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やってみせる

 やってみせることが大切をと感じさせられました。ある教育法の紹介です。

 その方は子どもに勉強しなさいとはあまり言わないそうです。ただ英検、数検、漢検にはこだわりがあってすべてを2級以上取得することを勧めているそうです。それだけならよくある話なのですが、この方の場合はご自分も検定に挑戦して子どもとともに勉強していらっしゃるところです。

 あと2点足りなくて合格できなかったと悔しそうに、そしてその割には楽しそうにお話していました。漢字検定の準1級に挑戦していらっしゃるのです。子どもに2級を勧めた以上、その上に挑戦する姿を見せたいというのが最初の目的だったとか。漢検準1級は普段あまり使わない漢字が多数使われ、マニアの域に入るなどといわれます。受検数も合格率も低い。そこに敢えて挑戦していらっしゃる訳です。

 率先垂範の精神に他なりませんが、ご本人自身もまるでゲームの攻略か一種のスポーツのように楽しみながら検定に挑戦されていることに感銘を受けました。やってみせることも大切だと実感したのです。

出力しやすく

 素晴らしいアイディアは天災によって偶然生まれる。確かにそうかもしれません。歴史的がそれを証明するという人もいます。ただ、それだけではないのではないでしょうか。

 何かが生み出されるとき、結局残らなかった失敗作が大量に作られています。その中でとびぬけた何かが含まれるものが画期的な作品になるのです。ということはブレークスルーを生み出すには作品を生み出しやすい環境を作り、多くの駄作を生み出す環境が必要だということになります。たくさんの失敗を許す寛容性が与えられなければ革新的な何かは生まれないのです。

 私たちができることは何か。まずは失敗を恐れずになにかを作り続けることです。もちろん素晴らしい成果を期待して作るのですが、結果的に失敗しても仕方がないと割り切れる気持ちが必要です。次に作品を作ってみようという環境をつくることです。成功しか許さないという雰囲気の中では挑戦者は減ってしまう。厳しすぎる環境下では完全に委縮してしまって何もできなくなります。また、作品そのものへの評価も大切ですが、それに至るまでの行動や方法論などへの評価もなされるべきです。結果だけがすべてではないと考える風潮も大切です。

 失敗の中から素晴らしい成功作品が生まれるためにはたくさんの出力があり、それを支える環境が必要だと考えます。

教員になりたくない

 最近の学部人気傾向として教育学部、取り分け教員養成系の学部の人気が減少を続けているという分析結果があります。

 一方で団塊世代の退職に伴い教員採用の倍率は低下傾向にあり、地方によっては教員不足が問題になりつつあるのが現状です。教員志望者にとってはチャンスなのですがどうして教員志望者は増えないのでしょうか。

 教員の長時間労働はつとに周知されており、仕事内容の多様化やますます困難になる生徒や保護者への対応が過重負担になるという話も知られています。一部の反社会的行動をする教員の失態は連日のように報道されます。許しがたいことではありますが、教育者ゆえにメディアに扱われやすいというメディアリテラシーのもとに実態を把握する必要があるのも事実です。

 かようによくない情報は届きやすく、教員の魅力、理想というのはことさらに論じられない。加えて世間一般が人手不足の傾向で無理に教員にならなくてもいいという雰囲気が瀰漫しているのです。これが志望者を減らし、魅力のない仕事にしています。

 私たちは職員室で仕事をしています。職員の定義はいろいろあると思いますが、専門的な職務を求められている労働者であるとはいえそうです。個人の判断による行動が大きく求められるのも特徴です。その意味で特殊であり、やりがいがあります。次世代のために働くという尊い仕事に興味を持つ人が増えてほしい。

インプット

 人に教える仕事をしているうちにふと気づくことがあります。教えてばかりでは枯れてしまうのではないかということです。

 教員の仕事は多岐にわたり、そのどれもが単なるルーティンで解決しないことが多いものです。となると、毎日の仕事に追われて自らが学ぶことが疎かになってしまいがちなのです。教える教科や生活指導の内容や方法論、人間関係などの助言を行う生活指導など学ぶべきことはたくさんありながら、それができずにいる。そうして手持ちの札がどんどんなくなっていくような感覚になるのです。

 多忙を言い訳にせず学ぶことを職務の中に組み入れていかなくてはなりません。私たちは常に学ばなくてはどんどん流されていく。この方面においては貪欲にならねばなりません。

起動

 自分のすることが誰かのためになると感じたとき、私たちはなにかしらの幸福感を覚えるようです。逆にいえば自分のために何かをするという考え方は内的な動機づけの要因としては物足りないということなのでしょう。

 ならば人をやる気にさせるためにはこの点を踏まえなくてはならないということになります。あなたの努力は将来のあなた自身のために必要なことなのだという助言はもっともな響きを持ちながら、実はあまり有効性は少ない。あなたのしていることが誰かのためになるのだという示唆がやる気へと繋がる可能性が高いということになります。

 人のためになるという言葉自体はよく聞くものであり、耳に心地よい響きをもっています。しかし、具体的にどのような役に立っているのかが示されなくては心象を結ぶことができません。恐らくよき助言者はそれを実践しているのでしょう。

 実際は他人のためになる行いだと実感できることはそれほど多くはない。年齢が上がるほど自他の行動を相互の利害関係という文脈で捉えてしまいがちです。金銭に換算してしまうこともある。だからこそときに利他的な考えに気づかせてくれるきっかけがいるのでしょう。

 この歳になってもさしたる業績もなく、恐らく何も残せない己を恥じ入りますが、せめて他人にやる気を起こさせる存在にはなりたいと考えています。

教え方を磨く

 教科書の内容を伝えるだけでは教育とは言えないということは前から言われてきたことですが、入試などで問われることが教科書に基づいた知識の記憶の域にあることが教育の内容を変えることを阻害してきました。未解決の問題に粘り強く取り組み、何らかの答えを出す能力を伸ばすことがこれからの教育の要諦になります。

 では、その目的に合わせるためには何をすればよいのか。教える側は答えを教えるのではなく、答え方を教えることに中心をおかなくてはなりません。いわゆるアクティブラーニングを効果的に発動させるための方法論を蓄積する必要があるのです。生徒に任せれば学力は伸びるという人もいます。ある意味それは間違いではありませんが、一方で結果的に何も学ばないという結果も起きます。生徒にどのような学びをさせ、どのような手順でその成果を発表させるのかを明確に説明し、実践する能力が求められます。

 教え方を磨くために私たちは研修に出かけたり、関係の書籍を読んだりして参考にします。ただこの種の教育は今まで以上に教師個人の資質による要素が大きく、自分にあったことではないと実践が難しいということがあります。日々の実践の中で磨いていくしかない。そこには失敗もありますが、失敗しなければ成功もないのです。