タグ: 文学

四拍手

 ハーンの「日本の面影」を読んでいる。日本の前近代的な伝統に興味を持った彼は、西洋文化に営業される前の民俗に注目しており、この著書にも様々な当時の習慣が描かれている。その中で、神社に参拝する人たちが柏手を4つ打つということが書かれていた。

 聞き間違ったのではないかと考えた。神社参拝の作法は二礼二拍手一礼と多くの日本人は考えている。拍手のことを柏手というのだ。その常識とは異なっている。

 でも、ハーンが暮らしたのは現在の島根県松江であり、この地域の参拝方法では現在でも四拍手なのだそうだ。ハーンはそれを描写していたのである。出雲大社では大祭のときは八拍手をし、それ以外は四拍手とするという。出雲大社が独自の信仰形態を持っていたことは古事記の伝承にも、他との違いが感じられることと関連するかのようで興味深い。

 西洋文化とは異質で当時の日本の知識人たちからは旧弊のように考えられていた日本の民俗文化に、どうしてここまで深い関心をハーンが持ったのかは興味深い。

月やあらむ

 時々思い出す古歌に

月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして

 がある。伊勢物語では業平と思しき人物が后がねの女性に恋してしまった悲恋の話の中に印象的に登場する。

 そういう上つ方の話はそれとして、この歌にある月も春も循環するものなのに、おのれは着実に年老いていく様を歌ったのものとして捉え直すと、この歌のもたらす感慨は計り知れない。地球の寿命と、人間一個人の人生とは桁違いに異なるので、その差異に感嘆せざるを得ないのである。

 それでも私たちは人生の中に何らかの節目を作ろうとする。そうすることによって、人生が単調なものではなく、一定の意味を持つものとして理解できるようになるのである。尺度が変わると人生の見方は大きく変わる。

 そのくらいヒトにとつて重要なものは、自分が生きている生活の期間というものなのだろう。日本人の場合、それが80年程度という微妙な期間がさまざまな意味を持つ。

 古歌の趣きにかえって、自分だけが時間の流れの中で疎外感を感じているという世界観に思いを馳せよう。そこに広がる華やかな世界はそれとして、その中で人間のエリート達がいかにも振る舞うのか。そういったことを関心の片隅におきながら考えてみよう。

作家の草稿

 作家の残した草稿を見ると創作の形跡がうかがえるのが面白い。いまはコンピューターで原稿を書く人が多いからそれはできない。昔の人は原稿用紙にいきなり書いてそれを何度も推敲するからその跡が紙面に残っている。それを見ることで最初に構想したことと後から付加、削除したこと、並べ替えたことなどが伺えるのである。

 原稿用紙にパズルのように書き込まれたさまざまな思考の跡を見ると、作品は初めから出来上がっていたのではなく、何度も書き直されて今の形になっていることを実感することができる。そこから思うに、私たちも初めから完成形を作り出そうとするのではなく、まず考えたことをとにかく形にして、そこから何度も作り替えることが大事だということが分かる。

 紙に書くことの意味の一つはこのように思考の跡をそのまま残せるということではないかと考えている。もちろんデジタルにも過去の訂正の跡を残せる機能はあるが、直感的に思考の形跡を残せるのはやはり紙面であると痛感したのであった。

路傍のスミレ

 アスファルトの僅かな隙間から鮮やかな紫の花をつけた草が固まっているのを見つけた。スミレであった。なかなか可憐な姿をしているのに、たくましい生命力である。

 スミレと呼ばれる草花はいくつもあって、パンジーもその仲間だというが、いわゆるスミレは東アジアにだけ分布するのだという。万葉集の山上憶良の歌にスミレを歌ったものがある。それにはスミレを摘みに来たとあり、採取されるべき植物であることが分かる。スミレの種の中には食用とされるものがあり、ネット上に調理法がいくらでも見つかる。憶良の歌にも食用説が古くからある。

 スミレはその他の文学の素材としてもしばしば取り上げられ、その多くは魅力的な存在として扱われている。だから、アスファルトの隙間に咲くものを見つけると何か場違いで意外な気持ちになるのだろう。ただ、他の雑草と違って容易に摘み取られない傾向にあるようだ。

大伴家持が越中で得たもの

 万葉歌人大伴家持は越中国守時代に、収録歌の半数を作っている。わずか5年余りの期間に多くの作品を残したのかについては、さまざまな考えがある。越中の風土との出会いが新鮮であったこと、都の情勢から離れて自由に歌作ができたこと、個人的な人間関係が充実していた期間にあったことなどいろいろと挙げられている。おそらくどれか一つではなく、これらの事情が相乗していたと考えた方がいいだろう。

 私はもう一つの要因を付け加えたいと考えている。それは制度的な地方観と現実のあり方との齟齬に創作者としての刺激を得たからではないかというものである。家持は越中の風土をありのままにうたったのかといえば否というしかない。現代でもそうだが、見たままありのままを描写することは難しい。ことばを使って表現する以上、それまでの伝統やことばの決まりに沿って物事をとらえる。また社会制度や時々の常識にも影響を受けるはずだ。

 家持が例えば立山を歌うとき、その場所は新川郡だという意識が働く。新川郡の山だから、それに取り合わされるのは新川郡の川であるとして現在の魚津市を流れる片貝川が選ばれている。国府のあった現在の高岡市伏木あたりからも立山は見え、近くには射水川と呼ばれた庄川と小矢部川の合流域があった(現在は河口が分かれている)。今の庄川にあたる雄神川や、おそらく神通川であろう婦負川などもあるのに関わらず、家持がそれらの河川と比べると小さな片貝川を選んだのは、国司として地名を郡ごとに把握するという意識があったからではないかと若いころに考察したことがある。つまり、越中の風景をとらえる際にも官人としての知識の方が先行していたのであろう。

 そうした知識上の風景と実際にその地に赴いたときに得た感動との差が創作する力となったのではないかというのが私の付け加えたい考え方だ。制度としての知識ではとらえきれなかった生の感覚が創作意欲につながったのだろう。家持は国守巡行の際、富山県にあたる四郡に加え、当時越中国に含まれていた能登の四郡にも訪れ、すべての郡に関係する歌を残している。その地の風習に関心をもって詠んだ歌がある。砺波郡の雄神川流域ではおとめが川に入って葦附という水生植物を採る姿が詠まれている。また実態はわからないが鳳至郡饒石川での「水占(みなうら)」を歌っている。土地の風習のようなものも現地に赴いて知りえたもので、こうした刺激が鄙の地の歌を残すきっかけになっている。

 家持が帰京後に創作が少なくなるのは、不安定な社会情勢もあっただろうが、徐々に完成されつつあった和歌的世界の枠組みの中に浸りすぎて、そこから逸脱するのが難しくなってきたからではないかと考えることもできる。いわゆる絶唱三首と呼ばれる歌はそのような中では個を発揮できた作品かもしれないが、見方を変えれば中国文学的な当時の歌風に飲み込まれている段階ととらえることもできる。また万葉最後の因幡国庁の歌は朔旦立春という暦の知識と結びつき、古今和歌集の巻頭歌と同様に知識が先行している。因幡の地で詠まれたことでようやく新鮮味を保っているが、類型的な歌とも言える。創作にはある程度の齟齬のようなものが必要なのではないか。

 万葉集の一歌人の話をしているのだが、このことは普遍化できるかもしれない。私たちは何らかの枠組みがなければ対象をとらえることができないし、目にしても認知できない。でも、それが日常化してしまうとこれも埋没してしまう。枠組みをもちながら、しかもいつもと少し違うものを目にしたとき、感じたときに創作する気持ちが立ち上がるのではないか。そういう感動を得るために私たちは旅をしているのだろう。旅を楽しむためにはガイドブックは必要だが、最後は自分の実感を得る機会を設けることが大切だ。そこに新しい感動が生まれる。作品化できれば創作ができるということになる。

読解力が導く新しい世界

 後に大家と呼ばれる作家のデビュー作の中にも酷評を受けたものが多数あるという。読むに値しない作品だ、などというのはまだいい方で、作家の人間性を傷つけるような行き過ぎたほとんど誹謗中傷というものまである。

AIが生成したこの記事のイメージ

 これにはいくつかの要因があるようだが、その第一は読み手としての受け入れ方法が見つからなかったことにある。新しい表現法、新しいテーマ、新しい視点といったものは新奇性というより、奇異性の方が先行する。結果としていかに読めばいいのかわからないのだ。

 時代を変えるような作品の中にはそれを受容する側の能力との釣り合いが求められることがある。その均衡が図られるまでは作品が評価されることがないのかもしれない。作家が先行しても読者がいなければ作品は浮かばれない。

 物差しのない中でその作品の価値をなんとなく見抜くのは実は才能なのかもしれない。よく分からないけれどなんだか凄いと感じる。そういうことができる人が現れてくると新しい作品が生まれる。こうした読解力を持った人が真の読者というべきなのだろう。

 小説の話で書いているが、これはどんな方面にも当てはまる。新しいもの、今までになかったものにどういう評価を下し、どんな価値を与えるのか。それには奇異と映るものを粘り強く受け入れることが要求される。そしてそれが達成されることで新しい世界が始まるのだ。

古典を読む挑み

 万葉集の研究を少しだけやった私に今の学問成果に対して言えることは何もない。だからここから述べることは単なる思い込みだ。最近の流行り言葉で言うなら「単なる個人の感想」である。

 古典文学を読む時の基本的な態度は、その作品が作られた時代の価値観に則って読むと言うことだろう。これが意外と難しい。そもそも過去の人々の価値観など現代人には分からない。分かると言えば欺瞞となる。

 古典作品はぎりぎりのところで実は理解不可能なはずなのだが。それを学者の皆様があたかもそれしかないような説得力で語るのである。その時点で真偽など分かるはずがない。

 ただそれを論じる学者にはそれなりの覚悟がある。古代をなぜかように断じるのか。学者の大半はその功利的な側面を気にしない。自分がそう思ったからそう語るのであって、それ以上に企みはない。

 古典文学を論じる上で正論なるものはない。極めて限られた条件の中で確率の高い推測を続けるしかない。それが古文学者の宿命であり、やるべきことなのだろう。私はそれを志し、途中で投げ出してしまった。だから、古典作品に新たな読みを与え続けている学徒には尊敬の念しかない。

異郷を描くこと

 見ず知らずの場所に行ったときそれをどのように表現すればいいのかとまどうことがある。それまでの経験に照らし合わせ、「~のような」という比喩の表現を使って何とかつかみ取ろうとする。絵もそうだろう、以前描いたなにかのバリエーションとして眼前の対象をとらえて何とか描きとろうとする。当たり前だが初めて見るものをそのまま表現する方法はない。

 以前大伴家持のことを研究していた時、越中国守時代の旺盛な歌作を分析したことがある。そこに読まれる地名やその地の風習と思われるものの描写などを注目した。でも、一方でどこまでも平城の官人としての世界観価値観が感じられ、本当に越中のことを描いているのだろうかと疑問に感じたことがある。たとえば眼前の花を歌っているように見えて、実はそれは奈良でみた似た花の印象を言葉にしているのではないかと。あるいは望郷という感情が越中の風物を題材として語られているのではないかと。

 これは別に万葉歌人だけではない。現代の旅の文学も含めてありのままを描くことは実は困難だ。その人物の持っていた既存のフレームで異郷の風景を修正して描写しているのではないか。西洋に渡った画家たちの描くその地の風景の中にどこか日本を感じてしまうのもそれが原因かもしれないと考えている。

 私は異郷を描くことがそれほど作者の心の営みに影響されているということを確認したいだけだ。これは優劣の問題ではない。芸術作品というものが純粋なデジタルデータと違うのはそこにあり、それこそが芸術の魅力だと思う。

現代の文化の下地になっているもの

 韓国の古典文学の一つ「春香伝」を読んだ。まさに韓流ドラマの原点といえるような内容だ。岩波文庫に収められたものは訳も秀逸である。

 両班の少年が地方で妓生の娘に偶然出会い、たちまち恋に落ちるがまだ無位無官のため、結婚もできずに都に帰る。その娘が春香なのであるが貞節を守り、その後その地に赴任してきた悪徳官人の招集を無視したために怒りに触れて拷問され、命も尽きようかというときに、乞食の姿に身をやつし、実はすでに暗行御史となっていたヒーローが救い出すという実にわかりやすいストーリーだ。

 この話は大変もてはやされたらしく、多くの異伝があり、語り物的な文章も幾多の改変、もしくは増補の繰り返しがあったものと考えられる。中国の古典を踏まえた装飾的な文体、韻を踏んだものづくし的列挙などは語りの後を感じさせる。性愛にかんする過剰な描写が突如現れたり、執拗な拷問の描写などメリハリがあるのも庶民性が残っているからだろうか。

 この展開の在り方は現在の韓国時代劇にもみられることであり、それが先に述べた原点を感じさせるものである。もちろんこのほかにも私が知らない話がたくさんあるのだろう。日本の漫画やアニメ、ライトノベルなどの原型が江戸時代のさまざまな作品に見いだせるのと同様、芸術・芸能・文化にはどこの国でもその下地にあたるものがある。それを知ることで理解できることもあるに違いない。

神話の意味

 神話には色々な意味がある。神の物語というだけではない。そこにあるのは現代人が求める何かがある。

 神話と言っても例えば土地神話というように、無批判で多くの人が信じているもののことを指す例がある。エビデンスを求めないというより、神話自体が根拠になっているのだ。

 これは古代の神話でも同じで、神々の振る舞いは何かの原因があったから起きたというより、神話それ自体が今起きていることの根拠になっていると考えられている。神々が愛し合うから人間も愛し合い、神々の諍いは戦争の起源と考えられる。

 神話を読むとときに現実では起こり得ないことや話の展開がある。それも神話ゆえに許され、現実の不可解さを語る物差しとなる。いま「百年の孤独」を読んでいるが、これを神話の枠組みで読むと荒唐無稽の展開がわかりやすくなる。そんなことを考えてしまう。