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経験の共有

 経験の共有は難しい。同世代でも無理があるが異世代ならば余計に困難である。

今年は終戦から80年ということでこの後、様々な切り口で戦争体験の継承というテーマが語られるはずだ。私たちには辛いことは忘れるという本能があるようだ。それは生存のために獲得されたものなのだろう。

戦争の経験ほど強烈なものはないだろう。それでも直接体験したものでなければその恐怖は伝わらない。伝えられる側に相当の受容力なり想像力が要求される。その受け取る力は徐々にその能力を逓減しつつある。

過去の歴史で戦争が繰り返されてきたのはこのような経験衰退のメカニズムによるのかもしれない。ならば手を打たねばならないと思うのである。

歴史の授業

 高校時代にどのような授業を受けたのか。残念なことにほとんど忘れてしまった。教員である私としてとても虚しい気がするが、おそらくほとんどの人の記憶はそんなものだろう。それでも印象的に覚えていることがいくつかある。今回は世界史の授業のことを書いておくことにする。

 その先生は年配で貫禄があった。授業は毎回、講談のようなドラマティックな話しっぷりで、高座が好きだった変な高校生の私にとっては馴染みやすいものだった。この先生の授業には賛否両論があって話が面白いという好評と、覚えるべき用語が何かについて言及がないのでテストでは役に立たないという悪評だった。他のクラスは用語を穴埋めするプリントを配り、そこに当てはまるように説明していくというありがちな授業で、結局試験に出る用語を効率よく学べるというものだった。

 私は今考えても講談調の授業を受けてよかったと思う。歴史は流れとしてあり、因果関係の中で捉えるべきものだ。その流れをいかに言葉にするかが中等教育における歴史学習の要諦だと思うのである。年号や事件名だけを点で覚えても歴史像をつかむことは難しい。

 後で思ったことだが、歴史教育は例え教科書があるにしても教員の解釈が深く影響する。何をどう捉え、結びつけるのかは語り手の裁量による。歴史の概念は極論すれば人によって異なる。そのことに気づかせていただいたのも学恩の一つなのである。

 昨今のようにすぐ答えを求めがる風潮において、歴史語りをする授業スタイルは排除の対象になるのかもしれない。ただ、目先のテストでは点が取れなくても、時代の全体像を考え、さらに他の解釈の可能性を予測できる授業は人生に必要なものであると考えるのである。

明治のあり方

 明治時代の人たちはさぞ大変だったと思う。維新後に様々な価値観が激変し、昨日までの正義が突然邪道となり、またその反対もよくあった。排斥していた西洋文化が規範となり、模倣の対象となる一方で、東洋的な価値観は後進的とみなされた。

 それでもやはりいざとなると儒教的な価値観が支えとなっていたようであるし、漢文の素養が精神的な基盤にもなっていた。毀誉褒貶が状況ごとに変わり、その都度うまく立ち回ることが求められた。それが明治のあり方だったのかもしれない。

 渋沢栄一の「論語と算盤」を読むとその立ち回りの大切さを感じる。精神論と功利主義のバランスをいかに取るのかが大事だった。ただ結果として、明治は国益を重視したあまり戦争へと邁進する。

 現代の我々も価値観が急激に移り変わる時代にあり、さらに科学技術の発展により心身ともに振り回されている。毎日振り回されているから、それほど感じないが、おそらく俯瞰すれば翻弄されている己が見えるはずだ。その意味で明治の人々の生き様から学ぶことは多い。

中身は変わっても

 先日、鶴岡八幡宮に行ったとき、例の境内の銀杏がかなり育ってきていることに気づいた。台風で倒壊したときは歴史の終わりのように感じたが、よく考えてみれば、公暁が隠れた木そのものは、それ以前にも倒れていたのかもしれず、結局そのままのものが残っていたという保証はない。

 法隆寺や薬師寺のように木造建築がそのまま残っている文化遺産もある。ただ、これらの建造物も何度も修復作業を経ていまに至っているという。コンクリートより素材の劣化が遅いことや、部品の組み換えが可能なこと等が長寿の原因だ。

 物質的なものはいつかは亡失する。大切なのはそのものの価値を忘れず、どんな形であれ守り通すという意志を持ち続けることなのだろう。中身は変わっても、価値観は変わらない。そういうものが古典とか伝統とか言われるものなのだ。

 私たちが何を大切にしているのか。それを知ることが歴史学なり民俗学なり、文学なりの目的の一つだ。表面的には激変しているように見えて、その奥にあるものは変わらないといったものはいろいろある。

変革期の作品の魅力

 激動の時代を生きた人の人生には見るべきものがある。おそらく本人は大変な苦労をしたはずだ。人間不信になったり、死を覚悟して強引に物事を進めた人もいるのだろう。そんな中でも自分の心の在りようを表現できた人は偉大である。

 最近、岩波新書の高橋英夫著『西行』を読む機会があった。いわゆる日本文学研究者ではない筆者にとっては西行は単なる過去の有名歌人ではない。人が変革期に何を表現できるのか。そして、個人の開拓する表現世界は何かということに素直に関心を寄せてきたことが分かる。

 私もかつて古典文学を研究してきたことがあった。そのときには研究とは客観性を重視するもので、私自身の思いを極力排除するべきだと考えていた。また、周囲の人々もそう勧めてきた。でも、よく考えてみれば人間を評価する際に客観的という概念は成立するのだろうか。またその人間が作る文学というものを計る尺度があるのだろうか。

 いわゆる文芸評論家と言われる人の言説を読むのはかつてはあまり好きではなかった。立場によりその評価が変動することが公平ではないように感じていたのである。でもよく考えてみれば公平などありえない。自分の立場で自分の考えることを語るしかないのだ。

 西行に限らず、時代の変わり目の文学には見るべきものが多い。それは沿う感じる自分の人生があるということなのだろう。私の場合、安定した時代を生きてきたから、そういう過酷な時代を生き、なおかつ表現することを続けた人たちに素朴な尊敬の念を感じると言うことなのだろう。

歴史ドラマ

 大河ドラマの最終回を見た。およそ史実からは遠いと思われる展開だった。そもそも歴史そのものではないのだから作品として完結していればいいのだ。

 そもそも歴史そのものも事実とは言えない。史書はしばしば勝者によって書かれる。自らの権力の正当性を保証するものとして書かれていくのである。だから家康は神とならなくてはならず、そのために事実が書き換えられることもあった。

 過去の人物に対する評価は、いま生きている世代によってなされる。つまりは自分との関係性で人物像が決まるのだ。だから人物の評価も世代、時代とともに変わっていく。様々な評価にも耐え抜き伝承されていく人物こそ偉人というべきなのだろう。

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平和を語る勇気

 被爆二世の方の話を伺う機会があった。その方の話によれば、自分たちの置かれた立場では平和について訴えるのは難しかった時期があったという。それはかなり心を揺さぶられる問題であった。

 肉親に被爆者がいるということは絶対に知られてはならない。そのように家族の中で云い伝えられてきたという。原爆症があたかも伝染する病魔のごとく捉えられ、差別されることをおそれたというのだ。事実、その方もそのことが原因でいじめを受けたことがあるという。だから、平和を語るといったことも控えめになり、その話題に立ち入らなくなっていったのだという。自分の立場を知られずに過ごすために、平和を語るのはかなり勇気が必要だったという。

 このことは書物などで読んだことがあったが、実際に該当者から直接お話を伺うとかなり衝撃が異なる。戦争は戦後も人々の心におかしな状態を作り続けてしまう。残念だがそれが事実なのだ。

時代劇の効用

 いわゆる江戸物の時代劇がほぼ全滅していることは残念だ。中学生に大岡越前や遠山金四郎について尋ねたところ、ほぼ全員が知らなかった。昭和世代にしてみれば大岡捌きや金さんの双肌脱ぎの場面は当たり前だが、今の世代にはそれが通用しない。

 時代劇の価値観は決して理想的ではない。むしろ現代社会では否定されるべき要素も多い。でも、過去のモラルを比較対照の方法にするべきものとすることはできた。生活の中の古典というレベルにおいて。

 それがいまは大衆の多数派の考えに翻弄され、ようやく出てきた独自意見は個人の感想と纏められる。明らかにおかしな現実に対処できずにいる。

 時代劇の非現実性はそうした行き詰まりを打開する方法にはなっていた。正確ではないが、今の私たちの在り方もまた正解とは限らないことを明かしてくれていた。そういう役割を果たしていた時代劇が消滅していることはかなり不幸な事態ではないのか。

伝統文化

 伝統文化の多くは後継者不足に悩んでいる。高齢化も大きな要因だが、それ以上に文化継承の方法に問題があることが多い。

 どんなに価値あると評されるものでも、現在の私たちに何らかの価値を感じさせるものでなければ人生を傾けることはできない。それは実用性とか生産性などとは無縁でもいいが、他者を感動させられるか否かは大きな分かれ目になる。

 伝統文化を継承する人を育成するためにはこの感動経験が欠かせない。だから文化を守ることではなく、よく見せることの方が結果的に目標を達成することになる。そのためにも、多くの伝統文化に接する機会を儲けることが大切だ。

ヒナゲシ

 道路脇の僅かな空間にヒナゲシがこぼれ咲きしている。恐らくどこかの庭から来たのだろうが、それと思われる家は代替わりして園芸には興味がなくなったようだ。花だけが敷地外に生き延びた。

 ヒナゲシは虞美人草ともポピーとも言われ、名前ごとに印象が異なる。可憐で華やかなお花でいかにも弱々しい趣きだが、こぼれ咲きに耐えるだけの繁殖力がある。見た目と異なる生命力に驚く。

 項羽の無念に例えられる草花が存外逞しいというのは意外だ。いやそれ故に悲劇性は増すのかも知れない。