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冬越しの読書

 マフラーを着けるとやはり暖かい。首は寒さを感じやすいらしく、ここを管理することがだいじなようだ。そういえば夏はここを冷やした。

 急に寒くなり、しかもしばらく低温傾向が続くという。少しずつ体調が悪く、疲労度が増えている。こういうときは心にもマフラーがいる。現実から少しだけ目を逸らして全く関係ない本を読んでみることにしている。先日は海賊の話、その前は天気予報の話、戦国時代の皇室のことを書いた本といった具合に。

 何かのためと思わずに読む本はなぜか面白い。そして、内容が理解できるのは不思議なことである。

ボンボンシール流行の意味

 よく使う駅の改札の外に設けられたワゴン販売に珍しく長い列ができていた。大抵はお菓子や、革細工などの小物などが売られていて、足を止める人はいて、そこそこ売れることもあるようだが、列ができることはない。それが少なくとも20名以上の列だったのである。

 何だろうと思って見に行くと意外なものだった。シールだったのである。キャラクターの形に作られたシール集で、立体感がある。調べてみたらボンボンシールというそうだ。諸説あるが平成年間に主に女児の間で流行していたシール収集がここにきて復活したらしい。でも、昭和にも似たようなものがあった。転写シールというフィルム上のシールなどはあちこちに貼って怒られたものだ。

 シールのような安価でかわいらしいものが流行するのはなぜなのだろうか。一つにはそれを買い与える親世代の精神が影響している。昔のことを懐かしむ気持ちだ。平成レトロと言われているようだ。昭和世代にとっては複雑な気持ちになる言葉ではあるが。さらには幼いころに回帰したいという一種の退行心理もあるのかもしれない。ストレスが多く、常に何かに追われているような毎日、また縮小する国家経済、近いうちに起きる天災などのニュースをジャブのように受けている私たちが、心理学でいう防衛本能を子どもの遊びのなかで実行している可能性もある。

 現役の子どもたちにとっては簡単にできるデコレーションに創作活動を始めるきっかけを使ってほしい。そして私たちも、デザインすれば日常品が違った輝きをもつということをシールの貼付から思い出す契機となるのかもしれない。私の子ども時代のようにあちこちに貼りつけて怒られることがないようにしなくてはならないけれども。

 

低温予報

 予報によれば関東は21日くらいから著しい低温傾向になるという。日本海側ではその前日くらいから雪になり、所によってはかなりの積雪もあるかもしれないという。この時期にはよくあることだが、問題はその程度である。生活に支障が起きるほどの天災にならないことを祈る。

 北陸に住んでいた頃は、この時期は結構スリリングだった。道路には融雪装置が付いているので、よほどのことがない限り大丈夫なのだが、問題は車庫から公道までのアプローチである。距離は大してないのだが、降り出すと除雪してもすぐにまた雪が塞いでしまう。私のような雪国ネイティブでない者にとって、手の抜きどころが分からず、無駄な力仕事が重なって疲労してしまうのである。

 関東に転居してこの苦労はなくなったが、代わりに異常な乾燥と他人からのウイルス感染の可能性の多さに常に曝されている。どうも体力が逓減しつつある現状において、少しの油断もできない。冬は嫌いな季節ではないが、緊張感を要求されることにおいては他季とは違う。

2026始まる

 2026年はどんな年になるのだろう。私にとってはまもなく人生の節目を迎えることになる。最後の仕上げの一年だ。といっても、やれることは限られているし、それをとにかくやってみるしかない。毎年、年始には大風呂敷を広げ、勝手なことを抱負として述べることにしている。

 今年はこれまでにやってこなかったことを始めたい。その多くは地味で詰まらないことかもしれない。それでもいい。何もしないよりずっといい。恐らく始めた分だけ、いやそれ以上に失敗があるはずだ。その屈辱や挫折も含めて人生に彩りを加えてみよう。

 その一端はブログにも書いてみよう。恥をかき、かいたものを書く。そんな1年にできたらいい。

丙午伝説

 来年は丙午(ひのえうま)にあたる。この年に生まれた女性は気性が激しく家庭を亡ぼすという迷信があり、直前の1906年、1966年は出生率が顕著に減少している。ただこの迷信の根拠が江戸時代に起きた八百屋お七の放火事件にあるというからかなりあやしい。お七は火事で自宅が火災になったとき、非難した場所で知り合った男と恋に落ち、その後別れたが火事になればまた会えると思って自宅に放火したという。ぼやで済んだがこの罪で火あぶりの刑に処せられたという。そのお七が丙午の生まれだというのだ。お七を取り上げた井原西鶴の『好色五人女』などによればお七は丙午生まれではない。そもそもこの浮世草子自体が創作であり、史実ではないのだがどうもこの女性の人生が江戸の人々には同情を惹いたようで何度も創作化され、そのなかで丙午誕生説ができたらしい。

 この根も葉もない迷信がなぜか丙午生まれの女性を差別する伝統を作ってしまった。1966年も人口ピラミッドをみると明らかに不自然にへこんでいる。この生まれの人たちはどうかと言えば実は偏見に悩んでいるというよりは恩恵を受けていることの方が多いようだ。同級生が少ないことは入学試験や入社試験で有利に働くということである。来年はこの迷信による出産抑制は少ないといわれている。そもそも何もなくても人口減少が激しいこの国にとって、毎年が丙午のような迷信にとらわれているといっていいのかもしれない。

 国家を維持するための人口が不足しつつあるというのが専門家の意見である。丙午の迷信を気にする若い世代は少ないと考えるが、それでも多少の影響はあるのかもしれない。同級生が少ないということはデメリットもあるが、どちらかと言えばメリットの方が大きいような気がする。迷信にとらわれず、むしろそれを利用するようなたくましさが求められている気がする。

今年痛感した課題 インフラ維持

 今年起きたさまざまなニュースの中でも衝撃的だったのは埼玉県八潮市でおきた道路陥没事故だった。埋設された下水管が地下で発生した腐食ガスの影響で崩壊したのが原因ではないかと言われている。この事故の恐ろしいのはこうしたインフラ老朽化による突然の事故がこれからもどこでも起こりうるということである。

 経済成長期に急速に進展したインフラの中には耐用年数を終わろうとしているものがかなりあるらしい。それをメンテナンスするための予算、人材が減少し、その技能も維持できなくなっている。解決のためには、まずこれ以上のインフラを造らないこと、もしくは都市機能を集約すること、作業の自動化やAIなどの活用で省力化を進めていくこと、何らかの方法で技能者を増やすことなどを達成していかなくてはならないという。いまの我が国にとってはかなり難題である。

 私の世代には街にものが増えていくのは当たり前であり、それが維持されてさらに新しいものが付け加わっていくという発展的な視点がある。しかし、これからはより計画性が重んじられるはずだ。造ったあとどうするのか、維持するため、もしくは解体するための作業工程を織り込んでいくことが求められるのだろう。

感動する短い動画の原点

 人の善意や悪意を短い動画にして見せるというものがある。小説には短すぎるが、短時間で全体像がわかり、それなりに感動できるというものだ。作り話だと思いながらもつい見てしまう。そして、このときに得られる感慨にどこか見覚えがあるのである。ほかでもこのようなことを経験してこなかったかと。

 何だったかとしばらく考えていると、思い当たるものがあった。いわゆる説話文学のなかにある世俗説話と言われるものや、江戸時代の奇人伝と呼ばれる個々人のエピソードを描いた文学の読後感とにているのだ。古典にまでさかのぼらなくても、個々人のちょっとした体験をつづった新聞や雑誌の読者投稿欄にも同じようなテイストを感じる。共通するのは分量が短く、簡潔で、読者は書かれていることを一応事実もしくは事実の可能性が少しはあるものとして受け取っているということだろう。そんなこともあるのかと思わせることがこの種のストーリーのミソである。

 今は人工知能の手を借りれば簡単な動画をそれらしく作ることもできる。人の善意や悪意を際立たせて筋を作れば現代の世俗説話ができてしまうのだ。しかもかつてなら専門家が長い時間をかけて作っていたアニメーションやそれっぽい実写風の動画も家庭のコンピュータで作れてしまう。それは新しい表現ジャンルができたのだということができる。それが創作であり、現実ではないというリテラシーが見る側にますます要求されれることになるのではあるが。

 

ボイスフィッシング

 昨朝のニュースでボイスフィッシングという言葉を知った。電話の自動音声機能の悪用らしい。恐らくどこからか入手した電話番号のリスト、もしくは無作為に生成した番号に勝手に電話をかけ、相手に声による詐欺を行う。例えば使用中の銀行口座がこのままだと閉鎖されるから、認証作業を行ってほしい。ついてはこの番号に電話してオペレーターと話してほしいと言うのだ。偽オペレーターは相手の口座番号やパスワードを巧みに聞き出し、口座の金を勝手に引き出すのだという。オレオレ詐欺はまだ自分の声で行っていたが、もはや機械の声で人を騙す段階にある。

 報道によればもっと手の込んだ詐欺もあるという。社長なり上司なりの声を合成して、それらしいメッセージを送って相手を騙すのだという。知っている声で頼まれたらもう騙されない方が難しい。スーパーオレオレ詐欺である。人を騙すことで利益を得ようとする悪事は昔からあるが、それに対抗するためには防衛力を高めなくてはならない。ニュースのアナウンサーのコメントによれば相手の提示した連絡先に直接返信しないことが肝要なのだという。面倒だが発信源を自分で調べて、そこに連絡して確認するのが良いのだとか。まったく人を信用するなといっているような嫌な話だ。悪意のある人がこの世に存在している以上はこの面倒な手続きは欠かせない。

 実は私の携帯電話にもこの類と考えられるメッセージが定期的に届く。私は知り合い以外の電話は基本的に受信しない。iPhoneには留守番電話を文字起こししてくれる機能があるのでそれで内容を判断している。そもそも資産など何もない私に口座が何のと持ちかけてくることが無駄な努力であり、私にとっては馬鹿にされているかのように感じて不快でならない。読者の皆さんにおかれては金蔵をだまし取られないようにしていただきたい。

電車の屋根

 私が時々使うカフェは駅の上に位置しており、窓の下を電車が通っている。つまり、座席から電車を上から見下ろす形になっており、普段は見ることができない電車の屋根を見ることができるのである。側面はいつ見てもきれいな電車であるが、屋根は意外と汚れていることがわかるのだ。

 屋根はパンタグラフと架線の接触から少しずつ摩耗したものが落下し付着しやすいのに加え、都会の雨に含まれる様々な物質も付着しやすいのにそれを洗浄するのは容易ではない。だからどうしても汚れが落ちにくい。とはいえ、安全面も考えれば定期的に清掃が行われているはずだ。かなり困難な作業をしている方に感謝する。

 いつもの視点では見ることができないのだが、ある条件で見えてくるものがある。そしてその光景にはいつも驚かされる。

振替輸送

 年に数回ではあるが鉄道の事故などの影響で振替輸送を使うことがある。遠回りすれば別の路線でも辿り着ける所に職場があるので、最終手段として利用するのだ。

 普段乗らない路線を通勤時間に利用するのはちょっとした覚悟のようなものが要る。どのように利用すればよいのかという情報がないからだ。もちろん、振替輸送のときは大抵改札はフリーパスになる。ただ、何号車のどの位置に乗るべきなのか、改札に近いのはどこかなどといった詳細な情報が足りないのだ。振替輸送で平常より混雑した車内において、こうしたことは大切なのだ。

 逆に言えば普段使っている路線に関して、様々な注意をしながら乗車しているということなのだ。混雑が少しでも少なく、下車時に苦労しない場所を日々の経験によって習得しているということなのだろう。振替輸送は非日常の世界を感じさせてくれるきっかけだ。利用する機会がない方が良いのは決まっているのだが。