紀の終わりごろには問題化されており、すでに積年の悩みであったということになる。鍬や耕運機ですきこんでも分断した根からまた発芽するというたくましさもこの植物の厄介なところだ。農薬なども効きにくく、根まで影響力のある除草剤をまく必要があるそうだ。
身近な雑草にもさまさざまな物語があり、それがまたいろいろな影響を他に及ぼしている。ワルナスビの名を知ってしまった以上、この花を見かけると気になって仕方がないことになる。
マルチタスクが苦手な私は職場のなかで少し隔絶した場所に活路を求めている。次々に起きる事態に対応できないから、しばらく別の場所に身を置くことでなんとかしようというわけである。
少し前ならば協調性のない行動として自ら取らない選択肢であった。しかし、恐らく脳の機能的低下もあって、これまで以上に中断や作業停止に弱くなっている。一度やめたものを復帰するのに能力がかかるのである。
だから、思い切って自席を離れて仕事することにした。言い訳の仕方もいろいろ考えた。だが、一度やってしまうとあいつはそういう人なのだ認識されて特に断りも要らない。そこでは作業に使うものだけを持っていき、それ以外はしないようにしている。
これでもう少し仕事ができそうだ。なりふりをかまってはいられない。
Onceという映画を見たことがある。ダブリンの街角でという副題をつけて日本では公開されている映画だ。ストリートミュージシャンと移民系女性のラブストーリーだ。派手なアクションも、センセーショナルなシーンもない。ある意味純粋な恋の物語だ。
映画版でミュージシャンの男が弾いているアコースティックギターのヘッドを見るとTakamineの文字がある。日本製ギターなのだ。しかもYAMAHAではなく。映画で見ればお分かりの通り、そのギターは大きな穴が開いており、損傷がはげしい。そのオンボロギターでラブストーリーが展開するところにこの映画の魅力がある。
私もタカミネギターを持っており、もっとも大切にしている。オンボロになるまで弾き込んでいないのは残念だが。そろそろ出番をあたえてもいい。まだ指が動くか心配だ。

今日も高温多湿の日、小雨も時折落ちている。体調が少しずつ崩れているのを気にしている。やるしかないが、結構大変だ。
残念ながら短期記憶の低下は著しい。何をしに来たのか思い出せないということがしばしばある。コンピューターのウインドウを閉じると、何をやっていたのか分からなくなる。これは一種の老化なのだろう。
同僚の中にも同じ悩みを持つ者がいる。しかも、私より大分若いのにも関わらずだ。短期記憶は、かなり早い時期にピークを迎えるらしい。
そこで私は常に小型ノートを持ち歩きメモ代わりにしている。これで一応補助になる。ところが困ったことにこのメモをしょっちゅうなくす。だから、私の鞄や机上はメモ帳だらけだ。でもないよりずっといい。
大事なのは何でもメモすることだ。単語でも図でもいい。すぐに採る。私の頭のスキルを補うのは数百円のメモ帳とペンなのだ。ブログ記事のヒントも大抵これである。
脳の構造として何かを学ぶときに自分にとって意味のある情報を優先するということが分かっている。逆に言うと無意味だと思われるものはなかなか習得できない。これは年齢を重ねるほど顕著な傾向になるそうだ。
私がいろいろなことを学ぼうと思ってもそれがなかなか身につかないのは結局、自分にとって本当に必要だとは思っていないからなのだ。なくてもいいことは身につかない。少なくともそういう価値観をもってしまった瞬間から、習得の順位は下がってしまうのだ。だから、逆に価値を上げることさえできれば学習効率は上がることなるはずだ。
学校の勉強がうまくいかないという人もテストの前になると少しはやろうとする。学習の成果が評価されると思えばやる気になるからだ。しかし、それがなければ何もできない。できなければ効果が上がらない。普段の学習も何かに結びつけたほうがいいということになる。そうすることで脳が優先順位を上げてくれるはずだ。